「小平株式会社」(以下、小平)の前身は、1912(大正元年)年に創業した「小平商会」です。創業者で初代の正之進(しょうのしん)さんが始めたのは鍛治業。2代目・五郎さんは、現在のエネルギー事業の基盤となるLPガスやアセチレンの卸・販売にも乗り出しました。
「父親はベンチャースピリットにあふれた人です。特にシステム開発には先見の明があり、1982年にITソフトウェア開発を始め、1997年には貿易事業にも進出しました。現在はそれぞれ、DX事業、貿易・コンサルティング事業として、エネルギー事業と並ぶ当社の基盤になっています」
勘太さんは大学と大学院で農業を専攻しました。大学院修了後は、東京のITコンサルティング会社に勤務。還暦を目前にした父・亮一さんから「鹿児島に帰ってこないか」と言われたのをきっかけに2010年、小平に入社して、2012年には4代目社長に。亮一さんは会長となりました。
「父親は現場の判断まで自分で行いたいために、現場に細かく入り込むタイプでした。自分自身がつくった仕組みですので、思い入れがあったんだと思います。一方、私は農業系のグループ会社の経営に忙しかったこともあり、小平の経営にあまり熱心ではありませんでした。自分がリーダーシップを発揮する必要はないと割り切り、オーナーが別にいる『雇われ社長』や『外部コンサル』のような感覚で仕事をしていました。社長であっても小平が『自分の会社』とは思えませんでしたし、自分にもっと任せてほしいとは思っていましたが、父親がリーダーシップを発揮する状況にあって、それは難しいだろうという諦めがありました」
コロナ禍で社内の人間関係が悪化
幸い、会社は長年、黒字経営でした。組織の問題がなかったわけではありませんが、その都度、会長となった亮一さんや先代時代からの番頭的な役員が現場に入り込んだり、「飲みニケーション」によって解決したりすることで、大きな問題になることはありませんでした。
ところが、コロナ禍によって組織の問題が一気に顕在化します。リモートワークでコミュニケーションが激減したことで、人間関係のトラブルが発生し、業務にも支障を来たすようになりました。2022年2月には役員の一人が退職する出来事もありました。
コロナ禍やロシアのウクライナ侵攻により、ガスや電気の仕入れ価格が高騰したことも会社に打撃を与えました。会社全体の売上の6割を占めるエネルギー事業は、世帯数に左右されるビジネスです。人口が増加し続けていた時代は、契約を取れば取るだけボーナスが出て、社長より給料の高い社員もいました。
しかし、世帯数が減少傾向に転じると売上は横ばいが続きます。新規契約は取れており、年2%ほどの売上増はありましたが、仕入れ価格の高騰で利益率が下がり、社内には後ろ向きな空気が広まっていました。
採用も困難になっていました。長年、旧態依然とした組織運営が続き、専門の採用チームがなかったこともあり、特にエンジニアを採用できなくなっていたのです。社員の高齢化に伴い定年退職者も増えていくにもかかわらず、求人を出しても応募がありません。
そうしたタイミングで突如やってきたコロナ禍。会社はリモートワークになり、コミュニケーション量が激減し、従来のやり方で迅速に問題を解決することができず、組織状態の悪化につながってしまったのです。
勘太さんの頭の中には一瞬、会社の売却もよぎりました。しかし、最終的には自らが先頭に立って会社を立て直すことを決意します。
「このままだと船が沈んでしまう。もう一回、船を修理してやりなおそう。そして、それは自分がやらないといけない、と思いました」
組織の方向性を決めるミッション・ビジョン・バリューを作成
2022年4月、勘太さんは社外から池田亮平さん(43)をCHROとして迎え入れ、「第4創業」と銘打った社内改革プロジェクトに着手しました。退職した役員が統括していた財務・会計だけでなく、経営戦略と組織戦略についても対等に話し合える右腕がほしいと考えたからです。
池田さんは東京出身。コンサルティング会社などを経て、鹿児島にIターン移住し、勘太さんと知り合いました。
勘太さんはCHROの池田さんとともに、改革を進めていきました。
1つ目がミッション・ビジョン・バリューの作成です。悪化した組織状態を改善するには、どんな組織にするかという方向性、考え方の違う社員をまとめる指針が必要です。そのよりどころとなるミッション・ビジョン・バリューが必要だと考えたのです。
全社員を巻き込んで作るのが理想ですが、組織状態が悪化している現状を踏まえ、ミッションとビジョンはトップダウンで作り上げることにしました。
「会社の存在意義」となるミッションは、1泊2日の役員合宿の中で作成しました。最初はぎくしゃくしていた役員たちが集い、共に現状の整理をして、問題が起こった要因についても時間をかけて話し合った結果、役員同士の関係も良好に。合宿の終わりには無事、ミッションが完成しました。
「2032年までに小平が実現したい世界」を表現したビジョンは、勘太さんとCHROの池田さんが担当しました。「自分年表」「会社年表」「世界年表」を書き、それを踏まえてそれぞれのステークホルダーに向けて何を実現するかを整理して6つのビジョンを作成しました。
