「まずい」と言われて目が覚めた 今西酒造14代目が投資した蔵人採用
今西酒造(奈良県桜井市)の14代目社長の今西将之さん(39)は、父の急逝を機に28歳で家業を継ぎました。巨額の負債で廃業の危機にありましたが、廉価な普通酒の生産を縮小した一方で、高品質な純米酒の製造に注力。数年で「三諸杉(みむろすぎ)」や「みむろ杉」などの銘柄を全国ブランドに成長させました。家業に入る前にリクルートで働いた経験から、緻密な事業計画と採用にコストを注ぐことで、品質向上とブランディングに成功しています。
今西酒造(奈良県桜井市)の14代目社長の今西将之さん(39)は、父の急逝を機に28歳で家業を継ぎました。巨額の負債で廃業の危機にありましたが、廉価な普通酒の生産を縮小した一方で、高品質な純米酒の製造に注力。数年で「三諸杉(みむろすぎ)」や「みむろ杉」などの銘柄を全国ブランドに成長させました。家業に入る前にリクルートで働いた経験から、緻密な事業計画と採用にコストを注ぐことで、品質向上とブランディングに成功しています。
目次
古くから「酒の神様」として信仰を集めてきた大神(おおみわ)神社を中心とする奈良県桜井市三輪は、「酒造り発祥の地」として知られています。今西酒造は万治3(1660)年創業。大神神社のおひざ元で、日本酒を造り続けてきました。
今西さんは物心が付いたころから「いずれは家業を継ぐ」と意識していたそうです。先代の父・謙之(よしゆき)さんから「継いでほしい」と言われたことはありませんでしたが、仕事に楽しそうに取り組む父の姿と、笑顔で自社の未来を語る姿に、「わくわくしたし、かっこええなと思っていました」。
大学は謙之さんの母校の東京農業大学醸造学部を選びませんでした。高校生当時、農大出身の蔵主が営む酒蔵の一部が経営難に陥ったり廃業したりした話を耳にしたからです。
「当時の僕は、農大を卒業し、酒造会社で3年ほど修業してから家業を継ぐという『酒業界の主流のキャリア』では、世の中の激しい変化に対応できる自信が持てない、と考えたのです」
同志社大学商学部に進み、卒業後はリクルートに入社します。謙之さんとは当時から「30代になったら家業に戻り、40代で代替わりする」と話していて、代替わり後に向けて色々な業界にネットワークを持ちたい――というのが理由の一つでした。いずれ経営を担うときに重要なのは「人」と考え、人材業界を選んだのです。
リクルートでは営業マンとして実績を積み、3年目で係長職に。年上の部下を含む5人のチームのマネジメントを経験しましたが、今西さんは「手痛い失敗」を経験します。
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「僕は自分の成功体験と営業手法の『各論』をただ押しつけるだけで、成果を出すよう強いていました。当然、部下からは総スカン。部下たちの飲み会に僕だけ呼ばれないような状況でした。今思えば、リーダーとしてもっとビジョンを語り、5年後の目標や達成までのマイルストーンを言語化してチームを鼓舞しなければいけなかったと思います」
そんな失敗も含め、今西さんは「ビジネスの全ての礎を築くことができた」と振り返ります。特に「顧客にどんな価値を提供できるのか」という根本的な考えと、「顧客のために徹底的にやりきる。そのために圧倒的に成長し、足りない分は周りを巻き込む」という価値観が身に付いたといいます。
2011年11月、28歳の時に転機が訪れます。商談中に謙之さんから突然、携帯に連絡が入ったのです。
「余命3カ月と告げられた」。末期の肝臓がんに侵されていました。直ちに実家に戻り、引き継ぎをしようとしましたが、謙之さんはその1週間後に亡くなります。
