目次

  1. 繊維の一貫生産に強み
  2. アジアの発展に抱いた危機感
  3. 温泉宿で開いた「社員大会」
  4. 自社ブランドを立て続けに提案
  5. 自社製品の開発が社員の結束力に
  6. 本業の成長や採用にも好影響
  7. 人が集まる繊維産業に

 梶さんの子どものころの遊び場は工場の庭。将来の夢を聞かれれば、迷わず「カジナイロンの社長」と答えていました。家業に入ってから、グループの社員数は250人から310人に増え、売上高は倍増。その背景には繊維業界の変化を見据え、組織改革に踏み切った強い意志がありました。

カジグループは機械製造業に端を発します(同社提供)

 カジグループは1934年、梶さんの祖父が石川県かほく市で創業した繊維機械の製造を行う梶製作所が始まりです。その後、織物のカジレーネ、糸加工のカジナイロン、編みのカジニット、縫製のカジソウイングを設立。分業が当たり前の国内の繊維産業で、機械設計部門まで抱えるグループは、世界中を探してもほぼ見当たりません。

 梶さんは「例えば、糸加工の際に『こんな糸をつくりたい』となると、機械設計部門のメンバーが新しい機械の開発や既存の機械の改造で要望に応える。情報交換をグループ内で密にすることで、最終製品の衣服をイメージした特殊な糸をつくれるんです」と言います。

 他にはまねできない糸を使って織物や編み物でも工夫を凝らし、縫製までの工程を一貫して管理・生産する。グループ各社の強みをかけ合わせた取り組みを、梶さんは「付加価値創出型一貫生産体制」と呼びます。

特殊な糸を作り出せるのが強みです(同社提供)

 梶さんは大学卒業後、家業の主要取引先だった大阪の総合商社に勤務。家業を継ぐまでの修業のつもりでしたが、アパレル部門の営業として飛び回り、大手通販の案件を新規獲得します。

 「この案件で、商品企画から糸、生地、縫製までの全工程と流通の知識を学びました。父親からは早く帰ってこいと言われ続けましたが、軌道に乗るまで見届けたいと、3年で退社するはずが6年いました」

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