1962年創業の堀田カーペットは、イギリスで産業革命のころに開発された伝統的な「ウィルトン織機」を、“織工”と呼ばれる職人が操って織り上げた“ウィルトンカーペット”を作っています。
ウール素材を主原料に、約1万本の糸を織り上げた織物である“ウィルトンカーペット”は、強く丈夫で、踏み心地に優れています。また、独特の上質感や高級感があり、繊細な柄の表現も可能。5つ星ホテルや高級ブランドショップ、国際会議場、オフィス、電車などに採用されています。
現在国内で生産されているカーペットの99%は、刺繍のように刺して作る“タフテッドカーペット”で、“ウィルトンカーペット”を作れる会社は日本で4社しかありません。
祖父、父と受け継いできた5つ星ホテルや高級ブランドショップなどから受注した特注品を生産する「別注」と、他社ブランドの製品を製造する「OEM」。父が作った敷き込み用カーペットブランド「Woolflooring(ウールフローリング)」に加え、堀田さんが立ち上げたウールラグブランド「COURT(コート)」と、DIYカーペットブランド「WOOLTILE(ウールタイル)」です。
堀田さんは、両親からひと言も「継げ」と言われることなく育ちました。北海道大学を卒業後、トヨタ自動車に就職。仕事が楽しくなってきた6年目、父から電話で突然「継ぐか継がないか決めてくれ」と言われました。
1年ほど悩みましたが、どこかにずっと持っていた「親父と仕事をしてみたい」という思いに従い、2008年3月、堀田カーペットに入社しました。
リーマンショックの真っ只中で家業に入った堀田さんは、危機感を覚えます。新築住宅の床面積のうち、20%が敷き込みカーペットだった1980年代に比べ、需要が100分の1にまで落ち込んでいたからです。
また、カーペット市場の主流が高価で少ししか生産できない“ウィルトン”から、大量生産が可能な“タフテッド”に変わりはじめていました。さらに、中国で大量生産された織物カーペットが日本に入ってくるなど、安価なカーペットの流通が徐々に増えてきていたのです。
「祖父の時代には100社くらいあったウィルトンメーカーが、どんどん無くなってきていました。また、リーマンショックの影響で取引先の予算が絞られるようになり、別注すら赤字に近い単価で受注しなければならない状態でした。さまざまな場所のカーペットが“ウィルトン”から置き換わっていくなかで、『(この先)どうなっていくの?』と危機感がありました」
入社してからカーペットについて学び、顧客の声を聞いていった堀田さん。世界中から厳選したウール素材を使い、職人が一つひとつ手間をかけて作っている自社のカーペットは、本当にいいものだということがよく分かりました。
「堀田カーペットの価値を知ってもらう必要があると感じました。当時はブランディングについてまったく分かりませんでしたが、とにかく『ブランディングしか生き残っていく道がない』と思っていました」
ブランディングを学ぶなかでの新たな出会い
ブランディングを学び始めて2年目の2010年、中川政七商店の中川淳社長(現会長)にコンサルティングを依頼しました。しかし、当初は「覚悟ができたら来てください」と言われ、引き受けてもらえませんでした。
「覚悟が何かも分かりませんでした。お金を使うことにビビっていましたし、クリアに未来を想像できていなかったんです。想像する力も、『自分がこうなりたい』という強い思いもありませんでした」
2011年、このままでは一歩も前に進めないと考えた堀田さんは、再度中川さんにコンサルティングをお願いし、今度は引き受けてもらえることになりました。
「ブランディングとは、伝えるべきことを整理して、正しく伝えること」という中川さんの教えを軸に、堀田さんの「本当にやりたい」「堀田カーペットらしい」ブランドを見つけるための道のりが始まりました。
「本当にやりたいことは何?」試行錯誤の日々
堀田カーペットのメイン事業は床全面にカーペットを敷き込む「敷き込みカーペット」で、専門の職人による施工が必要なBtoBビジネスです。
当時、ラグなら1枚から販売できるし、消費者とコミュニケーションが取れると考えた堀田さんは、「BtoC向けのラグブランドを作りたい」と中川さんに伝えました。
しかし、中川さんに「結局、堀田さんは何がやりたいの?」と何度も問いかけられます。そうするうちに、堀田さんは「敷き込みカーペットならではの踏み心地のよさや、床で寝転べるカーペットの暮らしの心地よさを伝えたい。自分の好きな敷き込みカーペットを広めたい」と考えている自分に気づきます。