30代に家業入りし、10年かけて経営を学ぶという計画は吹き飛びます。準備もないままの代替わりに、今西さんは途方に暮れました。そして会社の帳簿を見て驚きました。数億円の借金を抱え、何年も債務超過の状態だったのです。決算書を見てもらった知人の銀行員に「これはやばい。戻らん方がええぞ」と言われたほどです。
当時の今西酒造は、飲食店2軒や宿泊業も営んでおり、11年時点では全て経営が悪化していました。今西さんはまず出血を止めるべく、飲食店や宿泊施設を売却。本業の酒造りに集中します。
余っていた在庫を売り、販路を少しでも広げようと、取引していた「大卸」と呼ばれる大手卸売業者に改めて営業に行きました。しかし、お酒のサンプルを持参したのに口さえつけてもらえず、「いくら値引きできる?」と聞かれるばかりでした。
今西さんはそれでも営業に走ります。そんな中で行き着いたのが、地酒専門店として有名な「はせがわ酒店」(東京)でした。店主は今西さんが持参したサンプルを口にするなり、「こんなまずいもん、売れるかい。もう酒造りをやめてしまえ」と怒り出したのです。
ただ、店主は値引きなどお金の話題は一切せず、酒の味や香りへのこだわりを延々語ってくれたといいます。
父謙之さんは経営の多角化には熱心でしたが、酒造りにはほぼ関与していませんでした。しかもメインで造っていたのは価格競争が激しく廉価な「普通酒」。いかに効率よく造るかを優先して、設備投資もほとんどせず、酒造設備は汚れてボロボロでした。
「悔しかったけど、この人(はせがわ酒店の店主)は本質を突いてました。酒への情熱を持った酒販店と一緒に仕事をしたい。誇りに思える酒を造ろうと考えを改めました」
今西さんはリクルート時代と同様、達成したい目標と現実との差を埋めるマイルストーンづくりを始めます。
悩み抜いた末、酒造りの発祥地とされる地の利を生かすため、「三輪を飲む」というコンセプトと「清く正しい酒造り」という醸造哲学を定めました。目指すべきは「穏やかな香りと、フレッシュで米の旨みが広がる、綺麗なお酒」です。
目標を達成するため、「お客様・従業員・会社の幸せを最大化しながら、三輪の発展に貢献する」という経営計画も作りました。お酒を飲む人だけでなく、働く環境や給与などを充実させて従業員も幸せにする。そうすれば利益も増えて、三輪の発展にも貢献できると考えたのです。
しかし当時の蔵人2人にビジョンを示したところ、反応は至極悪かったといいます。ロードマップには「有名な日本酒イベントに常連として出場」や「日本酒の有力雑誌に特集される」などと盛り込んでいました。それでも2人からは「こんなの無理です。これは目標じゃなくて夢です」と言われたのです。
今西さんは同じ情熱を持ってくれるパートナーを探すことにして、社外の人に会うたび「いい人を紹介してくれ」と声をかけ、次々と面談しました。
そして家業に戻って1年半後に出会ったのが、現在、醸造責任者を務める澤田英治さんでした。
奈良出身の澤田さんは東京の不動産会社の営業マンでしたが、このころ病気の親の面倒を見るため奈良に戻ることが決まっていました。酒造りは素人ながら、今西さんと意気投合。ハードなことで知られる不動産の飛び込み営業でも3年間勤め上げたメンタルの強さ、何より誠実でチームワークを大切にする人柄にほれ込んだのです。
「当時は資金が乏しく、1人採用するにも覚悟が必要でしたから、清水の舞台から飛び降りるような気持ちで決めました。そして『一緒に最高の酒を造ろう』という僕の夢にも共感し、入社を決めてくれたんです」
今西さんと澤田さんは酒造りの研究に没頭しつつ、手分けして関西圏の飲食店に「どぶ板営業」で売り込みに行きます。サンプルのお酒を冷やしたまま運べる装備もお金がなくて買えず、釣り用のクーラーボックスに入れて電車で営業に回りました。
しかし当時の今西酒造のお酒はまだ改革途上。取引に応じてくれた飲食店は皆無で、ただ打ちひしがれるしかありません。そして2人は決断します。
