震災後パッケージに刻んだ覚悟 貴千3代目の「代えの利かない」商品作り
実は日本有数の板かまぼこ生産地である、福島県いわき市。この地でかまぼこ製造を営む「貴千」は、東日本大震災の津波で工場が半壊し、多くの販路を失いました。さらに、東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県産品が避けられる風評被害にも直面します。そんななかで3代目小松唯稔さん(46)は、あえて地域色を打ち出した商品作りに着手。いわき市を代表する高品質のかまぼことして、県内外から人気を集める商品に育て上げました。
実は日本有数の板かまぼこ生産地である、福島県いわき市。この地でかまぼこ製造を営む「貴千」は、東日本大震災の津波で工場が半壊し、多くの販路を失いました。さらに、東京電力福島第一原発事故の影響で、福島県産品が避けられる風評被害にも直面します。そんななかで3代目小松唯稔さん(46)は、あえて地域色を打ち出した商品作りに着手。いわき市を代表する高品質のかまぼことして、県内外から人気を集める商品に育て上げました。
目次
かまぼこ貴千は、1963年小松さんの祖父・小松中司さんが創業しました。当時、周辺の港町一帯では練り製品工場が数多くあり、量産したかまぼこを首都圏へ出荷していました。
かつて板かまぼこ生産量日本一の町として知られていたいわき市は、全国でもトップクラスのかまぼこ生産量を誇ります。
「子どものころは昼夜なくかまぼこ作りに追われる両親の姿を見て、『絶対にかまぼこ屋だけにはなりたくない』と思っていました。敷かれたレールの上を歩くのは嫌だと反発する気持ちもありましたね」
小松さんは県外の大学に進学し、海洋建築を学びます。しかし、時代は就職氷河期。希望の職種に就くことは叶わず、中古車販売の営業など職を転々としました。
「果たして自分は、今の仕事に誇りを持って向き合えているだろうか……」。そんな時、小松さんの脳裏に浮かぶのはいつも忙しく働く両親の背中でした。
転機が訪れたのは、子どもの頃から慕っていた祖父の死です。お葬式のために地元に戻った小松さんは、貴千初代である祖父の遺影を前にこれから進むべき道について真剣に考え、覚悟を持って家業を継ぐことを決心しました。
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家業を継ぐことを伝えると、2代目父・健司さんは「外へ出て新しいことを吸収してこい」と修業へ出ることを勧めます。というのも健司さんは、板かまぼこを量産するだけではこの先の未来はないと考えていたのです。貴千は、徐々に付加価値の高い商品を生み出す方へ舵を切りはじめていました。
貴千の最盛期には、工場を二つ稼働していたそうです。当時、かまぼこを消費者に直接販売するという概念はなく、首都圏のスーパーへ向けて安価な板かまぼこを量産していました。しかし、寝る間を惜しんで二つの工場を稼働させても、商品の利益率が低いため結果は大赤字。仕事量が増えるとともに、設備費や光熱費、人件費などの固定費がかさんだのです。
「そのころの父は『アリでもゾウに勝てる』と思っていたそうです。つまり、小さな会社でも根性で安いものを量産すれば、大手に勝てると思っていたんです。しかし、実際はそう甘くありませんでした。そのことに気づいた父は、スッパリと工場を一つたたみました」
そんな経緯もあり、父・健司さんは息子に新しいものを生み出していくことを託したのです。
小松さんは千葉県柏市にある日本料理店に板前修業へ行きます。そこで、日本料理の基本や色彩感覚、繊細さや奥深さを学びました。なかでも、印象深い出来事があったそうです。
「料亭の味を決めるだしを作る際、最後に親方に味見をしてもらうんです。すると親方が『塩が一滴足りない』というんですよね。大きな寸胴(ずんどう)で作っただしに塩水たった一滴ですよ?半信半疑ながらも言われた通りにすると、本当に味がグッと引き締まったんです」
料理は研ぎ澄まされた感覚の世界。親方から学んだことは、今でも小松さんのモノづくりに対する基盤となっているそうです。その後、名古屋のかまぼこ店、鹿児島のさつま揚げ店で修業を重ね、2007年に家業に入りました。
