経営者なら誰でも、社員に「この会社で働けて幸せだ」という誇りを持たせたいと思っています。しかし、その誇りは社会環境の変化に対応できないと、一瞬にして失われ、取り戻すのは並大抵ではありません。
近藤印刷も激しい環境変化の中で一度は誇りを失いました。しかし、社員が自ら新しいビジョンを創り上げ、それを目指すことで誇りを取り戻しました。「Think Big, Start Small, Learn Fast(大きく考え、小さく始め、早く学ぶ)」と言われるイノベーションの秘訣を、地で行くストーリーです。
近藤印刷は起久子さんの父で現会長の光夫さん(91)が1954年に創業。現在は社員16人を抱えます。年商は約2億5千万円です。起久子さんは元々、社長になるつもりは全くありませんでした。兄の高史さんが40歳の時に父から会社を継いでおり、自分は経理担当者として生涯兄を支えるものと思っていました。
ところが、2011年の東日本大震災の後、兄から突然「起久子、お前が社長をやってくれ」と頼まれます。実は兄は敬虔なクリスチャンで、被災地に何度もボランティア活動に出かけるうち、本格的に支援活動がしたくなり、残りの人生を捧げたいと決意したのです。驚いた起久子さんは、必死で抵抗しましたが、兄からは「お前がやらないのなら、この会社を潰す」とまで言われます。この抵抗は2年続きました。
そんな中、起久子さんはがんを患います。手術を受け闘病生活を送る間、だんだん心境に変化が出てきました。「同じ死ぬなら、近藤印刷の社長くらいやれるだろう」と腹が据わってきたのです。そして13年、兄の後を受けて3代目の社長に就任しました。
当時、「近藤印刷といえばクリアファイル」と言われるほど、業界では定評がありました。クリアファイルはインクの乾燥が早いUV機を使って印刷します。同社のUV機は小型で、大型の機械を用いる大手企業に比べると印刷のズレがなく、キレイと評判だったのです。ところが就任直後、起久子さんは印刷業界をめぐる、二つの環境変化にのみ込まれました。
「脱プラ」で増えた発注停止
一つ目の変化は、ネットで受注し短納期で納める印刷通販会社の台頭です。中国製の素材が使われ、クリアファイルに価格破壊が起きます。刷っても刷ってももうからない構造になりました。
もう一つは、環境破壊につながるプラスチックの使用を控える活動が盛んになってきたことです。そのため、クリアファイルのメインユーザーだった自治体から「今年は発注できない」と敬遠されることも増え、受注量は最盛期の約10分の1以下になりました。
このダブルパンチに、起久子さんは社員たちが抱いていた近藤印刷への誇りを失っていると感じました。起久子さん自身、展示会会場で配られたクリアファイルが、場外で多く捨てられ、足で踏まれているのを見たときは「私たちはゴミを作っているのか?」と真剣に悩みました。
また、「あの部署はまだ環境やSDGsに対してうるさくないから、クリアファイルを勧めても大丈夫」というように、営業活動において正々堂々としていない感じが見受けられたといいます。
危機感を強くした起久子さんは、社員の誇りを取り戻すため、2019年に「公器」を経営理念として掲げました。松下幸之助の言葉「企業は社会の公器」から引用したものです。
しかし、この経営理念は社員に全然伝わらず、「意味が分からない」、「ボランティア集団になれということですか?」などと言われる有り様でした。
火災を機に生まれた一体感
そんな焦りの中で、さらに悪いことが重なります。19年1月、本社の事務所2階が焼ける火災が発生したのです。起久子さんの机の足が古い電気コードを踏んでいたことによる漏電が原因でした。同社は火災保険に入っていなかったため、起久子さんは再建費用として新たに約2500万の借金を余儀なくされました。
2500万円という額の大きさに悩んでいると、社員の一人が起久子さんに「僕と同じですね」と声をかけてきました。彼はそのころ、家を買うために2500万円の住宅ローンを組んだばかりだったのです。
起久子さんはそれまで、その社員とあまり口をきいたことがありませんでした。彼は「僕は会社のために働きません。お客様のために働いています」と語る昭和スタイルのビジネスマン。がんの経験があり、健康の大切さを思う起久子さんとは、価値観が合わなかったといいます。
