「実家はいわゆる中山間地域にあり、祖父母が農業を営んでいました。私は子どものころから母に連れられて茶摘みや田植え、野菜の収穫などを手伝っており、農業はとても身近にありました」
「私は長男で、いずれは祖父母の山や畑を継がなければと思っていました。高校の出張授業に来た棚田の研究者から、棚田が土壌や水質を守る話を聞いて、農業だけでなく環境活動にも興味を持ちました」
「これがウケるんだ」東京での気づき
お台場の農園でキャリアをスタートさせた江原さん。農園の借主のニーズに合わせた野菜や果物を育てるうちに、手がける品種は100を超えました。
「楽しかったですね。栽培のノウハウが身につくし、東京で求められるものや喜ばれる体験がわかりました。特に好評だったのが米作りです。子どものころに当たり前だった田植えや稲刈りを、大人も子どもも楽しんでくれました」
いっぽうで会社には稼ぎ頭がほかにあり、農園はあまり売り上げを期待されていなかったといいます。
「上司から、『農園は多少利益が出なくても社会的な意義があるし、やることに意味がある』と言われましたが、私は合点がいきませんでした。ソーシャルビジネスだから儲からなくても仕方ないという考え方ってどうなんだろうと。そこでイベントを開催して集客したり、近隣のテレビ局とコラボしたりして、農園の売り上げを伸ばしていきました」
江原さんはその後独立し、官公庁や民間企業の農業関連プロジェクトを請け負うコンサルタントになりました。
「実家からはずっと、『東京で何をやっている。早く帰って来んか』と非難ごうごうでした。技術やノウハウを身につけてから延岡に戻ると説得を続け、農家民泊のコンサルの仕事をきっかけに延岡へ戻りました」
実家の山が荒れ果てていた
2019年に延岡へUターンした江原さんは、コンサル業と農業の兼業を考えていました。しかし、両親と一緒に、実家が持つ山と畑の場所を確認しに行ったところ、衝撃を受けたといいます。
「私が子どものころに見た景色と、全く違っていました。祖父母が高齢で農業をやめて以来、耕作放棄された山が竹やぶになっていたのです。境界を確認するにも、以前は通れた道が竹でふさがれており、竹が邪魔だと感じました」
耕作放棄が続いて土地が荒れていたのは、江原さんの実家だけではありませんでした。成長が早く繁殖力が強い竹は、根を浅く張るのが特徴です。根が浅いと土をしっかり支えられないため、雨が降ると竹林ごと斜面を滑り、土砂崩れを引き起こす危険があります。また、成長した竹が光を遮ることで、他の樹木の生態系にも影響します。これらの「放置竹林問題」は、地域全体の課題になっていました。
「この竹をなんとかしなければと思いました。一方で、農業もビジネス感覚なしでは続かないと感じており、この状況で何をすれば戦えるのかを考えました」
最初に検討したのが、タケノコそのものを売る事業です。折しも季節は春のタケノコシーズンでした。自生するタケノコならば原価はタダ同然だし、竹林を管理すれば家族もハッピーになると考えました。
「甘かったです。タケノコの収穫期は1か月と短く、そこで一気に収穫と加工をして1年で売り切るとなると、私一人のマンパワーでは無理だとわかりました」
加えて、タケノコは既に市場価格が決まっており、マンパワーだけでなく金銭的にも成立しないと判断した江原さん。「付加価値が必要だ」とリサーチするなかで、出会ったのがメンマでした。
「メンマって竹だったんだ」
「メンマが竹からできているのを知りませんでした。私は大学時代、東京で食べるラーメンがおいしすぎて夢中になり、20キロほど体重を増やしたのですが、あんなに食べたメンマが竹だったなんて。それが延岡に戻ると、邪魔になるほど生えていました」
日本で流通するメンマの99%が中国・台湾・ベトナム産で、国産は1%ほどというニッチさも、価値につながると考えました。
江原さんの地元では、タケノコを収穫後JAに持ち込む生産者が多く、規格は成長段階にあわせて概ね3つに分かれていました。
