目次

  1. 子どものころから「農業を継ぐ」
  2. 「これがウケるんだ」東京での気づき
  3. 実家の山が荒れ果てていた
  4. 「メンマって竹だったんだ」
  5. いざ、糸島へ 
  6. ローカルバンブー、始動!
  7. 「メンマとして売らない」を意識
  8. 小学校の給食からファーストクラスの機内食まで
  9. 広がるご当地クラフトメンマ
  10. 食の都パリへ
  11. 「やってみようかな」と思ってもらう

 江原さんが高校卒業まで育った宮崎県延岡市は、九州で2番目の面積を誇る自治体で、そのうち約8割を山林が占めています。

 「実家はいわゆる中山間地域にあり、祖父母が農業を営んでいました。私は子どものころから母に連れられて茶摘みや田植え、野菜の収穫などを手伝っており、農業はとても身近にありました」

子どものころの江原さんと祖父

 「両親は公務員」という江原さんは、高校卒業後に東京農業大学へ進学。当時から、祖父母の農業を継ぐつもりだったといいます。

 「私は長男で、いずれは祖父母の山や畑を継がなければと思っていました。高校の出張授業に来た棚田の研究者から、棚田が土壌や水質を守る話を聞いて、農業だけでなく環境活動にも興味を持ちました」

 東京農大の生産環境工学科へ進学し、棚田の研究室に入った江原さん。卒業後は東京の農業ベンチャーに就職しました。

 「延岡へ戻る前に、栽培とマーケティングの経験を積みたくて東京で就職しました。入社後は、お台場のビルの屋上にある都内最大級の貸農園で、農園長を任されました」

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