目次

  1. かまぼこ屋だけには「絶対なりたくなかった」
  2. 新しいものを生むため外での修業へ
  3. 順調に歩み出した矢先の大震災
  4. 「代えの利く商品ではダメだ」と痛感
  5. 議論のすえに込めた一言
  6. 「安い」イメージを一新
  7. 新商品作りが生んだ変化

 かまぼこ貴千は、1963年小松さんの祖父・小松中司さんが創業しました。当時、周辺の港町一帯では練り製品工場が数多くあり、量産したかまぼこを首都圏へ出荷していました。

 かつて板かまぼこ生産量日本一の町として知られていたいわき市は、全国でもトップクラスのかまぼこ生産量を誇ります。

 「子どものころは昼夜なくかまぼこ作りに追われる両親の姿を見て、『絶対にかまぼこ屋だけにはなりたくない』と思っていました。敷かれたレールの上を歩くのは嫌だと反発する気持ちもありましたね」

いわき市永崎にある貴千の工場

 小松さんは県外の大学に進学し、海洋建築を学びます。しかし、時代は就職氷河期。希望の職種に就くことは叶わず、中古車販売の営業など職を転々としました。

 「果たして自分は、今の仕事に誇りを持って向き合えているだろうか……」。そんな時、小松さんの脳裏に浮かぶのはいつも忙しく働く両親の背中でした。

 転機が訪れたのは、子どもの頃から慕っていた祖父の死です。お葬式のために地元に戻った小松さんは、貴千初代である祖父の遺影を前にこれから進むべき道について真剣に考え、覚悟を持って家業を継ぐことを決心しました。

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