できあがったミッション・ビジョンは2022年9月に「経営ミッション発表会」を開き、全社員に共有されました。
その後、ミッション・ビジョンを踏まえて、「小平が大切にする価値観」としてのバリューの作成も行いました。各事業部からの推薦された社員、参加を希望した社員が中心となり、どうすればビジョンの達成に近づくかをワークショップなどで洗い出し、まとめました。
ミッション・ビジョン・バリューを作ったことは、特に役員にとってよかったと勘太さんは考えています。
「ぎくしゃくしていた人間関係を修復できただけでなく、経営判断や投資判断が迅速にできるようになりました。ミッション・ビジョン・バリューという基準があればやったほうがいいこと・やらなくていいことの判断がすぐにできますし、決定事項に対する腹落ちの度合いが違います。指針がなければ何でもできますが、その場合、迷うことも増えますから、やはり指針を作ってよかったと思います」
合わせて人事評価制度も全面改訂しました。それまで、営業は歩合制で数字に基づいて評価がなされていましたが、バックオフィスやエンジニアのように数字を直接出せない仕事をしている人を評価する仕組みがありませんでした。
そこで、等級制度の導入、半期ごとの目標管理、チーム・個人・バリューの3つの観点からの評価など、すべての社員をその成長にフォーカスして評価できる仕組みの整備を行いました。
総務部・人事評価制度もアップデート
2つ目の社内改革は組織改編です。ミッション・ビジョン・バリュー作成と同時に、退職した役員が統括していた総務部を「経営企画室」へと刷新しました。
「旧総務部では経理と庶務が主な業務でしたが、経営企画室ではそれに加えて、人事、法務、労務、広報、社内のDXも担当することにしました。旧総務部のスタイルが『守り』だとしたら、経営企画室のスタイルは『攻め』です。社員がストレスなく新しいことに挑戦できるようにするため、経営企画室が社内環境の改善を図り、積極的にサポートしていきます」
特に採用は大幅に改善しました。採用前から入社後の新人研修までの一連の流れを仕組み化したのです。これまでは新入社員の配属が決まったら、その部署に教育は任せきりでしたが、今は採用から新人研修までのプロセスを通して、どの部署がどのように関わるかが明確になっています。
社内規則も全面改定し、フルリモート勤務やフレックスタイム制、副業についても明文化をしました。
裏方支える社員を表彰すると「部下や同僚にも」
2022年11月からは半年に1回、全社集会「ビジョンミーティング」も開催しています。小平には県内外に複数のオフィスがあり、フルリモートで勤務している社員もいます。普段、顔を合わすことのないメンバーと対面して、ペアインタビューやワークショップを通してコミュニケーションを活性化させるのが狙いです。
また、2032年の小平のビジョンと自分たちの現在地を概観し、ビジョン達成のためにこれから何に取り組もうとしているのかを再確認する機会にもなっています。
ビジョンミーティングでは、バリューを最も体現している社員を表彰する「バリューアワード」も開催されています。推薦されたノミネート者の中から、ビジョンミーティング当日に勘太さんが大賞を決定。大賞を受賞した社員と所属部署、そしてノミネート者には賞金が贈られました。
「システム移行の担当者やガスボンベの塗装の担当者といった、これまで裏方で日の当たらなかった人たちを表彰しました。本人たちのモチベーションが上がっただけでなく、『会社にもっと貢献したいし、自分の部下や同僚にも受賞してほしい』と組織や仲間のことまで考える声が聞けた。社内にポジティブな空気が生まれてきていると感じます」
社内のコミュニケーションを活性化する取り組みの結果、社員間、部署間の関係も良くなってきています。お互いを批判し合っていた部署の関係が良くなり、腹を割って解決のために話し合いができるようになりました。また、自分の仕事が終わったら忙しいところに自主的にサポートに行く姿も見られるようになった、と勘太さんは言います。
職人の暗黙知を自主的にマニュアル化
先日は、勘太さんがガスの事業所に顔を出したところ、思わぬ変化が起こっていました。
「現場の職人さんが持っている技術やノウハウは暗黙知で、マニュアルはないのですが、その暗黙知をマニュアル化してシステムに蓄積する取り組みを自主的に始めていました。会社が変わりつつあることを実感しました」
採用も順調です。ミッション・ビジョン・バリューを定め、noteなどのSNSで社内改革の進捗と合わせて発信に努めてきたおかげか、求人をかけると全国から多数の応募が寄せられるようになりました。直近で内定したエンジニアは京都在住のまま、フルリモートで勤務する予定です。
社内改革はまだ道半ばですが、勘太さんは取り組みに手応えを感じています。そして、小平が「自分の会社である」という気持ちも芽生えてきたと言います。
「以前は父親が頑張ってくれていましたから、私には会社を継ぐ覚悟も気概もありませんでした。でも社長に就任してからのこの10年、いろんなことがあったからこそ、今のような改革に取り組めているのだと思います。まだ完全ではありませんが、『真の事業承継』が進みつつあるのではないかと自分自身は感じています」