仏具の技術をアクセサリーに ノヨリ3代目が吹き込む新たな風
名古屋市中区の有限会社ノヨリは、仏壇や寺社の装飾に使われる錺金具(かざりかなぐ)を手作業で作る会社です。参拝客の減少など、寺社を取りまく変化に危機感を持ったという3代目の野依祐月(のより・ゆづき)さん(32)は、アパレル会社勤務などを経て家業に戻りました。父の克彦さん(57)が立ち上げたアクセサリーブランド『和悠庵 -wayuan -』のデザインや販売方法をアップデートし、若い世代への売り上げを伸ばしています。
名古屋市中区の有限会社ノヨリは、仏壇や寺社の装飾に使われる錺金具(かざりかなぐ)を手作業で作る会社です。参拝客の減少など、寺社を取りまく変化に危機感を持ったという3代目の野依祐月(のより・ゆづき)さん(32)は、アパレル会社勤務などを経て家業に戻りました。父の克彦さん(57)が立ち上げたアクセサリーブランド『和悠庵 -wayuan -』のデザインや販売方法をアップデートし、若い世代への売り上げを伸ばしています。
目次
愛知県は江戸時代から続く仏具の一大産地で、この地で作られたものは「尾張仏具」と呼ばれ国の伝統的工芸品にも指定されています。ノヨリのある地域は名古屋城の南東にあたり、兵の詰め所として多くの寺社が建立された場所で、多くの大工が住んでいました。「寺社の完成とともに職を失った大工が、こぞって錺金具師になったので、今もこのあたりは仏具店が多いんです」と祐月さんは話します。
ノヨリは1970年、祐月さんの祖父の代に「野依神仏錺金具店」として創業。1988年の法人化とともに「有限会社ノヨリ」となりました。2023年現在の従業員は家族5人。職人にあたる祖父と父、祖母、母、さらに現在は祐月さんが、錺金具作りに携わっています。
伝統的な錺金具作りでは、切り出した銅に鉛筆のような鏨(たがね)を金づちでカンカンとうちこみ、美しい模様を少しずつ作っていきます。ノヨリは寺院の建物や、祭りのみこしなどの補強・装飾用に取り付けられる金具を得意とし、主に寺社などに向けて錺金具を製造してきました。
祐月さんによると、2000年ごろまでは仕事はたくさんあり「逆にありすぎるほどだった」といいます。
順調だった家業に陰りが見え始めたのは2006年ごろ。「それまで所持していた家族用と営業用の大型車2台を手放して、軽自動車1台になったんです。従業員の解雇も行っていたようで。両親は弱音などは一切口にしませんでしたが、明らかに『売り上げが落ちているな』と感じていました」
少し前より、中国から輸入された大量生産の廉価品が出回るようになっていました。それでもまだ寺社に経営体力があった頃は変わりなく注文が入ったといいます。しかし参拝客や檀家(だんか)の減少などで経営が苦しくなると「お客さまから見えない部分は廉価版で」と考える寺社が増えたのだそうです。そうした変化が少しずつ売り上げ減に結びついていきました。
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祐月さんは大学まではアーティスティックスイミング(旧シンクロナイズド・スイミング)一色の生活を送っていました。「高校も大学も『シンクロが一番快適にできる環境であること』だけを考えて選んだ」といい、スポーツの盛んな中京大学体育学部(当時)で競技に打ち込んでいました。
3姉弟の長女で弟と妹がいる祐月さん。競技を続けながらも、家業のことはいつも心の片隅にあったといいます。
昔から手先が器用で、「モノづくり」が好きでした。幼い頃からビーズに糸を通して、ブレスレットなどのアクセサリーを作っていたといいます。小学3~4年生になると裁縫で簡単なかばんを自作。携帯電話を飾り付ける「デコ電」が流行したときには、友人に頼まれてキラキラしたパーツで装飾してあげたりもしました。
女性の錺金具師は多くはないそうですが、「3姉弟の中で一番手先が器用なのは自分なので、継ぐなら自分がいいのでは」と考えていました。しかし大学時代、父に「後継ぎ」について尋ねると、「この仕事はこの先落ちていく一方だから、継いでもつらいと思う」と言われたそうです。
20歳で競技を引退。競技経験を生かした仕事に就きたいと考え、子どもたちにアーティスティックスイミングを教えることにしました。しかし、水泳とは異なり、アーティスティックスイミングを教える教室自体が少なく、安定した収入を得るのは難しいと断念。新卒では携帯電話会社に就職して2年勤務し、その後はかねて憧れのあったアパレル関係の会社に転職しました。
