目次

  1. 東京オリンピック 祖父はコンクリート建築を学びに上京
  2. 「どこよりも小規模な総合建設会社」は地域のために
  3. 豪雨災害で知った放置竹林の怖さ
  4. 竹チップ事業と建設業がつながり始めた
  5. 「ミューラルアート」、そごう呉店跡地を彩る
  6. すべてがつながって相乗効果で事業が拡大

 中原建設は、佑介さんの祖父・金助さんが創業しました。大工として働いていた金助さんは、1963(昭和38)年、コンクリート建築の技術を学ぶために上京します。東京オリンピックに向けて、コンクリート建築物が新たな都市風景を作り出していました。そんな時代の流れにいち早く着目した金助さんは、東京で技術を学びます。

 2年後に帰郷した金助さんが型枠工事、コンクリート工事などを行う総合建設工事業として、1967年には中原建設として法人化しました。

中原建設のビル

 学校の校舎や大学の寮などの建設に携わり、住宅建設からトイレの水漏れ修理まで、地域の幅広いニーズに応えてきました。1997年には、佑介さんの父・勉さんが2代目の代表に就任し、2023年1月に中原佑介が代表取締役に就任し、創業57年目を迎えます。

 「うちはどこよりも小規模な総合建設会社なんです」

 家業についてこう語る佑介さん。中原建設の社員は8人。営業を置かず、社長も含めた社員それぞれが営業も現場も担ってきました。

 佑介さんは「あんたは後を継ぐ人じゃ」と、祖母に言われて育ちました。そのころ見ていたのは、祖父・金助さんの姿。金助さんは、瀬戸内海を一望できる野呂山のある川尻町観光協会を作り、草刈りなどの保全活動に積極的に取り組んでいました。

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