明治20年(1887年)にマルイ商店という名で盃の販売をはじめたことがルーツとなる、丸モ高木陶器。1980年に会社組織となり、現在の従業員は35人です。創業者の高木伊助さんから代々家族が事業を継ぎ、2017年に正治さんが5代目社長に就任。長男の正治さんをはじめとした4兄弟のうち3人が現在同社で勤務し、事業を支えています。
「それが高木家の文化というか。私を含め、兄弟皆で事業を継いで支えていくのが自然な形だと思っていました。両親が会社を引っ張っていく姿を間近で見ていて、自分もそうなると思っていましたし、特に父親の信念をもって突き進んでいく様子には威厳があって、子どもながらに格好良いなと感じていましたね」
大学を卒業しての就職先も、いずれ事業を継ぐ日のためにと考えて決めました。高級洋食器で知られるノリタケカンパニーリミテドで、3年間働きます。2000年に自社に戻り、営業を担当。国内でも名を知られている料亭や海外のホテルなど、先代までで培ってきたBtoBの販売ルートをより強くし、自社の和食器を広げていくのが主な仕事でした。
2013年には「和食」がユネスコの無形文化遺産に認定されます。その頃から海外に出かけることも増えてきたと言います。香港、シンガポール、アメリカと展示会に出展し、海外のバイヤーと間近に会話をする中で、確信めいた実感をもちました。
正治さんが事業を行っているのはまさに、盃の生産で有名な岐阜県多治見市市之倉町。世界が注目する盃を、市之倉から発信したいという熱い想いが正治さんの中で高まっていきました。
経営塾での刺激が新発想に
丸モ高木陶器の強みは、和食器を中心に、商品の開発から製造、販売までを自社で完結できる点にあります。一般的には、器の商品アイデアと実際の製造、販売は別の事業者が行うことが多い中、同社では社内でアイデアが出れば自社で何度も試作し、自社が持っているBtoBの販売ルートに乗せて普及させることがしやすいのです。
そうした環境の中で感じていたのが「デジタルに弱い」ということでした。そこを解決できれば、仕事にさらにスピード感が出るとともに、特に商品のPR力が高まるだろうと正治さんは考えていました。スマートフォンをいつも手元に置き、得意ではないながらもアプリを使って英語の説明文をつけたり、画像生成をしてみたりと自らひとつずつできることを増やしていきました。
2018年には、知人に紹介された東京の経営塾で学ぶようになります。ここでの学びが、正治さんにとっての大きな刺激となりました。「地元で、陶磁器関係の人や仕入れ、販売先と話しているだけでは出てこない考え方に、出合えた気がします。自身の事業・業界に対してイノベーションを起こしたいと思えるような学びで、焼き物の世界にもイノベーションをと考えるようになりました」。
ここで得た刺激から生まれたのが、のちの転機につながる「温度」というアイデアでした。
「温度をデザインに」新シリーズを開発
器の表面を彩る絵柄。この絵を描くための絵の具の役割を果たしているのが「顔料」で、鉱物や金属をもとに作られています。顔料で絵付けをした器を焼成する過程で化学反応を起こし、顔料の色が変わるので、普通は焼成後に狙った色が出るように、顔料の配合や焼成温度の調整が行われます。
正治さんはそれをヒントに「器を使う時に、使う人の目の前で顔料の色が変化したら面白いのではないか」と考えたのです。
「これまで焼き物は、産地や大きさ、重さ、色などで、人に選ばれてきました。そこに熱い・冷たいを可視化できるという価値を加えたら、ひとつのイノベーションになるのでは」
付き合いのある酒蔵から「冷酒は世界中に広がっているから、熱燗を広げたい」と相談を受けていたこともあり、まず思い浮かべたのは、熱燗を注ぐ盃でした。「温めたお酒を注いだら、(絵の色が変わって)盃にパーッと桜の花が咲く。これは人気が出るんじゃないかと思いました」
この平盃を製造するために、新しい窯をひとつ購入。図案は社内の職人がデザインし、同じ絵柄で生産ができるよう、転写シートを作りました。思い切った投資もしながら生産体制を整え、同時に冷たい温度で色が変わる器も開発していきました。「世界のマーケットの中では冷たいものの方がニーズは高いと感じていました。いろんなお酒に対応できるように、平盃のほかにシャンパングラスと、枡酒用のひと口グラスも作りました」
こうして、温度で変化する「温感・冷感」シリーズが生まれたのが2019年のこと。正治さんはまず、「温感・冷感」の器をもって、なじみの料亭やホテルをたずね歩きました。「有名店で使ってもらい、料理人や経営者の間で少しずつ広がっていくことを狙っていました。今までずっとBtoBだけだったので、その道しか頭になかったんです」
地道な営業を続けていた中、思わぬところで突破口が開きます。
7秒の動画で「突風の1年」に
2020年1月。日曜日でした。休日中だった正治さんのスマートフォンが、昼からまったく鳴りやまなくなりました。通販サイトでの注文があったときに知らせる音が、鳴り続けたのです。当時、BtoBメインでの事業展開をしていた同社は、SNSにはあまり力を入れていませんでした。Instagramはフォロワー300人程度、通販はBASEにページをもっていたものの「とりあえず載せているだけ」の状態。正治さんも、突然の注文殺到に何が起こったのだか分かりませんでした。