そこで、まずは多くの人にカーペットについて知ってもらうため、2012年にカーペット啓蒙活動のWebメディア「カーペットルーム」を立ち上げました。
活動範囲は広がったものの…
“カーペットを風刺する”をコンセプトに、プロのディレクターやコンテンツ制作スタッフに入ってもらい、Webメディアをスタート。お坊さんによる「カーペット供養」やカーペットと何かを戦わせる「VS企画」など、さまざまなコンテンツを発信しました。
その結果、海外の大手掃除機メーカーのイベントに招待され、カーペットの掃除について話をする機会を得たことも。これまでつながれなかった企業や個人との接点ができました。
しかし、「どこまで上手くいったのかは正直よく分かりません。すぐに売り上げに結びつく活動ではなかったので、お金をかけ続けることに覚悟が持てませんでした」。
結局、1年半ほどでWebメディアは幕を閉じました。
あきらめきれない思いが生んだ新たな出会い
その後「やっぱりラグをやろう!」と、デザイナーと組んでラグ制作に取りかかりますが、最終的に商品として発売できませんでした。
「デザイナーさんには本当に申し訳なかったのですが、『自分がこれを作りたい!』と思って作っていなかったから、売れる想像ができなかったんです。このままだとデザイナーブランドにはなるけれど、堀田カーペットのブランドにはならないという感覚がありました」
そんな堀田さんに、転機が訪れます。
後に堀田カーペットはじめてのブランド「COURT」のディレクターとなる「ドロワー」の池田充宏社長との出会いでした。
「次こそは絶対に成功しなければというプレッシャーと、デザイナーさんにも会社にもこれ以上迷惑をかけたくない気持ちがありました」
何度も話し合うなかで、2014年のはじめに池田さんから「COURT」の原型となる最初の提案が出されました。
提案されたものに対して、メーカーとして応えようと試作品を作る堀田さん。しかし、池田さんからは「堀田さん、ほんとにこれがやりたいの?」と問いかけられます。
「今思い返しても感謝しかないんですが…そのあと池田さんは『僕は止めた方がいいと思う』と言ってくれたんです」
「池田さんからの提案もめちゃくちゃ面白いし、かっこいいし、オシャレだったし…いいとは思っていたんですけど、『ほんとにこれがうちが作るべきものなのか?』ということに対する僕なりの解がありませんでした」
結局、もう一度考え直すことになりました。
ついに出会った「本当に作りたいもの」
自分だけの解を探していた堀田さんは、ついに自分のものづくりの理想を見つけます。2015年2月、出張先のロンドンで出会ったアパレルブランド「S.E.H KELLY」です。
路地裏にある夫婦二人の小さなそのテーラーは、仕立ての良さや品物の素晴らしさから世界中にファンがいます。お店はもちろん、Webサイトからも伝わってくる彼らのものづくりへの姿勢に共感し、「自分の目指すブランド像は『これしかない!』と思ったんです。はじめて『自分が作りたいものはこれだ!』と決められました」。
池田さんと一緒にラグの開発を進めるなかで目指したのは、これまでにない“ファブリックのようなカーペット”でした。インテリアとして暮らしにカーペットを取り入れてもらうためには、アパレルっぽさのあるラグがいいと考えたからです。
しかし、どれだけ工夫を重ねてもカーペットはカーペットにしかならず、思ったものはできません。
池田さんから「もっとざっくり作った方がファブリックっぽく見えるんじゃない?」と提案があり、思いついたのが“ざっくりとしたニットのような生地のカーペット”でした。
堀田さんはそのテクスチャー(質感)を出すため、糸の開発をはじめます。綿染めという手法で作られたこの糸は、1色あたり1トンの在庫を、5色展開するのであれば5トンの糸を在庫として持つことになります。さらに1000万円の在庫リスクがかかるなど、商品化には相当な覚悟が必要でした。
これまでブランディングに積極的に投資する覚悟を決められなかった堀田さんでしたが、「その時は、めちゃめちゃ晴れ晴れとしていました。僕の中では絶対に売れる確信があり、『解はここにしかない!』と思っていたからです」。
商品として面白いと思ってくれた父も、自分のやりたいことを見つけた堀田さんに対して協力的になっていました。
順風満帆でスタートした「COURT」
2016年2月、堀田さんは満を持して「COURT」を発表します。中川さんの協力もあり、中川政七商店表参道店のオープニングレセプションで初めてのお披露目をしました。
