目次

  1. 飲料の製造から仕入れ業へ
  2. 母を気遣い英会話講師から転身
  3. ゼロから学んだ社長業
  4. 自社ホームページを整備
  5. コロナ禍で地道な経費削減
  6. 「ひどかった」休暇制度を改善
  7. 中期経営計画を初めて策定
  8. 何げない会話で生まれるアイデア
  9. 試作を繰り返して商品化を実現
  10. 強い存在になろうとは思わない

 松本鉱泉は、祐香子さんの祖父・松本茂夫さんが戦前から営むラムネ屋が起源です。終戦後、茂夫さんが大阪で「松本商店」を開業し、ラムネなどの瓶飲料を販売する「松本鉱泉所」に発展。1962年に松本鉱泉になりました。

 飲料の製造・販売を広げるうち、映画館との結びつきが生まれました。時代の変化で飲料の容器も瓶から缶になると、事業内容も製造から仕入れへと切り替わります。

かつての社員と当時使っていたトラック(松本鉱泉提供)

 駅や劇場内にあった売店の減少に伴い、95年からは自動販売機に飲料を補充する業務が増えていきます。99年には、後を継ぐ予定だった祐香子さんの叔父が若くして亡くなったことで、母・松本昌子さんが2代目に就任。20年以上経営トップを務めました。

 現在の主な事業は、関西を中心にホテルや京阪電鉄の駅構内にある自動販売機への納品、映画館や劇場、イベント会場の売店などに並ぶポップコーンやソフトクリーム、ホットフードなどを500品ほど納めています。従業員数は12人で、年商は約3億1千万円(2022年度)です。

 祐香子さんは祖父の代から松本鉱泉を見てきました。生まれたころは現在の飲料置き場がすべて工場で、ジュースが製造される風景が当たり前でした。

 「休日は年始の1日だけで、働きづめだった祖父を見てきました。『しんどそう』という思いがあり、家業には一切携わらないつもりでした」

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