原因はTwitterの投稿だと分かりました。面識のない誰かが飲食店で平盃に出合い、お酒を注いで桜の絵柄に変わっていく様子を撮影して、twitterに投稿してくれていたのです。BASEでこの器が買えますよ、ということも書いてくれていたようでした。
「僕はこれを『7秒の奇跡』と呼ばせてもらっています」と正治さん。たった7秒の動画が800万回も再生され、BASEを通して立て続けに注文が入り、あっという間に在庫切れに。この日を境に始まった怒涛の変化に、丸モ高木陶器は必死にくらいついていきます。
正治さんはtwitter投稿がバズった4日後には、自らも動画を撮影し投稿しました。1日で10万回再生され、これまでに300万回以上再生されています。また効率よくできる限りの注文を受けるため、Instagramを使ってBASEでの販売日を告知。300セットの販売が4秒で売り切れるなど、快進撃が続きます。メディアにも多くとり上げられました。
コロナ禍で外出ができず、花見や花火を楽しめない日々が続く中、「おうち時間を楽しむ」という切り口が商品の魅力とうまくマッチ。お酒を注ぐと色が変わる様子をテレビで見た人がまた注文をするという良い流れが続きました。
とはいっても、生産を追いつかせるために、現場は大変な状況でした。これまでBtoBの仕事ばかりだったのが、急にBtoCへ。冷感・温感シリーズを贈り物として購入する人も多く、梱包の仕方や配送方法も、今までのやり方から変えなければなりませんでした。
しかしここで正治さんは、休むことなくどんどんと次の手を打っていきます。コロナ禍で飛行機が飛ばなくなり、卸していた機内食器の売上が下がるなどBtoBが勢いをなくす中、桜をデザインした器に続き、夏向けの「花火」、秋の「もみじ」、冬の「雪化粧」と、日本の四季を象徴する絵柄の器をその年のうちに次々と作り、販売したのです。
「正直、2020年は突風の一年でしたね。特に3~5月はほかの業務はパンク気味でした。それでもスピードが大事。勢いがあるうちに次を、と走り続けました」
BtoCが大幅拡大
コロナ禍でBtoBの売り上げが下降する中、それをしのぐ勢いでBtoCの売り上げが伸びていきました。BtoBの商品ではこれまで、卸を通しての出荷が大半でした。自社に入って来るお金は、販売額の何割かに減ってしまいます。しかし冷感・温感の商品は直販。売った分だけほぼそのまま入ってくるのです。当時から3年が経った今では、売り上げの35%を、BtoCの商品が占めるようになり、トータルの売り上げもコロナ禍前より拡大しました。
はじめは手探りだった従業員たちも贈答品の扱いに慣れ、今ではBASE以外にも楽天、Amazon、スーパーデリバリーなどに出店しています。商品も幅を広げ、富士山を描いたり、松竹のライセンスを取って歌舞伎の隈取(くまどり)をモチーフにしたり。ペットやハートをテーマにしたマグカップなども製造しています。
ロフトや小売店を中心に、リアル店舗での販売も拡大しました。当初は雑貨的な位置づけでの販売が多かったのですが、徐々に日本酒を販売している酒店やお茶の店でも取り扱いが増加。「飲料と伴走するセットとして認知されているのを感じます。嬉しいことです」と正治さん。「冷感桜」は、靖国神社内の売店「Sakura」でも販売されているといいます。
「温度による顔料の色の変化」に目をつけ、花開かせた正治さん。その根っこには、外国人を含む現代の人に、どうすれば商品の魅力が伝わるのかを考え続けた日々がありました。
こだわった「一発でわかる」魅力づくり
「世の中は多様化していて、価値観も様々です。同じ言葉を発したとしても感じる意味合いは、ひとりひとり微妙に違う。そんな中で、一番ブレずに誰にでも魅力を伝えられ、人の心を動かすのは、視覚に訴えることだろうと考えました」と正治さん。
「また、今は情報が多く人は忙しく、細かな取扱説明書なんて誰も読まない。そこに延々と商品の魅力を書くより、動画で見て一発で分かるような魅力づくりを考えました。その点からも、どうすれば人の視覚に感動を生むような商品ができるかをずっと考えていました。それが冷感・温感シリーズのアイデアにつながったのだと思います」
人はもう、モノを買うだけでは満足しない。そう考える正治さんは、自社のショールームにも体験型の仕掛けを用意しています。
「この盃のまちを訪れる人たちが、今度は自分の口やSNSでその魅力を伝えたくなるような出迎えをしたい。古くから続く焼き物産地だからこその魅力を、もっと外に出していきたいですね」
いつか大使館で乾杯を
正治さんの今の夢は、その魅力をいつか、全世界の大使館に届けること。「桜が浮かび上がる盃で、各国の要人たちが乾杯をする。日本の四季や細やかな技術の美しさが、商談の雰囲気を変えるほどに伝わったら…。それを目指して頑張っていきます」。同社の和食器はすでに、いくつかの大使館で使われているとのこと。「盃のまち市之倉で生産された盃に日本酒を注いで世界が乾杯」、そんな日が来るのも夢ではないのかもしれません。