崩壊寸前の家業を救った「コロッケ社長」 合同食品2代目の小ロット商品
年間1200万個のコロッケを製造する合同食品(大阪府豊中市)は、2代目の和田友宏さん(52)が、倒産寸前だった父の会社を引き継いでから売り上げを約4倍にアップさせました。小ロットのOEM(相手先ブランドによる生産)を引き受け、自社製品の販売と直営店展開、全国のご当地コロッケの開発といった改革を進めたほか、自らコロッケのかぶりものをして「コロッケ社長」のキャラクターを前面に出す捨て身のPRも功を奏しました。
年間1200万個のコロッケを製造する合同食品(大阪府豊中市)は、2代目の和田友宏さん(52)が、倒産寸前だった父の会社を引き継いでから売り上げを約4倍にアップさせました。小ロットのOEM(相手先ブランドによる生産)を引き受け、自社製品の販売と直営店展開、全国のご当地コロッケの開発といった改革を進めたほか、自らコロッケのかぶりものをして「コロッケ社長」のキャラクターを前面に出す捨て身のPRも功を奏しました。
目次
「引っ込み思案な性格の私には、コロッケのかぶりものは覚悟が必要でした。当社のコロッケを多くの人に知ってもらいたい。勇気をふり絞ったおかげで、たくさんの受注につながりました」
和田さんはそう言います。
合同食品の自社製品「無添加コロッケ」シリーズは約16アイテム。OEMは自社工場で小ロットから対応しています。年間のコロッケ販売数は1200万個、じゃがいもの使用量は年400トンにも及ぶそうです。
年商は4億5千万円(23年7月期見込み)、前年からの上昇率は10%と年々売り上げを伸ばしています。従業員(パート・アルバイトを含む)は約32人の規模です。
合同食品は1983年、ハム・ソーセージメーカーの下請けのコロッケ工場として始まりました。和田さんの父はそれまで同工場の従業員で、前身の会社を引き継ぐ形で新たに創業したのです。そのころ和田さんは高校生。父の事業には「関心がなかった」と言います。
「当時は父と社員数人、パートさんによる零細工房でした。父は家で会社の話をすることはなく、私に継げとも言いません。ただ、父が持ち帰る試作品のコロッケがおいしかったのを覚えています」
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和田さんは立命館大学卒業後、IT企業に入社し、システムエンジニアや営業を経験。結婚して2人の娘も授かりました。そんななか、合同食品に危機が訪れます。父ががんになったのです。
「父はそれでも会社を休むことができず、ソファで横になりながら仕事をしている状態でしたね。私は休日や有給休暇を使って合同食品の運営を手伝うようになりました。決算書をひもといたり経営実態を調べたりするうち、火の車どころではないほど会社が傾いていることが判明したんです」
当時の大口の得意先が不渡りを出し、合同食品は急速に業績が悪化。和田さんは母とともに父の介抱をしながら問題解決に奔走しました。そして7年半勤めたIT企業を退社し、合同食品を継ごうと決意します。
「会社は崩壊寸前で『莫大な負債があるから相続放棄したほうがいい』とも考えました。しかし、社員やパートさんを路頭に迷わせるわけにはいかないという想いと、父が家に持ち帰ったコロッケがおいしかった記憶があり、その味を絶やすのは惜しい気持ちもありました。そして何より親子の縁です。父への感謝とともに、コロッケの世界で生きてゆけと言われている気がしました」
腹をくくった和田さんでしたが、なかなか家族に切りだせません。わざわざ家族で和歌山を旅行し、海沿いのリラックスできる状況で打ち明けたと言います。「妻は不安そうでしたが、最終的には『やってみたら』と背中を押してくれました」
和田さんは02年、合同食品の2代目社長に就任。半年後に父は亡くなりました。末期は会話も困難で、会社の歴史を聞いたり、今後について話し合ったりすることは「ほぼできなかった」と言います。
和田さんがまず取り組んだのが、前職の営業経験を生かした、既存の得意先や新規の見込み客へ出向いてのヒアリングです。
それまでは依頼された商品をただ製造するだけの流れ作業だったといいます。得意先に改めて「弊社にはどのような問題点がありますか」、「こんな商品が欲しいという希望はありますか」と投げかけたのです。
「すると『ここを改善してほしい』、『こんな味付けのコロッケができないか』という忌憚のないご意見や要望が出てきます。得意先としっかり話をする重要性を改めて感じました」
和田さんはリクエストを持ち帰り、工場長と夜遅くまで試作を重ねました。さらに料理教室に通い、味の勉強をしたのです。このころから次第に味のラインアップを増やすことが可能となり、「合同食品には新しいコロッケを生みだす技術力がある」と評価を受け、受注は増えていきました。
「先代からのスタッフには『若造に何ができる』と不満を抱き、退社する人もいました。半面、次の時代へ動き出す雰囲気に魅力を感じ、就業希望者も増えた。メンバーは入れ替わり、年齢も若返りましたね」
様々な味のコロッケを開発できる基盤をもとに、和田さんはイベント限定や季節限定の商品などにも対応できる「小ロットのOEM」を打ち出します。
「手間がかかるわりに利益が少ない小ロットのコロッケ製造は他の工場から拒否される場合が多く、豊作すぎたり規格外素材だったりする理由で廃棄せざるを得ない状況に困っていた生産者さんらが全国にたくさんいました。そこで『最少2千個から製造します』と大々的に掲げたのです。うちの工場規模だからこそ小ロットに対応できる。お客様に喜んでいただけるうえに、技術向上にもつながりました」
