目次

  1. くさや事業を継ごうと決意
  2. 自分の給料は自分の手で
  3. 先代が倒れて3代目に
  4. くさやの品質向上に妥協せず
  5. 魚のすり身を真空パックに
  6. ゲストハウスで売り上げを上積み
  7. ママ友が新たな働き手に
  8. コロナ禍の逆風をECがカバー
  9. 仲間と連携した生き残り策

 新島は本土から南に約160キロ。ミルキーブルーの海が特徴的で、2052人(2022年時点)が暮らしています。

新島ではイサキ、キンメダイやタカベなどが取れます

 独特なにおいで知られるくさやは、新島が発祥の地という説が有力で、江戸時代からの伝統があります。味の出し方や塩分濃度の調整方法は店によって異なり、門外不出とされています。

 くさやは東京の市場に卸すほか、観光客のおみやげとしても人気でした。しかし、ピーク時は年間10万人以上が訪れた新島も、今は約2万人。高齢化で漁獲量も年々減り、昭和初期には100店舗あったといわれるくさや屋も23年には5店舗になりました。

 それでも、池村さんは1952年創業の池太商店の担い手として迷わず手を挙げました。

焼くときの独特なにおいを抑えるため、池太商店は瓶詰の焼きくさやを販売しています

 池村さんは子どものころから、新島のくさや産業は縮小に向かうと感じていました。当時はくさや屋が30店ほどありましたが「同年代の後継ぎ候補は継がないと公言していました」と振り返ります。

 「自分は昔からくさやが好きで、むしろライバルが減るからチャンスと思い、継ごうと心に決めていました」

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