M&A、買い手から見た全体像 売り手には見えづらい社内手続きの流れ
後継者不在などを理由とした中小企業のM&Aが増えています。一方で、M&Aの経験がない売り手側からすると、取引の全体像を把握することはなかなか難しいのではないでしょうか。そこで、事業課題の解決プラットフォーム「KnowHows(ノウハウズ)」を運営する錦織康之さんが、M&Aアドバイザーの経験をもとに買い手側の視点から見たM&Aのプロセスについて解説します。
後継者不在などを理由とした中小企業のM&Aが増えています。一方で、M&Aの経験がない売り手側からすると、取引の全体像を把握することはなかなか難しいのではないでしょうか。そこで、事業課題の解決プラットフォーム「KnowHows(ノウハウズ)」を運営する錦織康之さんが、M&Aアドバイザーの経験をもとに買い手側の視点から見たM&Aのプロセスについて解説します。
目次
M&Aアドバイザーを名乗る人物から、そんな手紙が届いた経験はありませんか? 中には何回もしつこく届いてうんざり……という人もいるかもしれません。
こうした手紙は、買い手企業側からの依頼を受けたM&Aアドバイザーが、売り手企業の候補を探す際に送っています。人脈をたどって直接コンタクトを取ることも多いのですが、その手段がない場合は手紙を送るしかないというわけです。
時には事業承継をしたばかりの経営者にも、こうした手紙が届く場合があります。
未上場企業の場合は株主変更を開示する義務がないため、M&Aアドバイザーは事業承継の事実を知ることができません。そのため、まだ事業承継をしていないものとして手紙を送ってしまうわけです。
M&Aには、多くのプロセスが存在します。
中には売り手側の企業から見て「なんでここまでする必要あるの?」「これになんの意味があるの?」と思ってしまうこともあるかもしれません。多くの場合、M&Aの買い手側の事情が語られることは少ないので、なおさらでしょう。
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そこで今回は、買い手側の企業の目線から、M&Aのプロセスを解説していきます。買い手側が社内でどんな手続きを経ているのかを知ることで、より理解が深まるはずです。
M&Aの最初のフェーズは、売り手企業となる候補の選定から、両社の初回面談までです。
「どの企業とM&Aを行うのか?」。まずは、ここから決めていく必要があります。
この調査は企業側が行う場合もありますが、M&Aの専門部署を持たない企業のほうが一般的です。その場合、M&Aアドバイザーに買収可能性のある企業の調査を依頼することになります。
調査結果は「ロングリスト」と呼ばれる30~50社の候補リストにまとめられます。
買い手側企業はアドバイザーと相談しながら、買収目的や事業戦略をもとに、このリストを絞り込んでいきます。こうして最終的に残った候補のことを「ショートリスト」と呼びます。
次に行われるのが、絞り込んだ企業への具体的なアプローチです。M&Aアドバイザーが、ショートリストの企業と直接コンタクトが取れればよいのですが、つながりがない場合、知ることのできる相手の情報は「代表者名」と「会社住所」だけです。
冒頭で紹介した「M&Aアドバイザーからの手紙」は、そんな時に送られてきます。
近年、事業承継の問題で悩みを抱えている経営者も多くいます。一定数の社員を抱えているが、2代目が見つからない。
「このまま会社をつぶすしかないのか……」
そう思っていたところに、M&Aを打診する手紙が届いた。そんなタイミングの一致があれば、M&Aの検討が動き出します。
こうして具体的な話が進みはじめるのですが、多くの場合、初期段階では、買い手側の企業名は伏せられたまま、やり取りが進みます。
売り手側からしてみれば「なぜ素性を明かさないんだ?」と不信に思うかもしれません。しかし、これには意味があります。
企業のM&A活動は、売り手側や買い手側の事業に大きく影響を与える情報です。特に売り手や買い手が上場企業である場合、株のインサイダー情報にもつながります。
機密情報の漏洩を防ぐために、企業名の開示には慎重になる必要があるのです。
やり取りの中で基本的な情報を確認し、売り手側・買い手側が前向きな姿勢になって初めて、NDA(秘密保持契約)を結んだうえで企業の情報が明かされます。
次に行われるのが、売り手側と買い手側企業の「初回面談」です。
買い手側の買収企業の代表、担当役員、買収責任者が出席し、売り手側と直接話をします。売り手側が前向きな場合、初回面談の時点で財務情報を出すケースもあります。
買い手側が大企業、かつ代表が出席するような場合は、かなり買収に対して意欲的であると考えてよいでしょう。
なお、面談を行わずに書面でやりとりをするケースもあるのですが、筆者としてはできるだけ早く「初回面談」を行ったほうがいいと考えています。
初回面談は、双方の経営者の人格や話し方、志を確認するプロセスです。
