靴クリームの存在価値は?日本最古のメーカーが考えた「磨く人の気持ち」
靴クリームなどを製造・販売する谷口化学工業所(東京都墨田区)。5代目の谷口弘武さんは自治体の制度なども活用しながら、新規の販売先や新製品、メーカとのコラボレーション製品の開発などを達成。財務体質の改善ならびに、社員のモチベーションアップを実現しました。
靴クリームなどを製造・販売する谷口化学工業所(東京都墨田区)。5代目の谷口弘武さんは自治体の制度なども活用しながら、新規の販売先や新製品、メーカとのコラボレーション製品の開発などを達成。財務体質の改善ならびに、社員のモチベーションアップを実現しました。
目次
今から100年以上前、日本にも革靴が入ってくるようになりました。その流れで、ケア製品である靴クリームも輸入されるようになります。
墨田区や台東区は革産業が盛んだったこともあり、靴クリームの需要が伸びるだろうと1910年、谷口化学工業所は誕生します。日本で初めての靴クリームメーカーでした。そして創業から113年経った現在でも、靴クリームを作り続けています。
「墨田区という土地柄、自分と同じように家が商売をしている友だちも多く、子どものころは靴クリーム屋の息子、と言われていました。ただ自分のアイデンティティのようで、嬉しかったことを覚えていますね」
将来は家業を継ぐだろうと何となく思っており、大学では経営学を専攻します。一方、両親から継いでほしいとの話がなかったこともあり、継ぐ、継がない、の判断は社会人になってから決めようと考えていました。
そこで、基幹システムを扱うIT企業に営業として就職します。仕事は楽しく充実しており、5年ほど経つとさらに成長したいと福岡への異動を検討します。
すると両親は、「自分の人生は自分で決断すればいいけれど、少しでも家業を継ぐ気があるのならば、今ぐらいの年齢が適齢かも知れないね」との言葉が返ってきました。
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熟考した末に、谷口さんは家業に入ることを決めます。2017年のことでした。
入社後、谷口さんは愕然とします。革靴を履く人の数が減るなど外部環境が変化しているなかで、対策を打っていなかったからです。経営会議的な場はありましたが、景気が悪いなど、外部要因のせいにしていると感じました。
前職がスピード感のある、IT業界と比べ、家業の製品ラインナップは20数年前と変わらず、価格も販売先も販売手法も同じでした。カタログやホームページもありませんでした。
谷口さんは「売り方・売り先・製品」という3つの軸で、改革を行っていきます。
まずは売り方です。当時は大阪や九州など各地に営業所があり、担当営業が顧客先をルート営業でまわっていました。しかし顧客にはPOSシステムが備わっているため、頻繁に足を運ぶ必要はありませんでした。そこで谷口さんは営業拠点をすべて廃止とする決断をします。
「年配の社員が多かったとはいえ、傍から見ればリストラです。でも会社の将来を考えるならやるしかない。一人ひとりに対して丁寧に説明をする一方で、心を鬼にする気持ちで実行しました」
東京に異動した社員もいたそうですが、10人近い社員が退職。人員が減っても仕事が滞らないよう、基幹システムの刷新も含め、アナログ業務のIT化を進めるなど、業務の効率化に努めました。
続いては、売り先です。新規顧客も開拓しようと、ビジネスマッチングの場や展示会に出展します。するとその場で会社の魅力、強みに気づきます。「日本最古」とのキーワードです。以降、谷口さんはこのキーワードを全面に打ち出した営業を展開し、売り先の拡充に努めます。一方で、当初は改革に反発する社員が大半だったそうです。
「年齢も仕事の経験も、私よりはるか上の社員ばかりでしたから、経験の乏しいひよっこがなにを勝手に、これまでのやり方や社風を変えていくんだ。うまくいくわけもないし、賛同もしない。そんな空気がひしひしと伝わってきましたね」
新しいマーケティング活動には賛同していた父親からも、社内の改革には反発を受けます。今までの業務フローや社内の共通認識に変化が起きることに、抵抗を感じたようでした。
そのため、社内で小競り合いすることも度々あったそうです。
しかし谷口さんは、「会社の将来を考えた上での改革だから」と自分に言い聞かせ、一歩も引きませんでした。そしてこのようなやり取りが1~2年ほど続いたそうです。
すると、先代からは「そこまで言うならお前が社長をやれ」。谷口さんはその言葉を受け、社長になることを決意。入社してから数年後のことでした。
