伝統の「麦わら」を直営店でも販売 田中帽子店6代目が広げた顧客層
1880年創業の田中帽子店(埼玉県春日部市)は年間5万個を製造する麦わら帽子専門の工房です。古き良きものづくりは有名ブランドや大手百貨店からも一目置かれており、メディアに出る機会も少なくありません。6代目の田中優さん(32)は直営店の立ち上げや商業施設とのイベントなど、地元に根づいたブランディングを推し進め、数えるほどになった麦わら帽子工房の後継者としてひとり気を吐いています。
1880年創業の田中帽子店(埼玉県春日部市)は年間5万個を製造する麦わら帽子専門の工房です。古き良きものづくりは有名ブランドや大手百貨店からも一目置かれており、メディアに出る機会も少なくありません。6代目の田中優さん(32)は直営店の立ち上げや商業施設とのイベントなど、地元に根づいたブランディングを推し進め、数えるほどになった麦わら帽子工房の後継者としてひとり気を吐いています。
目次
田中帽子店が1年に作ることのできる麦わら帽子の数はおよそ5万個。2023年は上限に達する勢いです。好調要因はメディアへの露出。ここ数年、ぐっと増えたそうです。
夏の風物詩と言えば、かき氷、風鈴、麦わら帽子。田中帽子店は数少ない麦わら帽子の工房です。父の英雄さんのころから取材依頼は多かったと言います。
「ところが父は大のメディア嫌いときた。まず受けることはなかったんじゃないでしょうか。自分が出るのは嫌だけれど、メディアの効用はわかっていた。そこで息子に白羽の矢を立てた。父はわたしを広告塔に仕立てたんです」
メディアに取り上げられようと思えばオリジナルブランドがあったほうがいい。英雄さんは田中さんへの承継を決めた段階で、「田中帽子店」を立ち上げました。2012年のことです。
田中さんが修業先から戻ってきた16年には社長の座も譲りました。「社長といっても名ばかりです。実際の経営は父がやっていましたから」
田中さんには継ぐという発想がありませんでした。英雄さんもそのことについて言うことはありませんでしたが、大学を卒業しても定職につかなかったことは許せなかったようです。
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フリーターをやりながらDJの道を模索していた田中さんはある日、人生ではじめて有無を言わさぬ口調で言われました。「お前はうちを継げ」と。その迫力に押された田中さんはあらがう余地なく修業に出されました。水野ミリナーという東京都墨田区にある帽子問屋です。
「3年あまりお世話になりましたが、終わりの1年は(麦わら帽子の)縫製の実演で日本各地を回っていました。実際のものづくりに触れて、これって愛してやまない世界じゃないかって気づいた。ノンウォッシュのデニムやフルグレインレザーの靴のように育てられるものが好きだったし、DJでは古いハウスミュージックを好んでかけました。家業の世界観は空気さながらわたしの肺に取り込まれていたのです」
帽子はスタイルを格上げするアイテムであることにも気づきます。おしゃれは足元に始まり、頭で終わる――英雄さんの座右の銘がすとんと腹に落ちました。
「田中帽子店」は不朽のスニーカーとうたわれるコンバースのオールスターを目指しています。その心は、おしゃれな人はもちろん、そうじゃない人も構えることなく採り入れられる麦わら帽子。田中さんは家業入りしてほどなく、デザインの一切を任されました。展開点数はざっと数十、価格帯は1万円前後が中心です。
「手前みそながら、うちの麦わら帽子は素材も作りも申し分がありません。このポテンシャルを生かすには余計な装飾はいりません。ベースデザインは欧米の歴史から拾ったオーソドックスなものばかり。シンプル、かつ定番と呼べるようなものが作れれば生産ラインもスムーズに流れます」