「肝心の商品がおいしくないのなら、いくら熱心に営業しても、扱ってもらえるわけがない。本気になって『うまい』と言ってもらえる酒を造るこそが本質で、同じ情熱を持った人間をもっと採用し、より手間ひまをかけた酒造りに振り切ろう」
一方、以前の蔵人とは意見の隔たりが埋まらず退職することに。酒造りの情熱に共感してくれる蔵人を採るため、今西さんは行政主体の合同採用説明会に出席したり、ハローワークで求人を募ったり、比較的低コストの方法で仲間を探しました。
ちょうど2010年代半ばには、純米酒や純米吟醸酒などの「地酒ブーム」が起きていました。今西さんは「この波に乗らないと目標は達成できない」と考え、販路拡大で少しずつ増えてきた利益を、採用と設備投資に費やします。
よりコストがかかる採用広告にも予算を投じ、設備投資では洗米機などを一新。新たに大型貯蔵冷蔵庫なども置きました。
こうした設備投資や酒造りへの情熱を持つ人を採用したことによって、今西酒造は現在「醸造哲学」として掲げる「清く、正しい、酒造り」を実践できるようになりました。
例えば洗米の工程では、従来のように大量の酒米を一気に洗うのではなく、10キログラムずつ手間をかけて丁寧に米ぬかを落とすことにしました。仕込み作業でも、雑菌汚染を防いで米を傷つけずにするため、機械は使わずに全ての米を手運びで仕込む工程に変えました。
こうした投資による酒の品質向上と、生産量も家業を継いでから約10倍に増えたこともあって、2014年には全国新酒鑑評会で金賞を獲得。15年からは首都圏の地酒販売店との取引が相次いで始まり、知名度と出荷量が一気に拡大しました。
そして16年には値引き圧力が強くなりがちな卸業者を通じた販路はストップし、今西酒造の酒造りに共感してくれる「特約店」のみ扱えるように流通経路を変革。利益率も向上し、経営の好循環を生み出しました。
「酒の品質向上のため、利益はほぼ設備投資と採用に回しました。少しでも成長が鈍化すれば一気にキャッシュフローが回らなくなるくらいでした」
現在、全国で46の酒販店と特約店契約を結んでいます。販路を確立したことで、かつてのような営業マンは不要となりました。
現在の今西酒造の蔵人は20人。正社員の平均年齢は30歳です。知名度が上がるとともに、次第に若者の応募が増えました。
採用で意識しているのは、Targeting(ターゲティング)、Messaging(メッセージング)、Processing(プロセシング)の三つです。
今西酒造が欲しい、本気で酒造りに向き合いたい未来の職人にアプローチしやすいよう、SNSのターゲット広告も活用しています。求職者が魅力に思えるよう、設備や働く環境、未来のキャリアパスなどを、採用記事として配信したり、面接時に伝えたりもしています。
面接プロセスも、書類選考と1次面接は社長の今西さんが関わり、良いと思った人材は最速で今西さんと部門責任者による2次面接を行ってクロージングするようにしているそうです。
近年はワーク・ライフ・バランスにも力を入れています。かつては醸造期は実質的に休日は週1日程度でしたが、22年からは隔週で2日の休日を連続取得できる制度を導入しました。年収の水準も徐々に上がり、今では新卒社員は奈良県平均より高い400万円前後を約束しています。
「同じ醸造規模なら蔵人は7~8人くらいが平均的ですが、うちはその2.5倍を採用しています。この業界は経営者の給与の取り分が多くて社員は薄給の会社が多い傾向にありますが、うちは逆です。蔵人たちが定年まで長期間しっかり働けて、本気で酒造りに向き合えるようにするためです。人にも投資して、手間ひまかけた酒造りにこだわることで、斜陽と言われる日本酒業界でも高い成長が実現できると考えています」
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