子供が本を買える場を残したい 有隣堂7代目が挑む「書店の再定義」
明治時代から続く横浜市発祥の老舗書店・有隣堂。7代目社長の松信健太郎さん(50)は、デジタル化等による書店離れに危機感を覚え、「書店の再定義」に着手しました。「本を中心としない」店舗をオープンするなど、様々な新規事業を展開。書店の存続のためにユニークな手を打つ狙いを聞きました。
明治時代から続く横浜市発祥の老舗書店・有隣堂。7代目社長の松信健太郎さん(50)は、デジタル化等による書店離れに危機感を覚え、「書店の再定義」に着手しました。「本を中心としない」店舗をオープンするなど、様々な新規事業を展開。書店の存続のためにユニークな手を打つ狙いを聞きました。
有隣堂の始まりは1909年。創業者の松信大助氏が横浜・伊勢佐木町に開いた、間口2間(約3.6メートル)の小さな個人経営の書店がルーツです。その後1920年に法人化。この頃から書籍だけでなく、文房具や楽器なども販売していました。
1980年代後半からは東京圏にも進出。地元神奈川を中心とした駅ビルに多く書店をかまえ、2023年6月現在、神奈川・東京・千葉に計41店舗を展開しています。
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書店事業と並行して、経営の多角化も進めました。1970年代には、書店のほか楽器販売店や音楽教室を多数展開。1983年からはオフィス機器の販売にも本格的に着手し、売り上げの柱に成長させていきます。現在、会社全体の売上高のうち、書店の店頭販売の割合は4割ほどで、残り6割をオフィス機器の販売や音楽教室などが占めています。
「小学生の頃は、言われたことの逆ばかりをやる子どもだったので、4代目の祖父からは『逆さ健太郎』と呼ばれていました」
創業家の長男である松信さんは、北九州市の小倉で誕生しました。当時、父親である松信裕さんは新聞社に勤めており、仕事の都合で小倉に住んでいたのです。松信さんが4歳の頃、東京への転勤のため、一家は横浜市に住居を移しました。
松信さんが幼少のころ、父親はまだ有隣堂に入社していなかったこともあり、有隣堂とは接点の少ない生活を送っていました。そのため周囲から後継ぎとしての重圧をかけられることもなく育ちます。
赤川次郎の本や青い鳥文庫やちくま文庫、岩波文庫などを読むのが好きな少年時代でした。そんな松信さんにとって有隣堂は「おじいちゃんのやっている、ちょっと大きめの本屋さん」というイメージ。当時住んでいた場所から、有隣堂の店舗まで距離があったこともあり、身近な場所ではありませんでした。
大学進学のころ、父親が新聞社を退社し有隣堂に入ります。いっぽうの松信さんは有隣堂に入るつもりはなく、大学3年の頃から司法試験に挑戦し始めます。組織で働くのは性格的にも向いていないと感じ、組織に属さなくてもできる職業に就きたいと考えたためでした。
「しかし8年連続僅差で落ちました」
最後の受験となった2006年の司法試験も不合格。父親から「有隣堂に来るしかないね」と助け船をだされ、最初はアルバイトとして働き始めました。35歳のことでした。
松信さんは有隣堂のアトレ目黒店で、商品管理や雑誌の返品作業など裏方仕事を始めます。入ったその年の、年末キャンペーン販売コンテストでアルバイトであるにも関わらず1位となるなど、当初から業務を「自分事」として捉え積極的に挑みました。
働くなかで、オペレーションの課題や、売り上げに対する従業員の認識の甘さなどが目に付きはじめます。
「もっと売れるのに、というのがありました。たとえば、能力のあるアルバイトの方がいても『彼女は売り場担当ではないから』という理由で、売り場に立たせてもらえない。何とかできないかなと思いました」
翌年の2007年には、正社員となります。1996年頃から出版業界が縮小傾向にある中、社長である父親は、本を売っていく新しい手段が見つからないうえ、社内の危機感も変わらないという状況に苦労しているのがわかったといいます。当時の財務状況から考えて、外部の人を後継者とするのは難しい状況です。これは自分がやるしかないと感じ、正式に有隣堂の正社員となりました。
入社後は、管理本部長付き部長として財務やマーケティングをはじめ総合的な研修を2年間行い、2009年から、店舗運営を担う店売事業の責任者となりました。研修時にさまざまな部署を見ていく中で、各事業部の独特の世界観やルールがあることを知りました。それをうまく補い合い、連携していくことでシナジー効果を育む発想まではたどり着いていない状況でした。