家業に入ってまず小松さんが行ったのは販路開拓でした。「かまぼこ=安い」が定着している地元で、いかに高品質のかまぼこを文化としてなじませていくかが目下の課題でした。
素材と製法にこだわって作った揚げかまぼこを他店の倍近くの価格で販売。週末のイベント出店へ積極的に出向き、対面販売で直接お客さんへ届けました。
はじめは「高い」とお客さんから言われ続けた揚げかまぼこでしたが、素材の良さやおいしさを理解されると少しずつ受け入れられていきました。順調に売上を伸ばしていたある日、東北地方を大きな揺れが襲います。2011年3月11日、東日本大震災です。
「その日は工場で製造作業をしている最中でした。ガチャンガチャンと機械が揺れはじめて、全く揺れが収まる気配がないので急いで外へ出ました。すると今度は道路がバリバリバリっと割れていくんです。いったい何が起こっているのか理解が追いつきませんでした」
工場は海からほど近くにあるために津波の危険もありました。小松さんは裏山の神社へ従業員を連れて避難をしたそうです。
「高台へ登ると、今度は目に見えてわかるぐらい山がゆさゆさと揺れているんです。真っ黒になった空から雪が降ってきて、そのあとに津波が襲ってきました。天変地異とはこういうことかと、立ちすくむことしかできませんでした」
幸い津波の直接的な被害を受けずに済んだものの、両側を流れる川から逆流してきた水で工場は半壊。さらに翌日、衝撃が走ります。東京電力福島第一原発の事故が起きたのです。
目に見えない放射能の脅威で、町全体が不安に包まれました。実は、小松家には震災が起きる直前の3月3日に次男が誕生していました。子どもたちを少しでも安全な場所へ移したいという思いから、苦渋の決断で父と祖母を置いて東京へ避難したそうです。
「避難といってもほんの2、3日で戻る予定だったんです。けれど、状況は悪くなる一方で帰ることができなくなりました。地元の情報が見えない、何の役にも立てない、安全な東京にいる時期が一番苦しかったですね」
いわきでは父・健司さんが復旧に向けてすぐに工場の片付けや掃除をはじめていました。従業員の力も借りながら、震災1カ月半後には工場を再開。小松さんも避難から戻り、再建に向けて歩みはじめます。
「周りにいた同業者の半数は、津波によって廃業を余儀なくされています。さらに隣の薄磯地区は壊滅状態でした。幸運にも工場が残った自分たちは、何がなんでも前を向かなければという心境でした」
しかし、主力であった板かまぼこ商品は大口顧客のほとんどを失いました。
「津波被害で工場がストップしたので、首都圏のスーパーへ卸していた板かまぼこの出荷ができなくなりました。もちろんスーパーは、入荷できなければ困りますよね。だからと言って、空いた棚を埋めるために貴千の商品である必要はないんです。パッケージが異なるだけで、板かまぼこであればどの会社のものでもよかった。結局、取引は再開しませんでした。この時、代えの利く商品ばかりを作っていたらダメだと痛感しました」
小松さんはブランドイメージを高めるために、付加価値の高い商品づくりへ比重を移します。そこで目をつけたのが「さんまのぽーぽー焼き」でした。
さんまのぽーぽー焼きとは、新鮮なサンマのすり身に味噌、ネギ、生姜などをまぜてハンバーグ状にして焼いたいわき市小名浜発祥の郷土料理。震災前から商品開発をおこなっていましたが、今こそふるさとの食文化を守り伝えることが大切だと考えた小松さんは、地元の名産となる商品にすることを目指し、震災後間もなく、開発を再開させました。
味は、あえて小松家に伝わる家庭の味そのままのレシピ。何度も試行錯誤を繰り返し、地域色を前面に出した商品を完成させました。しかし、販売するには覚悟が必要でした。開発を進めていた2011年当時は、検査で安全性が確認されても、福島県産の食品が消費者に避けられる「風評被害」が色濃く出ている時期でした。