しかし、これを契機に2人は会話するようになりました。他の社員とも火事の後のブルーシート張りや、灰の片付け、新しいオフィスのデザインを話し合ううちに、それまでなかった社内の一体感が芽生えてきました。
地域の人も随分と助けてくれ、「うちの3階のフロアが空いているから、再建までの間、自由に使えばいい。プリンターもコピー機も自分の会社のものと思って使って」と言ってくれる同業者もいました。
起久子さんは火事を通じて、ともに立ち上がろうとする社員がいること、地域の人たちに支えられていることに心から感謝しました。そして、いま一度誇りある近藤印刷にするために、自分たちが進む方向を示すビジョンを策定しようと決意したのです。
「エシカル消費」をビジョンに
自分一人で創った理念の共有が進まなかった反省から、起久子さんはプロジェクトチームを立ち上げ、社員と議論しながらビジョンをつくることにしました。
チームが発足した20年7月は、最初の緊急事態宣言の影響でイベントが一切なくなり、印刷の仕事が激減した時期です。先が全く見えない不安だらけの環境のなか、みんなで思い思いの意見を出し合いました。
その中の一つに「エシカルに取り組みたい」という意見がありました。エシカルとは、英語で「倫理的な」という意味です。印刷やノベルティーグッズの提供を通して、人や社会、地域、環境などに優しいものを購入する「エシカル消費」を推進したいという内容でした。
こうした現場の意見に起久子さんは共感しました。印刷業では一般的に、印刷物やノベルティーグッズを千枚刷っても、長年お客様に使われたり保管されたりするのは3枚程度で、残り997枚は廃棄されると言われています。
起久子さんは以前から、この現実を何とか変えたいと思っていました。廃棄される997枚にも、作るためのエネルギーとコストが使われています。そのエネルギーとコストを用いて絶対に必要な3枚を創った方が社会のためになる。だから、捨てられるのが当たり前ではなく、絶対に捨てられない付加価値の高い印刷物を創りたいと考えたのです。
それでも、機械を稼働させて稼ぐ従来型の大量生産・大量消費型のビジネスモデルから抜け出せずにいました。しかし、社員みんなが「エシカル消費に貢献したい」と言ってくれるのなら、やる価値ありと判断したのです。
横断的なプロジェクトチームを創設
20年11月、起久子さんはみんなの想いを込めた「自由な働き方のエシカル工房」という「2025年ビジョン」を発表しました。
「自由な働き方」は通勤や訪問などに縛られない働き方を指します。そして「工房」には、企画やデザインなどによって付加価値を生む会社になることを表しています。
ビジョンを発表した後の起久子さんの行動は素早いものでした。従来の営業部、制作部といった機能別の縦割りの組織は残しつつ、テーマ別に、組織横断型のプロジェクトチームを立ち上げたのです。それは以下の10個に分かれます。
- 戦略
- ブランディング
- リサーチ
- ものづくり企画相談室
- 自社ECサイト「totte」
- エシカル推進室
- 中川運河しおりのアトリエ
- プロモーション
- イノベーション
- 官公庁特化サイト「みのりブックマーク」
各チームの所属人数は3~6人。同社の社員数は16人なので、1人三つ以上掛け持ちでプロジェクトチームに所属する形です。チームでは通常業務以上に自由な発想を求められるテーマが多く、影響は社内だけでなくお客様や地域など広範囲に及びます。
チームは自由な形態で、状況に応じてスピーディーに定義やメンバーを変えられ、ミーティングの頻度やスケジュールも各チームのリーダーに任せています。その自由度も社員の楽しさを生み出す要因となっています。
多様な「しおり」を主力製品に
こうしたチーム内での議論などを通じて、近藤印刷では主力製品をクリアファイルから「しおり」に切り替えるという決断を下しました。
同社はしおりを「ページを閉じた瞬間に、いつでも立ち戻れるよう導いてくれる案内役」と定義。そのため、ただの印刷物ではなく、そこに使用者のストーリーが宿ると考えています。
しおりは紙だけでなく、フィルムや金属、木製でも制作できる環境を整えました。現在は、四つに切り離して使えるはがきサイズの「4連しおり」や映画のフィルムを再現したしおり、高級感のある「金属製しおり」、再生ペットボトルを使ったしおりなど、通常で15種類のアイテムをそろえています。累計販売枚数は1300万枚にのぼります。
