目次

  1. 社長になっても「自分の会社とは思えなかった」
  2. コロナ禍で社内の人間関係が悪化
  3. 組織の方向性を決めるミッション・ビジョン・バリューを作成
  4. 総務部・人事評価制度もアップデート
  5. 裏方支える社員を表彰すると「部下や同僚にも」
  6. 職人の暗黙知を自主的にマニュアル化

 「小平株式会社」(以下、小平)の前身は、1912(大正元年)年に創業した「小平商会」です。創業者で初代の正之進(しょうのしん)さんが始めたのは鍛治業。2代目・五郎さんは、現在のエネルギー事業の基盤となるLPガスやアセチレンの卸・販売にも乗り出しました。

エネルギー事業を立ち上げた1950年代の写真。右端が2代目の五郎さん、前列中央が3代目の亮一さん。写真左端の窓に「プロパン」の文字が見える(小平提供)

 3代目の亮一さん(71)の時代になるとIT事業、貿易事業も加わり、さらに多角化していきます。

 「父親はベンチャースピリットにあふれた人です。特にシステム開発には先見の明があり、1982年にITソフトウェア開発を始め、1997年には貿易事業にも進出しました。現在はそれぞれ、DX事業、貿易・コンサルティング事業として、エネルギー事業と並ぶ当社の基盤になっています」

 こう語るのは、4代目で代表取締役社長の小平勘太さん(43)です。

 勘太さんは大学と大学院で農業を専攻しました。大学院修了後は、東京のITコンサルティング会社に勤務。還暦を目前にした父・亮一さんから「鹿児島に帰ってこないか」と言われたのをきっかけに2010年、小平に入社して、2012年には4代目社長に。亮一さんは会長となりました。

 ただ、勘太さんの社長就任後も、経営に関する施策の最終的な決定権は亮一さんにありました。そのためか、勘太さんは小平での仕事をどこか人ごとのように感じていました。

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