竹チップに巨大壁画……建設会社の後継ぎは街づくりに1/4の時間を使う
瀬戸内の島々を一望できる野呂山の麓に位置する広島県呉市川尻町で、中原建設は創業57年目を迎えます。地域密着型の総合建設会社として、地域のさまざまなニーズに対応してきました。中原佑介さん(37)は後継ぎとして家業の建設業に携わりつつ、竹チップや壁画アートなど街づくり事業に、仕事に携わる時間の1/4を使っています。
瀬戸内の島々を一望できる野呂山の麓に位置する広島県呉市川尻町で、中原建設は創業57年目を迎えます。地域密着型の総合建設会社として、地域のさまざまなニーズに対応してきました。中原佑介さん(37)は後継ぎとして家業の建設業に携わりつつ、竹チップや壁画アートなど街づくり事業に、仕事に携わる時間の1/4を使っています。
目次
中原建設は、佑介さんの祖父・金助さんが創業しました。大工として働いていた金助さんは、1963(昭和38)年、コンクリート建築の技術を学ぶために上京します。東京オリンピックに向けて、コンクリート建築物が新たな都市風景を作り出していました。そんな時代の流れにいち早く着目した金助さんは、東京で技術を学びます。
2年後に帰郷した金助さんが型枠工事、コンクリート工事などを行う総合建設工事業として、1967年には中原建設として法人化しました。
学校の校舎や大学の寮などの建設に携わり、住宅建設からトイレの水漏れ修理まで、地域の幅広いニーズに応えてきました。1997年には、佑介さんの父・勉さんが2代目の代表に就任し、2023年1月に中原佑介が代表取締役に就任し、創業57年目を迎えます。
「うちはどこよりも小規模な総合建設会社なんです」
家業についてこう語る佑介さん。中原建設の社員は8人。営業を置かず、社長も含めた社員それぞれが営業も現場も担ってきました。
佑介さんは「あんたは後を継ぐ人じゃ」と、祖母に言われて育ちました。そのころ見ていたのは、祖父・金助さんの姿。金助さんは、瀬戸内海を一望できる野呂山のある川尻町観光協会を作り、草刈りなどの保全活動に積極的に取り組んでいました。
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「休みとか大晦日も、家にいないんですよ。ずーっと、野呂山の草刈りばっかりしてて(笑)」
山を訪れる人のために、町のために行動する金助さんの姿は、強く印象に残っていると言います。
「自分も今、建設業をしながら土日に竹林整備や竹チップのことをしている。祖父と同じなんですよね」
大学卒業後は都会に出たいと考えた佑介さんは、大阪に本社がある建設会社に就職し、現場監督として働き始めましたが、父の勉さんから「後継ぎとして帰ってこないか」と声をかけられ、28歳で故郷へUターンすることにしました。
家業に戻り、懸命に仕事を覚える日々のなかで、佑介さんの心をとらえたのは、呉という街の魅力でした。瀬戸内海に浮かぶ美しい島々、四季折々の自然を愉しめる野呂山。これまで向き合ってこなかった街の持つ力に、改めて気付かされたと言います。
そんな街を2018年7月、これまで経験したことのないような豪雨が襲います。あちこちで土砂崩れが発生しました。中でも竹林はほかの木々よりも根が浅いため、土砂崩れが起きるリスクが高いと言われています。
佑介さんが気づいたのは、呉における竹林の多さでした。竹林は、マツダスタジアム162個分に相当する374haに広がっていることを知ります。
同じことを起こさないためには、竹林の手入れが不可欠です。そんな時、災害ボランティアを通じて出会ったのが、広島県の特産品としてレモンの6次産業化に取り組む「とびしま柑橘倶楽部」でした。
話し合う内に、最初はちょっと仕事がない時にできればいいかなと軽い気持ちだけだったものが放置竹林問題の解決という部分にたいして何か責任感のようなものが湧いてきました。
佑介さん放置竹林問題を解決するために竹チップを加工販売する「TEGO(てごう)」プロジェクトという形となって動き始めました。
「TEGO」は、広島弁で「お手伝いする」を意味する「てごうする」から考えたネーミング。2019年2月には、竹粉砕機を購入するためクラウドファウンディングを開始し、竹粉砕器を購入することができました。
2020年1月ごろからは、竹チップの販売をスタート。畑や庭などにまいて防草剤として使えるのはもちろん、発酵させて堆肥として使うなど、さまざまな可能性をアピールした竹チップは展示会でも好評で、環境に配慮した商品として確かな手応えを感じました。その後、口コミなどで徐々に評判になっていきました。
