「放蕩息子」が挑んだ旅館再生 和多屋別荘が目指す「脱1泊2食」
佐賀県嬉野温泉の和多屋別荘は、2万坪(6万6千平方メートル)の土地と客室数100室以上の老舗旅館です。3代目社長の小原嘉元さん(46)は、一度は「放蕩息子」という断を下され家業を放り出されながら、旅館再生事業の経験を積み、36歳で社長に就任。経営危機だった家業を立て直し、茶農家を巻き込んだティーツーリズムやサテライトオフィスの誘致、文学賞の創設など「1泊2食」という収益スタイルに依存しない経営を進めています。
佐賀県嬉野温泉の和多屋別荘は、2万坪(6万6千平方メートル)の土地と客室数100室以上の老舗旅館です。3代目社長の小原嘉元さん(46)は、一度は「放蕩息子」という断を下され家業を放り出されながら、旅館再生事業の経験を積み、36歳で社長に就任。経営危機だった家業を立て直し、茶農家を巻き込んだティーツーリズムやサテライトオフィスの誘致、文学賞の創設など「1泊2食」という収益スタイルに依存しない経営を進めています。
目次
2022年秋、和多屋別荘の壁一面に「三服文学賞」と書かれた巨大なタペストリーが掲げられました。温泉、お茶、焼き物などをテーマに、エッセー・小説・詩・短歌といった文芸作品を募集したのです(応募受付は終了)。
地域発の文学賞は数あれど旅館主体のものはほぼ無く、発表当時から話題になりました。大賞は1年間のアーティストインレジデンス権、つまり1部屋を1年間自由に執筆に使える権利が与えられます。
文学賞創設のきっかけは、21年11月に和多屋別荘内に作った書店「BOOKS&TEA三服」でした。この時、館内にはフランスの世界的パティシエ、ピエール・エルメとコラボした物販施設など7店を開業。「泊まる旅館」から「通う旅館」へと進化させるプロジェクトを始めました。
その指揮を執ったのが3代目の小原さんです。しかし、3代目の事業承継は順当といえるものではありませんでした。
1950年創業で、有名温泉街を代表する旅館の3代目は何不自由なく育ち、18歳で嬉野を離れました。しかし、進学した大学を中退してしまいます。その身をおもんばかってか、会社は福岡市にIT事業を生業とするオフィスを開きました。小原さんは本体の旅館業とは距離を置きつつ、社会人としてのスタートを切ります。
ところが和多屋別荘は同族企業のテーマパークの不振やバブル崩壊などの影響を受けて、2001年、経営危機に陥ります。福岡オフィスは閉鎖され、小原さんが住んでいたマンションも取り上げられました。
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「当時の私はこの旅館はださいと思っていました。借金はおじいさんと親がつくったもので、僕はそんな目には合わないと。勘違い野郎だったんです」
すでに社員のリストラという深刻な事態に進んでいても、3代目の心には響きません。「水明荘」という独立した別棟の客室を譲り受けたい、という的外れな申し出をしたほどでした。
そんな「放蕩息子」の様子に、再生を担っていたコンサルタントは先代に詰め寄ります。「会社を取るか、この異分子を切るか選びましょう」。先代の父は当然会社を取り、小原さんは家業から放り出されてしまったのです。
小原さんは福岡市の小さなマンションで姉とウェブ制作会社を興しました。その後、和多屋別荘は社員や地域、金融機関の支えもあって一時的に再生します。小原さんは家族の強い勧めで数年ぶりに父親と再会。その時、先代から出た言葉は「経営者になりたいんだろう。(和多屋別荘の再生を手がけた)コンサルの先生のもとにいきなさい」。
小原さんの胸に浮かんだ気持ちは「どうでもいい」だったといいます。会社から放り出されたあとの暮らしは楽ではありませんでした。自分が家業を去るきっかけを作った人の元で学ぶのは考えられなかったといいます。その怒りは注文したコーヒーがテーブルに並ぶ前に早々と席を立ってしまうほどでした。
しかしその晩、家族から気持ちを切り替えるよう説得され、ようやく「道を踏み外しているのかもしれない」と悟った小原さん。コンサルタントの会社に行く決心をします。05年のことでした。
気持ちは傾きかけていたとはいえ、完全に改心まではしていなかった小原さん。義理を果たすため、ひとまずコンサル会社へ足を向け「大変お世話になりました」と半日で帰る予定でした。ところがそこで見た景色が小原さんを変えます。
「自分より頭のいい人たちがつぶれかかっている会社のために、懸命に働く会社でした。人様からお金をもらうとはこういうことかと気づき、自分たちがやってきた仕事が、急にままごとのように見え始めました」
そこから小原さんはがむしゃらに働き、そこで身に付けたノウハウをもとに自ら旅館再生事業専門のコンサルティング会社を起業。約10年で80件を超える旅館の再生事業に取り組みました。
「旅館の2代目や3代目に多く会いましたが、全員が僕より100%マシでした」。小原さんは自身の歩みも改めて見つめなおすことになりました。
そんななか、リーマン・ショックや東日本大震災などの影響で、和多屋別荘は13年に再び経営危機に陥り、小原さんは36歳で事業承継のバトンを受け取ります。