松信さんが入社した2007年は、6月にiPhoneの初期型が発売され、11月にはKindleが登場するなど、デジタル化の波が一気に押し寄せてきた年です。にも関わらず、オフィス機器販売などほかの事業によって会社全体では売り上げを確保できていたため、社内で危機意識のない点は変わらず続いていました。そこが、一番の課題と感じたといいます。
そこで店売責任者となってから、各課題に対する改善対策に取り組みました。
まずは部署間でのシナジー効果を生むため、人を異動させることで部署間の交流が生まれやすい環境を創出。社内の危機意識の改革としては、従業員たちにデータをもとに説明をして回りました。
かねて感じていたオペレーションの課題を改善するため「店舗オペレーション改革プロジェクト」を発足。それまでは本の返品に出すまでの期間や出し方などのルールも店ごとにバラバラだったのを、標準化していきました。
いっぽうで、縮小傾向にある書店事業を立て直すには、従業員の意識をより抜本的に変える必要があると感じていた松信さん。過去の成功体験を捨て、新たな成功モデルを育てるため、「書店の再定義」をキーワードに、新規事業に乗り出していきます。
書籍の再定義には、大きくわけて、二つの方向性を持たせました。
一つ目は、書籍を売ってきた信用力で「書籍以外の『モノ・コト・トキ』を売っていく」。二つ目は、「書籍以外の『モノ・コト・トキ』の力を借りて『書籍』を売り続けていく」です。
「書籍以外の『モノ・コト・トキ』を売っていく」を象徴する店舗が、2018年3月に誕生した複合型店舗HIBIYA CENTRAL MARKET(東京ミッドタウン日比谷3階)です。
「商業施設の中に小さな街を作る」がコンセプト。約780平方メートルのフロアのなかに、雑貨店や喫茶店、さらに理容店や居酒屋など計7店舗が入り、ちょっとしたテーマパークのように「街」を構成しています。そのなかに本棚はほんのわずかしかありません。「本を中心としない新しい店」というのが、目指した姿でした。
斬新なアイデアは、セレクトショップ「1LDK」などを手がけてきたクリエイティブディレクター、南貴之氏が発案したものでした。打診が来た当時、専務だった松信さんは「(従業員の意識を)反対方向にふるきっかけを求めていたので、ちょうどよいと思って決めた」といいます。先代の社長をはじめ周囲は難色を示していましたが、必要性や収益予測をロジカルに説明してまわり、プロジェクトを実現しました。
「従業員の意識改革をしていくためにも、『今までやっていないお店を作る』という思いで進めました。5年経った今では、お店もだいぶこなれてきています」と松信さん。収益は順調で、店舗運営に関わったスタッフにも、「新しいことをやっていかないといけない」という意識の変化が見られたと語ります。
二つ目の方向性、「書籍以外の『モノ・コト・トキ』の力を借りて『書籍』を売り続けていく」店舗の象徴として2019年にオープンさせたのが、「誠品生活日本橋」です。
誠品生活は台湾発の複合型書店で、書籍に加えて香水やお茶、伝統工芸などの幅広い雑貨を扱い、毎日たくさんのイベントを開催してお客様に「体験」を提供しているのが特徴です。有隣堂でも近い取り組みはありましたが、「本と一緒に雑貨や文具を置く」という領域を出ることはできなかったといいます。そこで、世界的にも成功している誠品生活のノウハウを得るためにアライアンス契約を結び、フランチャイズとして展開しました。
オープン当初は客足も好調でしたが、直後に新型コロナウイルスの影響を受け状況は激変。その後も客足が戻りきっておらず、十分な手ごたえはまだないといいます。
さまざまな取り組みをおこなう松信さんですが、新事業を始める際の基準は「面白いかどうか」が重要といいます。社長自身や社内の人が面白いと思えないと、お客様に面白いと感じてもらえません。もちろん「面白い」という、人それぞれ違う価値基準だけでは判断できないためマーケティングリサーチをおこない、総合的に考慮しますが、決め手となるのは「面白いかどうか」だそうです。
また、「本を中心としない新しい店」というユニークな事業を進めながらも、根底には「書店のある光景を残していきたい」という思いがあるといいます。
「子供の成長のために本は絶対に必要です。そして本を読むには本を買う場所、吟味する場所が大事。駅前やショッピングセンターといった日常の中に書店があって、子供でもふとしたついでに本を買えるような環境を残していきたいんです」
松信さんは次の一手として、公式YouTubeチャンネルの開設にも踏み出します。有隣堂ならではの強みが、思わぬ形でヒットに結び付きました。
※【後編】では、開設直後に伸び悩んだ有隣堂の公式YouTubeチャンネルが、登録者数24万という人気チャンネルに成長するまでを取り上げます。
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