「ジュニアさん」の評価を高めた新規開拓 石塚3代目が重ねた社内改善
東京都千代田区の石塚は、工場や倉庫に使われるプラスチック製のビニールカーテンなどの加工・販売を手がける会社です。3代目社長の熊谷弘司さん(41)は家業の危機意識の乏しさに課題を感じ、カジュアル手帳カバーの開発や人事評価制度の見直し、経営計画書の社員への共有など、小さな改善を積み重ね、地元の公益財団法人主催のビジネス大賞にも輝きました。
東京都千代田区の石塚は、工場や倉庫に使われるプラスチック製のビニールカーテンなどの加工・販売を手がける会社です。3代目社長の熊谷弘司さん(41)は家業の危機意識の乏しさに課題を感じ、カジュアル手帳カバーの開発や人事評価制度の見直し、経営計画書の社員への共有など、小さな改善を積み重ね、地元の公益財団法人主催のビジネス大賞にも輝きました。
目次
石塚の主力製品のビニールカーテンは工場や倉庫で、空調の効率化、スペースづくり、ホコリよけ、防虫などに用いられます。カーテンタイプ、アコーディオンタイプ、のれんタイプの3種類があり、使用目的などに合った素材を切り出してから加工を施し、施工まで行います。
ユーザーの多くは工場で、年間施工件数は100件弱(2022年実績)。年商は26億5700万円(21年12月期)で、従業員数は52人(23年2月末現在)です。
「原反(シートを巻き取ってロール状にしたもの)を切り出してから、要望に合わせて加工を施し、取り付け工事を行うまで一気通貫で対応できるのが強みです。他社は原反販売、加工、施工工事のいずれかしか対応できないところが多いのですが、当社はどの段階からでも対応できます」
石塚は熊谷さんの祖父・武司さんが1955年に創業しました。当時はビニールの卸からスタートし、2代目で父親の庸一さんが加工に力を入れ始めます。熊谷さんの代になってからは施工工事の領域を拡大。2022年に建設業許可を取得し、工場や倉庫などの大型工事にも携わっています。
父親が家で仕事の話をしなかったせいか、熊谷さんは子どものころ、家業について「何をやっているかよくわからなかった」と振り返ります。
「できれば後を継いでほしい」と言われることはあったものの、継ぐ意志はありませんでした。勝手に継ぐことを決められることに抵抗感があったといいます。
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18歳の時、「社長は無理」と思わせる出来事が起こりました。「創業者の祖父の葬儀で、どなたかから『君も人の生活を背負うなんて大変だね』と言われたのです」
この一言がきっかけで、社長は社員の生活を背負うということを意識させられました。「私は人様の生活を背負えるほど人間ができていません。責任感に耐えられない、という思いから継ぐことを固辞するようになりました」
東京理科大学に進学した熊谷さんは、遺伝子工学を専攻しますが、ゲーム好きだったことから、就職はゲーム会社を目指すことにしました。その時、父と「第一志望に落ちたら家業を継ぐ」と約束します。
自分の意志で決めた人生を歩むため、退路を断ちました。しかし、第一志望のゲーム会社からは内定をもらえず、石塚を継ぐことを決めます。後を継ぐにあたっての修業として、大学卒業後の2006年、石塚の仕入れ先だったプラスチック製品メーカーのアキレスに就職しました。
シューズで知られる同社で3年半は営業、その後半年は財務を経験。営業では日本と韓国の半導体メーカーに包装資材を販売する仕事を担当し、半導体の製造で使用する資材の開発に携わったこともありました。4年間の修業時代を経て、熊谷さんは10年、石塚に入社しました。
石塚で最初に担当したのは営業です。周囲から将来の社長と見られており、知らないところで「ジュニアさん」と言われていたほどでした。
熊谷さんが入社して感じたのは、危機意識の乏しさでした。業績に影響を及ぼすことはありませんでしたが、幹部をはじめ社員が既存顧客からの既存商品の問い合わせに対応すればいいというスタンスだったといいます。新しい市場や顧客の開拓、新商品の開発を全く行っておらず、このままだと立ち行かなくなるという危機感を覚えました。
「『今までやってきたから』という理由で続けてきたことが多かったり、『この業界はゼロにはならない』とすごく言われたりしました。でも、ゼロにならないこととこれで飯が食えることは別です。私が『新しいことをやっていかなければいけないですよね』と言っても、なかなか伝わりませんでした」
何を提案しても幹部に軽くあしらわれ続けたといいます。幹部から突きつけられたのが「いろいろ提案するのはいいけど、結果を出してから言いなさい」という言葉でした。
これを機に、熊谷さんは新しいビジネスのネタ探しを意識的に行います。アキレス時代に経験した半導体やエレクトロ二クス関連も提案しましたが、実を結んだのはカジュアル手帳のカバーでした。
手帳カバー自体は手がけていましたが、それは昔ながらの黒いビジネス手帳のカバーでした。「手帳といえば黒いビジネス手帳」という固定観念が抜けず、市場性が理解されなかったため、新入社員と一緒に顧客開拓に乗り出します。
努力が実り、いくつかのカジュアル手帳をつくっている数社と新たな取引が成立します。ただ、縫製を必要とするようなものは関連会社で対応できなかったことから、調達先の開拓に迫られました。
中国の製造工場を見つけたものの、取引先のニーズを満たすものをつくらなければなりません。月の半分を中国の工場に泊まり込むことが何カ月も続くことがありました。