憧れていたファッションの仕事で、10〜30代男性向けのカジュアルラインの企画やデザインを任されるようになった祐月さん。しかし実際にやってみる と「思ったほど『モノづくり』ではない」と感じるようになったのだそう。「わたしの仕事は指示するだけで、実際に手を動かして作るのは、海外の工場の人たちなんです」
そのような中、父の克彦さんが新しくアクセサリーとインテリアのブランド『和悠庵 -wayuan -』を立ち上げました。尾張仏具の技術を後世に残すため、普段あまり近くで見てもらえる機会がない仏具を、一般の人に身近に感じてもらいたいというのが狙いです。「和悠庵」とは「和(日本)の文化を悠久に繋ぎたい」という想いを込めて克彦さんが名付けたのだそうです。
克彦さんの商品は、仏具に使われる柄そのままの「根付け」や「簪(かんざし)」などのアイテムでした。「たぶん父も、何かしなくてはと危機感を持って始めたんだと思います。でもデザインに工夫がなく、アイテムの選定も現代のライフスタイルに合っていないと感じました」と祐月さん。
「和悠庵」は百貨店の催事場に出展が決定。割り当てられたスペースを埋められるほどのアイテムがなかったため、克彦さんから相談を受け、祐月さんもデザインのアイデアを提案するようになりました。手作業で細かな模様を打ち付ける彫金の技術を、ピアスやバングルといった現代のアイテムに落とし込んでいきました。
デザインする際には、百貨店の催事場の来場客の性別や年齢層を考えて、既存の和柄からあまり離れすぎないように心がけたといいます。
「デザイン力が上がったのは、シンクロ時代の経験のおかげだと思っています。試合用の水着やヘアアクセサリーは、複数の選手のデザイン案から監督が選ぶスタイルだったので」
数年間、会社勤めと家業の手伝いを両立したのち、2021年に祐月さんは6年間勤めた会社を辞めて、30歳で家業に入りました。家業に入ることにした決め手は、数年間家業と関わって、和悠庵の作品作りに魅力を感じたこと。自分が本当にやりたかった「モノづくり」は、家業でできることがわかったから、だといいます。
錺金具作りの技術に関しては、自身のデザイン案を形にするために、思い浮かんだものをとりあえず作ることで、自然に習得していきました。「職人として錺金具制作を学んでいたら基礎ばかりでつまらなかったと思うんですが、デザインから入り、好きなものを作らせてもらえたので、楽しく自然に技術が上がったんだと思います」
錺金具は奥深く、父の克彦さんですら「自分はまだ一人前ではない」と言うのだとか。祐月さんも父の技術を学びながら「常に勉強中」の姿勢で取り組んでいるのだそうです。錺金具の修業と同時に、アクセサリーの学校にも通い、技術を磨いています。
和悠庵のデザインをアップデートした祐月さんは、販売方法の改善にも着手しました。「正直なところ、ECサイトでの販売には向かないと感じた」といいます。
錺金具の技法で作られたアクセサリーの技術には自信があります。同じ商品でも質感、立体感、色味などに個体差があり、まったく同じモノは二つとありません。しかし、果たして画面越しにその「微妙なニュアンス」や「ていねいな手作業と機械で作った大量生産のものとの違い」が伝わるだろうか?世の中にあふれる、そこそこの品質で手ごろな価格のアクセサリーに勝てるだろうか?と感じたのだそうです。
ならば対面販売しかありません。それまでも百貨店主催の伝統工芸展などの催事には出展していましたが、来場者は年齢層が高く、すでに「伝統工芸に詳しい」人に限られます。もちろん、そういった客層へのアプローチも大切なことです。その上で祐月さんは「伝統工芸をよく知らない人や若い人に知ってもらうためには、商業施設の低層階でふらりと立ち寄ってもらえるような場所で販売する必要がある」と考えました。
とはいえ、和悠庵のアクセサリーの価格帯は1万円前後で安くはありません。気軽に立ち寄れる雰囲気とラグジュアリー感の両方を兼ね備えた場所として、三越の運営する「ラシック」(名古屋市)が最適と考えました。高い競争率の中を勝ち抜き、出店。予想以上の売り上げがあり、自信につながりました。