「一番価格が高いのが早堀りで、刺身でも食べられるほど柔らかな『青果用』です。1キロ当たり2千円ほどで買い取られ、高級料亭などに販売されます。次が水煮となる『加工用』で、長さは30~40センチほど。70センチを超えると『加工用規格外』となり、皮つきで1キロ27円前後で買い取られます」
メンマになるのは「加工用規格外」のタケノコと、さらに1メートルほどに成長した幼竹(ようちく)でした。江原さんは、メンマについて相談しようと地元のJAへ足を運びました。2019年のタケノコシーズン終盤のことです。
「相手にされませんでした。地元出身とはいえ、新参者が新しいことをしようとしても歓迎されない空気を感じました。そこでまずは、自分でやってみて結果を出そうと決めました」
具体的なノウハウを知るためさらに情報収集を進めると、九州にも国産メンマの作り手がいることがわかりました。
いざ、糸島へ
「実は、福岡県糸島市が国産メンマの中心地でした。糸島には、全国各地の有志が運営する『純国産メンマプロジェクト』の代表の日高榮治さんがいて、国産メンマ製造に特化した会社『タケマン』もあります。私がメンマの製造方法を知りたくてタケマンに相談したところ、社長の吉野優子さんは快く見学させてくれました」
日高さんと吉野さんは、江原さんを競合ではなく仲間として扱ってくれたといいます。
「二人は私に、『放置竹林は社会問題。若い世代が興味を持って一緒に活動してくれるのがありがたい』、『メンマの製造技術はシンプル。それを自社で抱え込んでいては、問題解決に近づけない』と話してくれました。嬉しかったですね。製造技術を教えてもらったこともあり、タケマンと業務提携して、うちのタケノコをOEMで、メンマに加工してもらうことになりました」
ローカルバンブー、始動!
江原さんは、2020年5月にローカルバンブーを立ち上げました。初年度はほぼ一人で、実家の山のタケノコを収穫して作業場に運び、可食部分をカットし、数回煮てから乾燥させるまでの一次加工を行いました。
「タケマンで教わった製法で一次加工を行い、味つけなどの二次加工をタケマンに委託したのですが、一次加工の品質を安定させるのに3年かかりました」
味つけも延岡産の食材にこだわりました。伝統野菜の「七萬石とうがらし」と渡辺味噌醤油醸造の「赤麦みそ」を用いて完成した「延岡メンマ」を11月に発表すると、数多くのメディアに取り上げられて評判を呼びました。
「当初の販路は専用ECサイトのみとし、都市部の人たちをターゲットに絞りました。価値を認めてくれれば、多少値段が高くても買ってもらえるからです。外国産のメンマと比べると、延岡メンマの食感のやわらかさと味わいは明らかに違います。そこで、メディアが興味を持ってくれそうなトピックを用意したり、SNSで発信したりして、認知向上に励みました」
「メンマとして売らない」を意識
江原さんは「あなたの食欲が、延岡の森を育てます」というキーメッセージを打ち出し、従来のようなラーメンではなく、白米やトーストに合わせた食べ方を提案しました。さらに、「メンマアイス」というインパクトのある組み合わせも発信し、注目を集めていきます。背景には、江原さんによる周到な戦略がありました。
「メンマとして売らないことを意識しました。ラーメンの添え物としてのメンマだと、既存の商品とバッティングして価格競争に巻き込まれてしまいます。延岡メンマは、おいしさだけでなく、食べることで放置竹林問題解決につながるという社会性や、ラーメン以外の組み合わせという新しい価値を提供することで、独自のポジションが築けると確信していました」
江原さんの狙いは的中し、2020年の生産分は発売後ほどなく完売。翌年は実家の山のタケノコだけでは原料が足りなくなったため、再び地元のJAへ行き、規格外タケノコと幼竹の買い取りを打診しました。
「話はスムーズに進みました。JAも、放置竹林問題を何とかしたい気持ちは同じです。さらに、JAの相場の 2倍の価格で買い取りすると伝えたところ、『生産者の収入増にもつながる話。ぜひ提携を』と申し出てくれました」