それでも、新しい顧客と調達先を開拓したことで、幹部の目も変わったといいます。「結果を出したことで、ただかみ付いているだけではないと認識してもらい、その後は社内で話が通りやすくなりました」
14年に常務に昇格した熊谷さんは人事評価制度の見直しにも着手します。個人面談した女性社員が「もっと仕事をやらしてほしい」と涙ながらに訴えたことがきっかけでした。
それは「女性だから」という理由で仕事をしたいけどやらせてもらえない、給料が少しずつしか上がらないという切実なものでした。
熊谷さんはアキレス時代の経験から、女性社員の心情が痛いほど理解できたといいます。「人事評価に、性別や年齢といった仕事に関係ない要素が絡んでいた点などは、真っ先に変えることにしました」
成果や頑張りで評価する制度に変え、年齢・性別関係なくやる気のある人が早く昇進できように見直しました。
また、本人の意思で昇級・昇格のスピードが選べるようにしました。「早く上がる」、「ゆっくり上がる」という二つのコースを用意。前者は成果を上げていれば1年に1回、後者は2、3年に1回、定期昇給とは別に給料が上がるイメージです。両コースは異動の有無や評価の仕組みが異なります。社員の多くは早く上がるコースを選択したといいます。
熊谷さんは18年、3代目社長に就任。その前から個人面談や社内ブログなどで、自身の考えを社員に伝えることを大切にしてきました。
22年からは全社員に経営計画書を配布しています。「私が新しい仕事を探すのが好きなので、社員にもやりたいこと、やったほうがいいと思うことを提案してもらうようにしてきました。それでも、『私がやってほしいこと』を示したほうが社員の動きが良くなったので、それを経営計画書に書き共有することにしました」
ペーパーレス化やコロナ禍でテレワークの導入が進んだことから、経営計画書では、売り上げが下がり回復も見込みづらかった文具・雑貨より、主力のビニールカーテンの営業に注力する方針を明記。すると、従業員はその方針通りビニールカーテンの営業に注力。電気代高騰から節電への関心が高まったこともあり、問い合わせ件数が前年より3倍近く増えたといいます。
熊谷さんがもう一つ大事にしているのが、可能な限り社員に利益を還元することです。経営計画書には毎年の年収アップの目標と、そのためにいくら稼ぐ必要があるかを記載しています。
「社員からすると、目標に取り組むとどんな結果が得られるのが分かりづらいところがありました。重要な経営指標の一つに社員の平均年収を掲げてきたので、目標に取り組むのは給料を増やす原資を稼ぐためという方向性を示したのです。遠くない将来、上場企業の平均年収を超えることが目標です」
熊谷さんが入社してから採用活動も見直しました。それまでは総務に丸投げでしたが、会社説明会は必ず熊谷さんが担当するように。現在はインターンシップの意味合いで、選考過程に2日間のアルバイトを組み込み、石塚でやっていけるかどうかを応募者に見極めてもらうようにしています。
石塚は22年度の千代田ビジネス大賞で大賞を受賞しました。公益財団法人まちみらい千代田が主催し千代田区などが後援する表彰制度で、経営計画書の共有と給与水準の向上などが高く評価されました。
最近では施工工事の領域を拡大したほか、新商品も開発しています。その代表格が抗ウイルス機能を付与した飛沫防止用シートです。コロナ禍の売り上げの落ち込みを、この新商品でほぼカバーできたほどの特需にわきました。
節電への関心が高くなってきていることから、現在引き合いが多いのが、コンビニやスーパーなどの冷蔵ショーケースに取り付ける節電用ビニールカーテンです。
それでも、熊谷さんは気を引き締めています。飛沫防止用シートの特需で営業努力をしなくても注文が入るほどでしたが「その状態にあぐらをかいてしまいました」と言います。
「待っていても注文が入ったので、営業の足腰が弱ってしまったところがあります。特需は21年の途中で終わり、その後は売り上げが下降。ここまでは想定通りでしたが、特需発生前よりも下回ってしまいました」
経営計画書でビニールカーテンに注力すると明記したのには、特需があった一方、コロナ禍で工場などへの訪問がままならず顧客接点が希薄になり気味になったことがありました。
同社では22年1月から営業組織を段階的に見直しており、現在は認知を取る「マーケティング」、商談を担う「インサイドセールス」、リピーターをフォローする「フィールドセールス」と役割ごとに組織を分けました。商談に専念する担当を置き、営業の足腰強化を図っています。
熊谷さんが社長に就任する前の石塚は、約30億円の売り上げがありましたが、就任後はペーパーレス化の進展に伴う文具・雑貨分野の落ち込みなどで、売り上げを少し落としています。一方で粗利率は、社長就任前の約17%から約23%にアップしました。
創業から68年。石塚が今掲げているのは「100年企業」です。100年を迎える2055年に、従業員数を現在の50人程度から100人に、売り上げを今の25億円程度から100億円にすることを目指しています。「自社の努力だけでは厳しいのでM&Aも視野に入っています」
歴史、従業員数、売り上げで「三つの100」を掲げた意味を、熊谷さんが次のように明かします。
「社員の生活を守るために、会社は永続させなければなりません。100年企業はその姿勢を示したもので、最優先事項になります。100人という数字は生活を守れる人を少しでも増やしたいということで、相対的にみんなの生活を豊かにするために売り上げ目標を100億円としました。100億円はなかなかハードルが高いので、新しい事業を育てなければと思っています」
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