田中帽子店らしさはなにかと言えば、わずかなプロポーションの変化です。たとえば、ツバを狭くしたり、帽体を低くしたり。現代のライフスタイルに溶け込ませるその手腕はOEM(相手先ブランドによる生産)を行うビームスやユナイテッドアローズからも高く評価されています。
「間違いなく修業時代の経験が役に立っていますね。さんざん接客をして、黄金比のようなものがわかるようになりました」
オリジナルブランドは現在、売り上げの6割を占めるまでに育ちました。主な取引先はライフスタイル書店のツタヤや伊勢丹などの百貨店。コロナ禍でOEMは苦戦を強いられていますが、その落ち込みをオリジナルがカバーしている格好です。
「営業や販促は総代理店契約を結んだ地元の会社に一任しています。わたしは5代にわたってつないできたものづくりを守ることで手いっぱいですから」
「3時になるとおやつ休憩に入っちゃうんで、そろそろ工房をご案内しますね」
田中さんに導かれて入った工房には、小さな入り口からは想像もつかない作業スペースが広がっていました。
いきなり目に飛び込んできたのは、棚にずらりと並んだ黒光りした木型でした。
「田中帽子店の麦わら帽子は何時間被ってもこめかみが痛くなりません。日本人の頭部に合わせた木型だからです。欧米は卵型ですが、田中帽子店で使っているのは丸型。もう作れる職人はいないんじゃないでしょうか」
麦わら帽子の工程は大きく分けて縫製、寒干し、型入れ、仕上げの四つです。
縫製はつむじを起点に弧を描くように縫っていきますが、つむじの部分は小さすぎてミシンの送り歯に乗りません。職人の経験と勘がものを言う工程であり、それなりのキャリアを積んだ人間でなければ任せられません。木型に当ててかたちを確認する作業も無駄がなく、熟練の職人を思わせました。
次が寒干し。いわゆる天日干しです。これをやるのとやらないのではまるで仕上がりが変わってきます。日に当てた麦わらは編み目が締まり、型崩れしにくくなります。
そして、型入れ。先々代の時代から使っている水圧のプレス機で成型します。風圧のプレス機もありますが、かたちがきれいに出るのは水圧だそうです。そのプレス機はみるからに頑丈な作りで壊れる気配はありません。
プレス機が使えないケースもあります。たとえばオートクチュールがそうです。まさに型にハマらない注文は手蒸しと言って、アイロンワークで成型していきます。
極細の素材を使うオートクチュールの制作は祖父の行雄さんが担っています。若手も育っていますが、まだまだ行雄さんの領域です。
「わたしもこれ(手蒸し)で作ったタコがいまだになくなりません」と言って、田中さんは手のひらを広げました。
田中さんは家業入りして数年は生産ラインに入り、一通りのことを学びました。
「効率化しようと思えば現場のことを知らなければ始まりませんからね。ところがかえって手間のかかることばかり増えてしまい、我ながら困っています。一例を挙げれば、ウィメンズの『カサブランカ』は縫製途中でいったんプレスしています。これによりツバの角度がキマるんです。ほんらいはツバの縁まで一気に縫うものですから、たいへんな手間です」
最後のとりでは、ヒゲ(ささくれ)をハサミで一つひとつ取り除いていく工程。4〜5人の仕上げ担当が日がな一日、ヒゲと格闘しています。作業着を洗濯すると、洗濯機はヒゲだらけになるそうです。
素材は麦わらで編んだ真田紐。麦稈真田(ばっかんさなだ)と言います。「田中帽子店は麦稈真田を作るところから始まったんですが、現在は内モンゴルなどのアジアから仕入れています。湿度が低く、広大な土地で育った麦は締まりが良く、色ムラもありません」
麦わらは無数の穴が開いた繊維ゆえ、通気性があって涼しく、軽い。遮光性にも優れます。日光に当たるときらりと光るのも麦わらならではです。
「ちまたにはその名のとおり紙を原料としたペーパー素材の麦わら帽子があふれています。安いのはいいんですが、機能的には劣る。蒸れるし、UV加工なので遮光性能はいずれ衰えます」
なによりもたたずまいが異なります。田中帽子店の麦わら帽子は手をかけた天然素材のプロダクトのみがそなえる風格がありました。