書面での情報では有望でも、実際に会って話した結果、買収が破談になるというケースも多くあります。そうなれば、今までの労力が全て無駄になってしまいます。
また稀ではありますが、「買いたい」といいつつ、実際には売り手側の情報だけを握ろうとする企業もいるかもしれません。
M&Aの交渉における情報共有は競合企業の事業状況を把握するのに都合がよく、マーケティング調査のためにM&Aの交渉を行っているケースもゼロではありません。実際、競合間での買収交渉はかなり慎重に進めます。
本当に買収をする気があるのか、互いの本気度を確かめるという意味でも、早い段階で直接会って話をすることをおすすめします。
初回面談が済んだら、いよいよ具体的な交渉へと進んでいきます。
まず第一段階では、買い手側のM&A担当部署や、M&A後に関係が生まれる部署との間で、「買収検討を更に進めていくべきか?」という検証です。
この時期に行われるのは、以下の3つが主となります。
それぞれ順番に解説します。
まず大前提として共有されるのは、売り手側と買い手側の企業文化や制度が買い手側と一致するか? という確認です。
M&A後の組織統合(PMI)をスムーズに行うためには、両組織の文化のすり合わせが必要不可欠です。だからこそ、各組織の文化の事前共有が最初に行われるのです。
ここでは主に、以下のような項目が検討されます。
次に行われるのは、「デューデリジェンス」と呼ばれる、売り手側の企業調査です。
この調査は、買い手の財務部門のほか、買収後に連携する営業部門や関連事業部も関わります。
例えばECサイトの事業を買収するのであれば、モバイルサイトやアプリの存在や、データベースの規模、知的財産権の問題、広告の種類・単価など、重要な情報をもとに詳細なデューデリジェンスなどが必要になります。
最後に、買収額に関わる情報も含んだ情報交換が行われます。
買い手側の部署としては「買収想定額」と「自社で新規事業として実行が可能か」の双方から検討することが多く、自社で買収想定額以下の投資にて立ち上げることができると判断した場合には、破談になってしまうケースもあります。
売り手側としては「高く売りたい」と思うところですが、相手がゼロから立ち上げるコストを想定しつつ、ある程度のラインでの価格を想定額として提示する必要があるわけです。
またそれ以外に、買収において以下のようなリスクになる情報を交換します。
こうしたリスクについて、損害の範囲がシミュレーションできていればよいのですが、係争が進行中でリスクの算定ができないような場合は、状況によって破談になることもあります。
M&A後にこうした問題が思わぬ負債になり、買収額以上のリスクになるおそれがあるからです。
オーナー企業であれば、オーナーの一存で買収が進むこともありますが、見えない、限定できないリスクがある企業の買収を決定する企業はかなり稀です。
ここで開示したリスクの範囲をどのように定義・証明し、打開策を打ち出せるか。ここがM&Aアドバイザーの力量とも言えます。
デューデリジェンスが終わると、買い手側は売り手側に対して「中間契約」「基本合意契約(LOI)」と呼ばれるものを締結することがあります。
この契約では、買い手側は売り手側に「独占交渉権」を認めるよう求めます。これ以降の一定期間は今の買い手とのみ交渉し、他の買い手がいたとしても交渉しない、という条項です。
M&Aに向けてさらに詳細な手続きを行う中で、買い手は外部の顧問税理士、公認会計士、弁護士など多くの専門家への依頼をしていきます。
そこには多くのコストや自社内の重要な決定機関、買い手側の役員などの調整に時間がかかるため、独占交渉権によってM&Aの確度を高めておき、内部調整を進めたいのです。
いっぽうの「基本合意書(LOI)」は、「〇〇なことがない限り〇〇の金額で買収を行います」という条件付きの契約内容などを示したものです。
この際の条件が最終契約の内容とほぼ同等となりますが、あとあと根本的な問題となりそうな内容をこの時点で洗い出しておくことで、後々のやり取りをスムーズにする意図があります。
一方で売り手側の企業も、買い手側企業に対して「意向表明書」の提出を求めることができます。意向表明書とは、買い手側のM&A後の経営方針や、役員・従業員などの処遇などの条件や方針について記載された書類のことです。
法的な拘束力はありませんが、意向表明書の提出には、一般に買い手側企業の役員会などによる機関承認が必要となります。
つまり、機関承認を経た意向表明書は、買い手側が「経営層を含めM&Aを進めたいという意思がある」ことの裏付けと見ることができるのです。
これらの書面の提出は必須ではないので省かれることもありますが、筆者としては段階を踏んでステップアップをしていくことをおすすめしています。
意向表明書と中間契約書の締結が終わると、最終段階のデューデリジェンスと最終契約が行われます。買い手側にとっては最大の正念場となる時期です。
契約に向けた、最終段階のデューデリジェンスが行われます。