2011年から立ち上げている「栞屋」という独自サイトでは、しおりに関する情報発信と受注を積極的に行っています。
さらにしおりへの造詣が深いことをPRするために、自社の倉庫がある名古屋市の中川運河沿いに「中川運河しおりのアトリエ」をオープンしました。こちらではテーマ性のあるしおりの企画展を定期的に開催。その効果もあり、しおりは同社の売り上げの約15%を占めるまでに成長しました。
設備面も強化しました。ものづくり補助金を活用し、再生プラスチックや再生ペットが加工可能なウエルダー機、オーガニックコットンのマスクやフェアトレードのエコバッグにプリント可能な布用プリンターを導入。「本当に必要なもの」を「必要とされる品質」に高め、「必要な量」だけ提供できるよう、多くの製品は社内だけで製作可能な体勢にしました。
社内に設けた地域交流スペース
起久子さんがビジョンを第三者に語ると、必ず聞かれるのが「エシカル工房って何?」という質問です。
そこでビジョンを具現化するため、社屋の改修も行い、お客様や近隣の子どもたちが工場を見学しやすいように2階から工場内を見下ろせるスペースを設けました。
工場の一角には見学者がものづくり体験ができるブースもあります。子どもたちが不要になったペットボトルのラベルを用いて缶バッジを作成して、エシカルの大切さを学んでいます。
起久子さんが地域との関わりを大切にするのは、火事のときにお世話になった地域との交流をもっと盛んにしたいとの想いからでした。
実は同社の主要取引先は、近隣に少なく遠方に多いという特徴がありました。現会長が「近隣に仕事を下さいと頭を下げるのは苦手」と、遠方で顧客を開拓したためです。
しかし、起久子さんは地域こそ大切だと考えています。ブランディングには「モノづくり+コトづくり」が欠かせません。一緒になってコトを興すには、地域の協力が不可欠だからです。
「中川運河しおりのアトリエ」に併設された「中川運河学習室」では、地域の4社が集まり「わたしたちのサステイナブル」をテーマにしたワークショップを開催しています。
国際教養大学准教授の工藤尚悟さんの指導を受け、自治体の職員やSDGsを研究している大学生も参加。参加企業各社の屋上から中川運河を眺める「景色のお裾分け活動」や、社員を一時的に交換してみる「交換留学」など、地域交流につながる取り組みを計画中です。
エシカルで取り戻した誇り
近藤印刷は21年、エシカルノベルティーサイト「エシカ」を立ち上げ、23年に入ってから、月に50万円ほどの売り上げが立つようになってきました。また、エシカルにかじを切ったことで新しいネットワークが生まれ、社員が学校でSDGsカードゲームなどの出前講座をしたり、JICAを通してウズベキスタンから経営者が視察に訪れたりしています。
起久子さんが今、力を入れようとしているのが、企業の廃材を利用したエシカルグッズの開発です。本来であれば捨ててしまう廃材を持ち込めば、近藤印刷がそれを加工して魅力的なグッズに加工し、アップサイクルを実現します。
例えば、消防署で処分されたホースとガス会社の配管を組み合わせてペットボトルホルダーにすることを考えています。また、捨てられる鹿革をアクセントに使ったしおりが開発できないかトライしています。
こうした小さな取り組みが共感を呼び、同社のイベントには人が集まるようになりました。地元メディアにも幾度か取り上げられ、近藤印刷のイメージは「クリアファイル」から「エシカル」へと変わりつつあります。
テレワークの推進と副業人材の活用も進めています。たとえば「中川運河しおりのアトリエ」をプロデュースしているのは、仙台市在住の女性です。
社員は自分たちが発信する「自由な働き方のエシカル工房」というビジョンに一歩ずつ近づいている実感があります。この実感が、「この会社で働けてうれしい」という新たな誇りにつながれば、と起久子さんは考えています。
公器やエシカルという大きなスケールで自社の役割を考え、自分たちにできることを、地域の皆様とトライする。「Think Big, Start Small, Learn Fast(大きく考え、小さく始め、早く学ぶ)」を地で行く近藤印刷が、次はどんなコトづくりに挑むのか楽しみです。