JAを通じてローカルバンブーに持ち込まれるタケノコと幼竹は、2021年は900キロだったのが、2022年は9トンと10倍にもなりました。
小学校の給食からファーストクラスの機内食まで
発売当初は都市部に向けた認知向上を図り、「地産外消」を目指していた延岡メンマは、コロナ禍を経て地元延岡でも販売を伸ばしているといいます。
「専用ECサイトを通じた販売だけでなく、JR延岡駅構内 のショップでの取り扱いも始まり順調です。延岡市内の小学校にも興味を持っていただき、給食の食材に採用されました。延岡市内の公立小学校の26 校中、13校に納入しています」
江原さんは、延岡メンマを納入する小学校を訪問し、給食時間の学校放送でちょっとした出前授業もおこないます。
「校内のテレビを通じて、まずはクイズです。『大きいおかずに入っているのは何でしょう? ①キノコ、②木の枝、③竹』と質問すると、ほぼ全員が①のキノコと答えます。そこから放置竹林の現状を説明し、食べて解決という話をすると、放送後は私に向かって『メンマ!メンマ!』と声をかけてくれますね」
地元のつながりから、延岡メンマは航空会社のファーストクラス機内食にも2年連続で採用されました。
「コロナ禍の影響で、ANAの社員が延岡市役所に出向していました。その方が『ANAの強みは機内食』と話すのに着想を得て、ストーリー性のあるローカル食材を使うことを提案しました。すると社内選考にエントリーしてくれて、日本発の国際線全路線のファーストクラス機内食に、延岡メンマが採用されたのです。もう、感謝しかありません」
広がるご当地クラフトメンマ
ローカルバンブーは、2023年7月時点で社員は10人。江原さん以外は全員が業務委託ベースだといいます。
「一次加工と梱包作業は福祉作業所に、二次加工はタケマンにお願いしているので、うちは営業や広報やバックオフィス業務に集中できています。延岡メンマの製造業というよりは、販売とコンサルティングの会社に近いですね。延岡メンマに加えて、築150年の町屋をリノベーションした宿泊施設事業や、他地域の放置竹林や農園のコンサルティングも始めました」
延岡と同様の問題を抱える、東京都町田市と熊本県多良木町の放置竹林を活用した「町田メンマ」と「多良木メンマ」は、それぞれ地元の食材で味つけしたご当地クラフトメンマとして、商品開発やマーケティング活動が進んでいます。
「町田メンマは町田市と包括的連携協定を締結しています。ローカルバンブーにとって、取引先に官民のこだわりはありません。放置竹林問題を何とかしたいと考える人たちと、一緒に行動するだけです」
食の都パリへ
延岡メンマを海外にも届けたいと考える江原さんは、2022年10月にフランスのパリを訪問しました。
パリで開催された欧州最大の食の見本市を視察しながら、江原さんは日本人街にあるラーメン店を訪問し、延岡メンマの営業活動を行いました。
「現時点では見本市で知り合ったインポーターを通じて、ドイツのデュッセルドルフのラーメン店に延岡メンマが採用されたところです。欧州への輸出の手ごたえは感じますが、まだまだこれからです」
「やってみようかな」と思ってもらう
もともと実家の農業を継ごうと延岡にUターンし、放置竹林問題に直面するうちにローカルバンブーを設立した江原さん。延岡メンマ事業が軌道に乗るなかでも、地域の生産者の高齢化が気になっています。
「Uターンして改めて、若い世代が少ないと感じました。タケノコや幼竹を持ち込んでくれる生産者もほとんどが高齢者で、後を継ぐ人がいるのか心配ではあります。放置竹林問題については、国産メンマを通じて興味を持ってもらい、山に足を運ぶ人が増えるといいと考えています。そこからさらに『農業をやってみようかな』と思ってもらえるように、ビジネスとして成立する姿を示し続けていきたいです」
江原さんは、竹と地元の柑橘・平兵衛酢(へべす)を用いた飲料の開発を進めたり、実家の畑で栽培するサツマイモの加工食品を試作したりと意欲的です。
「延岡メンマの収益化のめどが立ったので、放置竹林と地元の魅力を掛け合わせた新商品を開発中です。やりたいことはたくさんあります。楽しいですよ」