特に大手企業では、買い手の会社内部だけではなく、買い手の株主に対する説明責任を果たす情報を用意しておく必要があります。
社内と異なり、株主には様々な考えを持つ人がいます。このような状況で、あらゆる質問・指摘に備えていかなければなりません。
だからこそ、最終段階のデューデリジェンスでは、法務・人事・システム・ビジネス・財務という5つのベクトルで、かなり詳細な質問が行われます。
ただ、慎重になるあまり、同じような確認が何度も繰り返されることがあります。デューデリジェンスは対応する方にも労力などのコストが発生しますので、質問をカテゴライズしたり、管理して、同一の質問がでないようにコントロールするのもM&Aアドバイザーの仕事となります。
「ビジネスに関しては以上ですか?」「法務についての質問は以上ですか?」と仕切りをつけて、確認事項が無制限に追加されないようにしながら、検証を進めます。
ここまでのデューデリジェンスが終わると、買い手側の役員会での承認プロセスへ進みます。
買収担当者は「現場の意見としては問題ないので買収してよいか?」「問題は多少あるが買ってもよいか?」といったストーリーを作成し、役員会でM&Aの提案を行います。
ここで重要となるのが、株主への報告準備です。
株主には様々な考えの人がいます。もし株主がM&Aに対して「過剰に高い値段で買収した」と強く反発した場合、株主からの訴訟(株主代表訴訟)に発展するリスクがあります。
訴訟が行われると、株価に影響したり、株主総会で糾弾を受けたりといった影響への対応を余儀なくされます。
上場企業が赤字や債務超過ギリギリの会社を買い取るというM&Aを行うとき、経営陣は高いリスクを背負っているのです。いっぽうで、オーナー系企業や未上場企業の場合は大きな論点にならない場合もあります。
このような訴訟を避けるため、買収担当者は公認会計士や顧問税理士にセカンドオピニオンを求め、買収金額の妥当性について根拠づけを行います。
また、最終段階におけるデューディリジェンスを経て残った課題や調整事項について、打開策を用意します。これはM&Aアドバイザー、売り手企業、買い手企業が共同で行います。
株主から疑問を呈された時に、第三者にも理解できる証明や資料を1つずつ用意し、万が一に訴訟になった際に妥当性を証明できるよう準備を整え、会社としての決定が第三者としても妥当であるというロジックが判断されて、ようやく役員会での議決が完了します。
買収金額が決定したあと、最後に残るのが支払方法の問題です。
売り手としては「買い手が本当にお金を払うのか?」、買い手としては「売り手はお金を払ったあとに本当に名義変更や譲渡の手続きをしてくれるのか?」と何かと不安になります。
特に、株式を渡すのではなく、事業譲渡を行うような場合、ウェブサイトのドメイン、知的財産権、商標の登録特許などの名義変更をひとつひとつ売り手がすぐに行っていく必要があります。
買い手としては買収金額の一部または全部を支払ったあと、きちんと全ての名義変更をしてくれるのか心配になりますし、売り手側としては、会社の実態となるものの名義を書き換えていくことになるため、それ相応の作業が細かく発生します。
こうした場合は、弁護士を間に入れる「エスクロー決済」という手法を使う場合があります。弁護士の口座にお金をプールしておき、契約書に基づく債務の履行を弁護士が確認したのち、弁護士が預かっていたお金を売り手側に支払うやり方です。
また、国際間でのM&Aの場合は、為替レートの問題も浮上します。円との為替変動が日々大きく変わるような国の企業とM&Aを行う場合、取引時点の為替レートで買収額が大きく変動してしまうのです。
こうした場合の対策として、信用できる第三国の通貨などで買収額を決定し、支払いを行う方法がとられます。
こうした手続きを経てなお、最終条件の履行の段階で破断するケースはしばしばあります。
会社の売却が近づいてくるにつれて、売り手側の経営者が「この値段で本当によかったのか?」「社員やキーマンにどうやって説明すべきか」と常に不安を抱えた状態になるからです。「売り逃げしたな」と社員から迫られる夢を見たという経営者も過去にいました。
一方、これまで説明した通り、買い手側もまた、株主代表訴訟などの多くのリスクを背負っています。売り手も買い手も、ともに最終フェーズは色々な点から神経質にならざるを得ません。
筆者の経験上、こうしたプレッシャーを乗り越え、M&A取引を無事成立させる方法はひとつだけです。
すべての問題や状況を包み隠さず共有し、徹底的に話し合うことです。
都合の悪いことを隠すのではなく、すべてのリスクを開示する。そのうえで、打開するための方法を売り手と買い手双方が共に考え、実行していく。
ほぼすべての問題には解決策があると信じ、信頼できるM&Aアドバイザーとともに進めていくようにしてください。
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