「一番頭を悩ませたのが袋のデザインです。『いわき小名浜漁師料理』の一言を入れるかどうするかは社内で何度も議論しました。福島県産をアピールすることで敬遠され、他の商品まで売れなくなるんじゃないかという懸念があったからです。だからこの一言は、ここで生きていくんだという覚悟の証しでもあるんです」
こうして、「いわき小名浜漁師料理」と記された「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」が完成。小松さんが目指したのは、いわきの文化を練り込んだかまぼこです。2011年12月に地元の直売所で販売をスタートし、ECショップや道の駅へと販路を広げていきました。
商品への反応は、小松さんの想像していたものと全く逆でした。県外にいる福島出身者や地元の人、直売所で購入したお客さんから、ハガキやTwitterなどを通じて「よくぞやってくれた」「小名浜の誇りだ」という声が多く寄せられたのです。
もちろん、当時は風評被害の影響が大きく、すべての人に受け入れられたわけではありません。しかし、福島県産を遠ざける風潮があった一方で、応援してくれる人たちもたくさんいました。遠方の方への贈り物やお土産品として「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」の売れ行きは上々。当時を振り返り、小松さんは「皆さんに救われた」と話します。
販売開始から1年間で約3万本を売り上げ、貴千を代表する商品へと成長。「さんまのぽーぽー焼風蒲鉾」が話題になったことで、「ギフト向け商品を作っている貴千」というブランディングにつながりました。
貴千では、その後も次々と新しい商品を生み出していきました。2013年6月にはワインとよく合う新感覚のイタリアンかまぼこ「ボーノ棒」を発売。かまぼこのイメージを一新した商品で周囲をあっと驚かせました。
魚本来の味と力を極限まで引き出した逸品「魚さし」は、「2019年度全国蒲鉾品評会」の「むしやき・焼抜もの」の部で、最高賞の農林水産大臣賞に輝きました。メヒカリ、タラ、グチなどの最高級のすり身を使った魚さしは刺し身のようなしなやかな歯応えで、かむほどに口いっぱいに甘みが広がります。
2023年3月には、原点回帰し本物の味を追求した板かまぼこ「千」を発売。つなぎは一切使わず、厳選した白身魚のすり身に国産真鯛といわきの地酒「又兵衛」、天然調味料だけで味つけし、伝統の技術で作り上げました。ぐっと粘るような食感と魚本来の旨みを味わえるのが特徴です。
さらに、社員の力を借りて、TwitterやFacebookを駆使した広報にも力を入れました。そのかいあって、いわきのお土産としての認知度が高まり、高速道路のサービスエリアなどでも販売されるようになりました。
今や、貴千に「安い」というイメージはありません。震災後に立ち上げたECサイトは順調に売上げを伸ばし、全国から注文が寄せられています。
次々と新しい商品を生み出してきた小松さんですが「まだ何も成し遂げられていない」と謙虚です。
「実際、震災前の水準の売上には届いていません。震災後も原料の高騰やコロナ禍など、次々と起こる困難に何とか立ち向かっている状態です。それでも、勝ち残るために日々模索し続けるしかないんです」
大量生産から利益率の良い商品へシフトしたことによって起きた一番の変化を伺うと、意外にも「人」という答えが返ってきました。
「板かまぼこだけを量産していた時代は、単純作業が多く従業員は近所の方や高齢の方が多かったんです。ですが、商品開発を行いメディアに露出すると、会社の認知度が上がり、若い従業員の雇用が増えて会社が活性化するようになりました」
20〜30代の社員が増え、貴千はベテランの職人から若手まで幅広い年齢層が活躍し、活気にあふれています。
「新商品の開発は、独断で決めることはありません。従業員同士で話し合って、相談しながら決めていきます。貴千の商品はみんなで作り上げているんです。社員が希望を持って働いてくれる限り、走り続けていきたいです」
豊かな海の恵みを誇るいわきの文化を練り込み、社員一丸となって貴千3代目の挑戦は続きます。
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