現在、田中帽子店に在籍する職人は11人で、ほかに内職が10人います。年代は下は20代から上は80代になります。
「退職した職人さんも内職として仕事を請けてくれます。内職は意欲ある彼らの受け皿になるだけではなく、一個いくらの工賃制だから、人件費が抑えられる。古い業界ではこの仕組みがなければやっていけません」
5万個を上限とする生産体制はこれからも維持したいと田中さんは言います。
「ご覧いただいたようにすべては職人の手を介して作られます。天候にも左右されますから、計画通りにはあがりません。だからといって追い込みをかけるようなことはしません。無理をすれば必ずと言っていいほど品質が犠牲になるからです。取引を始めるにあたってはまずは現場をみていただきますので、クライアントも理解があります。5万個という数字はそのような態勢で達成できる限界なのです」
田中さんが自らの考えで立ち上げたのが直営店です。20年、工房の敷地内にオープンしました。
「オリジナルブランドはオンラインから始まり、おかげさまで全国にファンができました。ところが地元での知名度は低く、じくじたる思いがありました。観光客しかこない飲食店ってあるじゃないですか。ああいう風にはなりたくなかった」
田中さんの郷土愛は筋金入り。総代理店の営業担当もそうですが、新たに取引を始めた表参道の店のオーナーも、DJ時代に可愛がってもらった恵比寿のクラブの店長も、すべて春日部市出身です。
「春日部あっての田中帽子店ですから、ここに暮らす人々に愛されたいんです」
春日部駅前の商業施設ララガーデンと協業したイベントも精力的に行っています。20年に始めたハッシュタグ企画「♯麦わら帽子と春日部」がそれです。
「夏の風物詩に、と声がかかり、喜んで協力させてもらっています。麦わら帽子をかぶった地元の人々の写真を募集し、展示するもので、毎年200枚以上が集まるんですよ。撮影をお願いしているフォトグラファーも春日部の人間です」
季節商品である麦わら帽子でも、観光ついでなら季節を問わず買ってくれるのではないかという読みもありましたが、これも見事に当たりました。直営店の売り上げはそれまで弱かった関西や海外からのお客さんが少なくないウェートを占めます。
量産に向かないものや試験的に作ってみたものなど正規ルートに乗らない商材がそろうそうで、これも足を延ばしたいと思わせるのに一役買っています。
麦稈真田は残りわずかになれば糸継ぎの要領であらたな麦稈真田につなげて使います。端材の生じにくい素材ですが、それでも変色するなど製品化に適さない部分も出てきます。田中さんはこれをコースターや入れ物にして店に並べています。
今後のテーマに掲げるのは農業に従事する人々の道具になること。それは創業時に立ち返る試みです。
「麦わら帽子は本来、ファーマーのための帽子ですからね。種をまいたのはユーチューブです。ひとりは、バラエティー番組『学校へ行こう!』で人気者になったパークマンサーさん。彼は芸能活動のかたわら、地元富山で畑を耕しています。もう一人はムニファームのヒロさん。彼らのユーチューブでの活動を通して、麦わら帽子の魅力を伝えているところです」
ふたりとも元々、田中帽子店のファンだったそうで、現在はコラボレーション・モデルを作ったり、田中さんみずからユーチューブに出演したりとさまざまな活動をしています。
古くからのものづくりを守りつつ、地元を愛し、ファーマーのために――。まだ30代の若手ながら、田中さんのスタンスはしっかり地に足がついていて、シャッポを脱がざるを得ませんでした。
6代にわたって商売が続いた理由を尋ねると、「意地じゃないでしょうか」とおどけましたが、実直な取り組みは代々受け継がれてきたものなのでしょう。それこそ田中さんの肺は家業の空気に満たされていたのです。
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