社長に就任したことで、改革スピードは一気に早まります。
「日本最古」のブランディングも含め、これからどのような製品や販売戦略を取ればよいのか。改めて考えた結果、靴クリームを使う裏側にあるストーリーを、前面に出していこうとの考えに行き着きます。売り方の改革です。
「靴クリームはあくまで革靴のケア商品です。そのため革靴を履く、磨く人の気持ちになって、改めて靴クリームの存在価値を考えたんです。すると単なる作業ではなく、重要な商談の前に行ったり、気持ちを切り替えたりするときに行う人が多いことが見えてきました」
ビジネスの場でもカジュアルな服装が浸透するなど、以前と比べると革靴を履く人が減少傾向にありました。一方で谷口さんが感じたような、谷口さんの言葉を借りれば「シーン」や「ストーリー」を考え、靴を磨く。ある意味、趣味嗜好として靴磨きをする人の層は、逆に以前と比べて増えているのではないか。
そのような層に向かってブランディングしていこう。結果として、新たな売り先も見えてきました。このような考えにまとまり、3つ目の改革、新製品の開発などに反映されます。靴磨きをしているときに心地よくなるよう、香り成分を混ぜ込んだ新たなブランドを立ち上げたのです。
一般的に靴クリームの充填は機械で行うのですが、一気に注ぐと表面の状態が美しく仕上がらないため、谷口化学工業所では職人が手作業で、三度に分けて注ぐそうです。そしてこの技は、創業当初から受け継がれてきた技法でもあります。
「当社の靴クリームであれば、蓋を開けたときに表面が艶々していますから、もうそれだけで、磨く人の気分が高まると考えています」
高級紳士靴ブランドとコラボレーションした製品や、靴磨き職人専用のケア用品などの開発にも乗り出します。
さらにはお客様の趣向を深掘りした結果、環境意識の高い人が多いだろうと判断。靴クリームはもともと天然成分が多いそうですが、SDGsやサステナブルといったキーワードに着目。エゾジカの脂など、自然由来成分を配合した「自然から作ったシリーズ」も展開します。
さまざまな改革を実行できたのは、墨田区が現在も行っている後継者塾「フロンティアすみだ塾」への参加や、各種公共機関のサポート制度が大きかったと言います。
たとえばフロンティアすみだ塾では、事業の強みなどを分析するなかで「日本最古」との自社ならではの強みが明らかになったからです。
同じく墨田区の無料の経営相談窓口「すみだサポートセンター」も活用。海外販路を相談するとJETRO(日本貿易振興機構)を紹介してもらい、市場調査から現地のキーマンとのオンラインミーティングなどのサポートを受け、タイでの製品販売がスタートしています。
「塾に入ってよかったと思うことは、同じ立場の仲間が大勢できたことです。バリバリ活躍している先輩も多く、自分もアクションを起こさなければいけないという気持ちの面での意識改革が一番大きいと感じています」
そのほか、先述したシステムの刷新やホームページやカタログ制作は、「IT導入補助金制度」を活用することで、費用の負担を抑えました。
2021年には木材塗料を開発します。こちらの製品においても塾で学んだ、既存設備の活用、伸びているマーケットを狙うとの内容を反映したもので、販路も靴クリームを扱ってもらっているホームセンターと重なる点も大きいと言います。
当初は谷口さんの改革に反発していた社員ですが、テレビ局や雑誌からの取材が増えたことで、自分たちの仕事を見つめ直すことができ、社員のモチベーションは高まっていきました。あわせて、谷口さんの取り組みや考え方も少しずつ社内に浸透していきました。
それだけではありません。評価制度も作り直し、がんばった人がしっかり還元される仕組みを作ったことで、社員のモチベーションを維持することにも注力していきます。
現在は経営計画書も策定しており、会社がさまざまな改革を行うのは、従業員とその家族を収入面でしっかりとサポートしたいから、と明記しています。さらなる福利厚生の充実も宣言しており、2022年4月には大卒の新卒社員も採用するなど、今後もさらなる改革を続けていくと意気込みます。
「新しいものを生み出したというよりも、自社の強みを改めて確認し、リメイクしたという感覚が強いですね。これも塾で学んだ内容でもありますが、社会が変化するなか、不変が一番のリスクだと思いますし、中小企業が生き残るためにはリスクが小さいチャレンジをどれだけ行えるか。100動いて1成功すればよいとの気持ちで、これからもチャレンジを続けます」
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