目次

  1. 大阪・奈良で24店舗を展開
  2. 震災を機にIT企業から家業へ
  3. 受発注管理ツールを導入
  4. 社員に芽生えたコスト感覚
  5. サンドイッチ専門店が評判に
  6. コロナ禍からの売り上げ回復
  7. 地域に根ざした「しあわせ経営」

 ダイヤは1946年、大阪市生野区で和菓子工場を営んでいた多田さんの祖父・定男さんが「ダイヤ製パン」として創業しました(71年に社名を「ダイヤ」に変更)。進駐軍から支給された小麦粉を使って作り始め、徐々に製造量を増やしていきました。当初は学校給食用のパンを作っていたといいます。

 63年、大阪・梅田の地下街「ホワイティうめだ」が開業した時にベーカリーを出店しました。サンドイッチや調理パンが人気で、梅田のオフィス街に勤める会社員や大阪駅周辺のデパートへの買い物客らに人気となりました。周囲の店舗が次々と入れ替わる中、60年間にわたって営業を続けています。

 82年からは店名を「クックハウス」に変更します。かつては夕食用に買って帰る客が多く、夕方ににぎわう店でしたが、次第に朝食や昼食用に買う人が増えたため、多田さんの父・広(ひろむ)さん(75)が社長だった98年ごろに店内で飲食できるようカフェスペースを新設。開店時間も早めました。

 2004年に大阪の近鉄上本町駅の「駅ナカ」にも進出したことを機に、大阪各地の駅ナカへの出店を重ねました。23年4月現在、大阪府内と奈良県内に計24店舗を運営しています。正社員は82人(2023年5月時点)です。

クックハウスのホワイティうめだ店(ダイヤ提供)

 多田さんは中学生になってからパソコンにのめり込むと、大学でもコンピューターについて学び、03年に新卒で日本IBMの子会社に就職しました。

 それまで父・広さんから家業に入るよう話をされることはなく、多田さん自身もそのつもりは「全くなかった」と言います。しかし、就職してからは「俊介が戻ってきてくれたらなあ」と時折、言われるようになりました。それでも多田さんにその気はなく、そうした話題ははぐらかすようにしていたそうです。

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