竹チップを庭や畑などにまく作業も請け負っています。2022年10月には、中原建設の取引先を通じて東京のマンションの庭に竹チップを施工する仕事の依頼がありました。
ほかにも、施工した建物の庭に竹チップをまく提案をしたり、竹チップをまいたときに「レンジフードを換えてほしい」という依頼を受けたりと、建設業と竹チップ事業が重なり合い、相乗効果でビジネスが広がっていきました。
TEGOは法人化し、今後は広島県の特産物である牡蠣の廃イカダを活用した竹チップの製造にも漁業関係者と連携しながら広島の問題を解決する糸口となる事業を広げていきます。
街との関わりが広がっていった佑介さんが次に気になったのは「壁」でした。
「最初は、“壁貸し不動産”みたいなことができないかなと思ったんです。壁に絵を描いて、広告にして、建物の所有者に収入が入るようなしくみを作れないかと。そういう視点で壁を見ていくなかで、自分自身も好きな“ミューラルアート(壁に描くアート)”で呉の街の魅力を発信できないかと考えるようになりました」
佑介さんは、地元の仲間とともに「Art地project実行委員会」を結成。2022年4月には、呉中央公園で開催されたマルシェイベントで「自由に描ける壁」を設置し、参加者にスプレー缶で絵を描いてもらいました。
最初は戸惑っていた参加者も、次第に足を止めるようになり、最終的には約200人が参加し、まっしろだった壁は、色あざやかなアートの壁へと生まれ変わりました。
手応えを感じた佑介さんたちは、「旧そごう呉店跡地の壁をミューラルアートで彩るイベントを開催できないだろうか」と考えます。
JR呉駅前にあった旧そごう呉店は、10年前に閉店した百貨店です。駅前周辺では総合開発が計画されており、そごう呉店の建物は呉市が取得し、今は白い壁で囲まれています。その壁をミューラルアートで彩るイベントを行いたいと考え、佑介さんたちは動き始めます。
駅前開発はさまざまな部署が関係しているため、最初に市役所を訪ねた時はまったく話が進まなかったと言います。
しかし、そこで諦めず、繰り返し足を運び、何度も会って話を続けました。さらに、地域住民や市議会議員を巻き込み、ついに呉市との共催で、そごう呉店跡地だけでなく、周辺の商店街と地下道もミューラルアートで彩る壮大なイベントへと広がりました。
9月初旬、アートの下書きが始まったころは、不安そう眺めていた街の人たち。しかし、次第に色がつきはじめると、アートを楽しみに歩く人が増えていきました。
イベントを企画した「Art地project実行委員会」のメンバーは7人。佑介さんら4人は地元企業の後継ぎで、不動産業、造船業、制服製造業と、呉の街に深く関わってきた業種ばかりです。
メンバーの1人で、不動産業の後継ぎでもある山根麻里さんは、「自分たちが楽しめる街、住み続けたい街にするにはどうしたらいいんだろうっていうのをずっと考えてきた」と話します。自分や家族、仲間とともにこれからも生きていくこの街を楽しくしたいという共通認識が、彼らを動かしています。
アーティストたちが1ヵ月間、呉で暮らしながら、壁に向き合い制作したアートが完成。その完成を記念して2022年10月9日にオープニングイベントを開催しました。BMXやDJ、ブレイクダンスなどストリートカルチャーに触れる機会となりました。
建設会社の後継ぎが「まちづくり活動」に取り組む意義について、佑介さんはこう語ります。
「自分の好きなことと、お客さまの求めることと、地球環境やSDGsなど社会的に価値のあること、その3つが交わることできたらいちばんいいと思っています。活動を続けるうちに、いろんなことが次第につながってきて、相乗効果で事業が広がっています」
実際に、中原建設にも変化がありました。元々は公共事業などが中心でしたが、デザイン性の高い住宅の仕事が増え、Art地project実行委員会のメンバーが経営するカフェの設計施工を佑介さんが担当するなど、事業の幅が広がっています。
今は、建設業を3/4くらい、残り1/4をTEGOなどの事業に充てていると話す佑介さん。56年の実績をもとに地域の信頼を獲得してきた中原建設に、佑介さんのさまざまな挑戦を通じて多彩な人がつながり、相互作用で新たな価値が生み出されていきました。呉という地方都市を舞台に、佑介さんはこれからも挑戦を続けます。
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