小さな依頼にも耳を傾ける姿勢が実り、04年には先代の時の年商9千万円前後から1億2千万円にまで押し上げました。
05年には、新規事業として自社製品の販売に乗り出します。
「食について勉強し、娘が成長する姿を見るうちに、子どもたちが安心して食べられるものを作りたいと考えるようになりました。コロッケは大量に作って安く売るのが当たり前とされ、バイヤーもそれを求めてきた。でも、素材から厳選した食品を自社から発信するのが、これからのメーカーの使命ではないかと」
そうして開発したのが、2種類の新商品シリーズになります。一つは特別栽培・有機栽培農産物(化学合成された農薬及び肥料の使用低減や不使用を基本として育てた農産物)を使い、乳製品や調味料、パン粉もえりすぐった「黒毛和牛コロッケ」などの無添加コロッケシリーズ、もう一つは「カニ身ドバっとあふれるカニクリームコロッケ」など高級食材を使った頂(いただき)シリーズです。
現在の価格(ECショップ)は黒毛和牛コロッケ(5個入り)が864円(税込み)、頂シリーズのカニクリームコロッケ(3個入り)が1440円(税込み)です。
05年にECショップ「玄華屋」(コロッケや)で、07年には直営店「玄華屋」(20年に「magoコロっ」と改名して移転)で販売を始めました。
今でこそ無添加コロッケは看板商品になりましたが、「始めからうまくいったわけではない」といいます。
「無添加コロッケは4種類からスタートしましたが、『値段が高い』という理由で売れなかった。まずは知ってもらおうと、百貨店の催事や野外イベントに積極的に参加しました。直営店を開いたのも『目の前で揚げて、食べてもらえればいい商品だとわかってもらえる』という自信があったからでした」
こんな挫折もありました。12年に直営のオーガニックレストラン「四里四方」を開店。ランチや土日は満席になるほどでしたが、立地の悪さから平日夜の集客に苦戦し、17年に閉店しました。
「志半ばで撤退を余儀なくされ、悔しかった。オーガニックレストランはもう一度挑戦したい。将来的な私のビジョンの一つです」
自社製品の初動の鈍さとオーガニックレストランの失敗で、再び沈滞期に陥った合同食品。この苦境をはね返し、のちに売り上げを4億円台にまで伸ばすきっかけとなった出来事が起きました。
それが18年から和田さん自身が始めた「コロッケのかぶりもの」です。きっかけは15年の「神戸まつり」への出店でした。
「道行く人に振り返ってもらいたくて、段ボールをコロッケのかたちに切り抜き、丸い穴をあけて顔を出しました。これが好評で、工場前のコロッケ直売セールでも使うと、子どもたちから『おっちゃん、張りぼてやな』とからかわれまして…。大人げなく『なにを!』と発奮してしまったんです」
からかわれたとはいえダイレクトな反応があると感じた和田さん。コロッケのかぶりものを特注して被る決意をし、18年に大阪と東京で開催された大型展示場での見本市に、自らコロッケに扮して参加したのです。
「サラリーマン出身の地味な社長で目立つのが苦手。直営店の店頭に顔を出すことさえ抵抗がありました。しかし、悠長なことは言っていられない。コロッケを知ってもらうために必死でした」
300社近くが並ぶ展示会場で、コロッケのかぶりものの効果は圧倒的でした。「バイヤーが興味を示し、うちのブースにどんどん来て試食してもらえる。そこから商談となり、受注につながりました」
和田さんは「コロッケ社長」としてテレビ番組などに頻繁に登場するようになりました。オリジナルのコロッケソングやコロッケダンスも派生し、イベント会場などで披露。18年に売り上げ3億3千万円を突破しました。この機運に乗じ、20年に本社工場を移転し拡張したのです。
合同食品が目下取り組むのが、全国の特産品や郷土料理を使った、無添加オリジナルのご当地コロッケを作る「i♡(アイラブ)コロッケ」プロジェクトです。旧来のOEMと違い、全国の依頼主や生産者の元を訪ね、レシピに加え、マルシェの展開や動画配信といった地域活性化イベントの企画など販売促進の方法も一緒に考える事業です。
プロジェクトからは、北陸の能登牡蠣や鱒寿司、熊本特産のかぼちゃ「ぼうぶら」など珍しいコロッケが続々と誕生。22年に全都道府県を制覇し、約1200種類ものご当地コロッケができました。
このプロジェクトは社員からの提案でした。
和田さんは「いい食材があっても販路が広げられず困っている生産者さんが全国にたくさんいます。誰の口にも入らず廃棄される状況が続けば、農業や畜産、酪農、漁業を継ぐ若者がいなくなる。野菜、肉、海産物、穀物、乳製品と様々な食材をコロッケにできる私たちは、地方活性化のお役に立ちたいと考えています」
和田さんは新作のコロッケを開発するための研究室「コロッケ道場」を社内に開設しました。徹底した細菌検査も行う精度の高い研究室で、まだ投資段階ですが、将来は大きな柱にするべく挑んでいます。
和田さんは今、キッチンカーの運用を始める準備をしています。
「日本中の生産者さんを訪ね、食材をその場でコロッケにして販売するマルシェを開き、お客さんとの交流の場を設けたり、動画を配信したりして地域に貢献したい。コロッケには無限の可能性があると信じているんです」
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