「最高の出だしでした。『絶対ここに取り上げて欲しい』と思っていたメディアが取り上げてくれました」
コンセプトや織物らしいテクスチャーで表現した商品力が受け入れられ、「COURT」は発表後、大きな反響を呼び、売れ行きも好調でした。
当時は日本で作られたラグブランドがほとんどなく珍しかったことや、ウィルトンカーペットやウールカーペットの魅力という“伝えるべきこと”がきちんと伝わったことが、売上アップに拍車をかけたと堀田さんは考えています。
すぐに東京や大阪のインテリアショップや家具ショップなど5社での取り扱いが決まり、初年度の売上は約200万円、現在は約3000万円にまで成長しています。
会社のリブランディングに着手
堀田さんは「COURT」を発表したときから、翌年に堀田カーペットをリブランディングすることを決めていました。
「『COURT』にめちゃくちゃ自信があり、絶対にうまくいくと思っていました。ブランドがうまくいくと、必ず製造背景を知りたいお客様がWebサイトに来ますよね。しかし、当時の当社のロゴは『ええもんどっさりグッドモラル 住宅工房HDC』で、今とはトーン&マナーが全然違っていました」
「『COURT』を見て興味を持ってWebサイトに来てくれたお客様にがっかりされたくなかったし、ブランドのミスリードもしたくなかったから、会社のリブランディングを行いました」
2017年に代表取締役に就任したタイミングでWebサイトを改修し、ロゴや名刺も一新。さらに2018年、「リブランディングした後は、会社に来るお客様が必ず増える」と考え、オフィスの全面改装も行いました。
その結果、以前は年間2件だったWebからの問い合わせは、今では年間1200件まで増えています。
DIYカーペット「WOOLTILE」のブランディング
カーペットは一生に1回か2回しか買うタイミングがありません。カーペットとしてコミュニケーションを取るだけではコンタクトポイントが小さすぎると考えた堀田さんは、2018年に、世界でここしかないとされる織機“アキスタイル”を使って作る、DIYを切り口とした商品の開発をはじめました。
そこで生まれたのが、新しいブランド「WOOLTILE」です。
「DIYカーペットであることが重要でした。DIYに興味のあるお客様は多いため、“DIY”と検索したときに何となくカーペットを知れる状況を作りたかったのです」
2019年に完成した「WOOLTILE」は、流通方法も変えました。もともと生産量が少ないので在庫量を増やせず、卸すと迷惑をかける可能性がありました。さらに、掛け率も高いため売り先を絞るしかないと考えたからです。
DIYに関わる2社のみと取引を行い、販売を開始。翌2020年に、自社ECサイトをローンチしました。
評判は上々で初年度の売り上げは約150万円、現在の売上は約2000万円にまで成長しています。
ブランディングとは「経営そのもの」
2つのブランドのブランディングと自社のリブランディングに取り組むなかで、何度も「本当にやりたいことは何?」と問われ続けてきた堀田さん。ブランディングとは何なのか、解は見つかったのでしょうか。
「経営そのものだと思います」
「父の時代は一生懸命商品を作り、その良さを伝えていれば売れました。僕たちの時代はただプロダクトを“作る”だけではなく、ブランドも作る必要があります。また、“伝える”にしても物を伝えるだけではなく、ブランドとしてどう伝えるかというところまで考えて届けないと認めてもらえないし、売上を維持できず伸ばしていけない時代です。だからこそ、ブランディングは絶対にやらなきゃいけないことだと思います」
一方で、ブランディングにはリスクもあると話します。
「見てもらえることは、嫌な部分も見られるということ。ミスリードしてしまうと、そのまま伝わります。ブランドが立てば立つほど間違った知識が伝わるのも早い。だからこそ、メッセージの一貫性は今まで以上に意識する必要があるのではないでしょうか」
「でも、ブランディングをやっていなかったら、今頃当社はどうなっていたか分からないので、やる価値はあると思います」
ブランディングを行った結果、事業だけではなく採用にも好影響がありました。2022年に行った採用では60人から応募があり、新卒社員1人を含めた6人の採用に成功したのです。
※後編「堀田カーペットの求人に応募急増 アンマッチ回避へ『事前面接』に注力」では、堀田さんが採用で行った手法と、ブランディングがどのように影響したのかについて迫ります。