後継ぎとしての最初のミッションは、業者への支払いや税金、社会保険料などを含め、3億5600万円あった未払い金を30カ月の分割で返すことでした。
小原さんは内部環境に手を入れていきます。「社員は頑張っているのに、利益が残っていないように映りました。それと、大きかったのは施設が愛されていなかったことです」
お金をかけて作った箇所も手入れされずにそのままになっており、造花も多く、装飾品も備品も整理されずにたまる一方でした。旅館の脇を流れる川の景色を座って眺められるスペースも一つもありませんでした。
小原さんと社員との間に溝もあったといいます。「普通はフロントマンから専務、常務となるのに、いきなり落下傘社長ですから。モチベーションは低いですよね」
自らコミュニケーションをとるように心がけ、溝を埋める努力をしました。施設の中庭に月見台を作るなどパブリックスペースを充実させる姿に冷ややかな視線を感じることもありましたが、宿泊客が良い反応を示したこともあり、社員の心も少しずつ変化しているように感じました。
不必要な支出を減らしたうえで、金融機関や役所などの公的機関に支払いを猶予してもらい、業者などへの未払い金を優先的に支払いました。
未払い金を払い終えたのは、就任3年後の15年11月末でした。
一方、小原さんの耳には「なぜ町のことに関わらないのか」という意見が届くようになっていました。全国旅館生活衛生同業組合連合会の会長も務めた先代の存在と、温泉街を代表する旅館への期待もあったことでしょう。
小原さんは「旅館経営者として人様に迷惑をかけている」という申し訳なさが先立ち、表立った動きはずっと控えていたそうです。
それでも未払い金を払い終えたころになると、昔から知る商店主らから「嘉元くん、何かしたほうがいいよ。これだけ大きい旅館なんだから」と求められました。
小原さんが16年に立ち上げたのが、特産の嬉野茶に新たな光を当てて価値を高めるプロジェクト「嬉野茶時」でした。「18歳で町を出て18年ぶりに戻り、借金を返す間は大変でした。しかし四季折々を通じて見ると、嬉野の文化の豊かさは良いものだと気づきました」
1300年の歴史を誇る温泉と、500年続くお茶、400年続く吉田焼。嬉野は三つの歴史と伝統文化が共存する希少な場所だと再発見したのです。
「嬉野茶時」は小原さんなど温泉旅館の経営者と窯元、茶農家などのメンバーが主体となって活動しています。当初は東京都内の有名ホテルを中心に嬉野茶をメインとしたイベントを重ね、多方面から好評を得ました。
のちに、多くの人に嬉野に来てもらおうと始まったのが「ティーツーリズム」です。嬉野温泉街を見下ろす高台の茶畑に茶室を設け、茶農家の話を聞きながらお茶を味わうティーセレモニー体験が主体となっています。嬉野茶を楽しむだけでなく、吉田焼や温泉も親しむといった、嬉野文化を横断する新たな観光の形を打ち立てたのです。
この取り組みが注目を集め、全国の茶産地からの視察も多く受け入れています。
小原さんは和多屋別荘の2万坪の敷地と130の客室(当時)、器を含む備品などの資産の数々が持つ魅力も再発見しました。
宝をいかそうと客室などを改修し、20年3月から取り組んだのがサテライトオフィス事業です。地方創生事業などを手がけるイノベーションパートナーズという企業とコロナ禍前から協業で準備し、佐賀県や嬉野市を巻き込みました。コロナ禍に入ってすぐのオープンとなり、世間の注目も集めました。
入居条件は嬉野市か和多屋別荘にシナジーを生む企業であること。温泉に入り放題であることも話題となり、東京のIT企業など4社が最初の入居者となりました。現在は11社が利用しています。
「同じビルで働く、違う会社のスタッフが同じ温泉に入るというのはまずありません。日々の業務の面からも会社の枠組みを超えた交流やコミュニティーが生まれています」
この地を基点に企業同士が出会い、新事業の創出が期待されます。「地域課題を解決するシリコンバレーにしていきたいです」と小原さんはいいます。22年3月には、スタートアップや起業家を支援する施設として、温泉インキュベーションセンターを開設しました。
小原さんは以前から「1泊2食」という従来のサービスだけに依存してきた旅館業に疑問を感じていました。コロナ禍で宿泊客が減り、休館を余儀なくされたことで、その課題はさらに浮き彫りになったといいます。オフィス空間やコワーキングスペースへの変換は、資源の有効活用といえます。
コロナ禍前に15億円ほどあった売り上げは、悪いときで6億円までに下がるなど影響は続くものの、サテライトオフィスなどのリーシング事業は好調で、利益率は一定の水準を保ち続けています。
「自分の職種は『2万坪の土地の管理人』だと思っています。旅館経営者単体の考え方で仕事をすることは一切ありません。サテライトオフィス以外にも、可能性があれば今後もいろいろと展開していきたいと考えています」
かつて「放蕩息子」だった小原さん。旅館経営者として相手を思うホスピタリティーのマインドを大切にしながら、ネオ旅館の姿を追い求め続けます。
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