お客さんとの交流を通じて感じたことは、「錺金具」の歴史やストーリーを伝えると、より価値を理解してもらえるということ。「ECサイトで商品の質感を伝えることは難しいけれど、背景にある物語を伝えることはできる」そう実感したのだそうです。
同じ頃に祐月さんが出店を目指したのが、名古屋市によるクリエイター創業支援スペース「クリエイターズショップ・ループ(Loop)」です。1年に1度の公募で選ばれると、多くの集客が見込める名古屋市中心部の商業施設「ナディアパーク」に低額な費用で販売スペースを出すことができ、広報などの支援も受けられるというものです。
祐月さんは2022年11月から約40日間出店しました。期間中には、平日2日間と土日の4日間、アクセサリー製作のワークショップも開催。家族連れや仕事帰りの男性など幅広い客層が参加し、4日間のすべての回が満席になるほどの盛況だったといいます。
対面での販売に活路を見いだした祐月さんは、展示会などのチャンスを逃さず積極的に参加していきます。2023年2月には、新宿で開催されたクリエイションの祭典「NEW ENERGY TOKYO」に出展。展示会・マーケット・メディアなどいくつもの役割を果たす同展示会では、確かな手ごたえを得ました。
伝統工芸の技術を生かした高品質なアクセサリーは話題となり、新聞取材や全国放送のテレビ番組出演などのオファーが舞い込むようになります。
現在、ノヨリの売り上げの柱は、変わらず錺金具だといいます。しかし祐月さんによると「(売上高に占める)アクセサリーの比率が年々上がっていっている」のだそうです。
入社した2021年3月期には5%だったアクセサリーの比率が、2年後の2023年3月には10%に上がりました。現在も売り上げは好調で、2024年3月期には15~20%ほどになると見込まれています。「錺金具の売り上げが下がっているわけではなく横ばいなので、アクセサリーを売り上げた分だけ、全体の売り上げが上がっているんです」と祐月さん。
アクセサリーの売り上げ好調の理由は、きっかけとしてはデザインではあると祐月さんは考えています。しかし、祐月さんが入社してから、販売データを取って売れ筋商品の分析などもおこなっていることも大きいと感じるそうです。
ECサイトと対面販売では、圧倒的に対面販売が売れます。ノヨリにはブランドが六つあり、それぞれ年齢や性別などのターゲットを変えて制作していますが、ほぼ狙い通りに売れているといいます。
人気商品は、ブランド「nanako」の魚のピンバッジです。
ブランド名は、小さな円を細かく均一に打ち付ける彫金技法「魚々子(ななこ)」から名付けられました。「女性がプレゼントしたくなる男性用アクセサリー」 がコンセプトです。「人気の理由は、まず、父をよく知るデザイナーさんと組んだことで、錺金具の技術とかわいらしさがうまくマッチした点ではないかと考えています。また、父が好きな魚モチーフなので制作時にも接客するときにも、愛があふれていることもポイントだと思います」
次に祐月さんが挑戦したのはジュエリーメーカーとのコラボです。山梨県のジュエリーメーカー・株式会社ラッキーアンドカンパニーが、高島屋と阪急阪神百貨店とともに開催した「ジュエリーブランドスタートアップ支援プロジェクト」に、祐月さんも応募しました。
このプロジェクトは、ジュエリー業界の活性化を目指して次世代アーティストを発掘するというもの。面接などを経て審査を通過した6人のメンバーは、資金面やノウハウで主催者のバックアップを受けながら、新たなジュエリーブランドの立ち上げに挑戦することができます。23年2月、祐月さんは約100件の応募の中から選ばれました。
ほかの5人はそれぞれのデザイン画を元にジュエリーメーカーがすべての製作をおこないますが、祐月さんの場合は「錺金具」の技術自体が作品の要です。そのため、メーカーから送られてきたアイテムに自作デザインの彫金を施します。
祐月さんの作品はシルバー製のバングル。石を入れるなど、今までにはない工程が入るため、今までの祐月さんの作品とは一味違ったものに仕上がりました。23年8月に高島屋と阪急阪神百貨店でポップアップショップを展開し(8月23日~29日は阪急うめだ本店で開催)、9月にはラッキーアンドカンパニーの公式ECサイトにて販売予定です。
父の克彦さんとは、デザインや方針などでぶつかることもあるといいます。
「デザインをするときはもちろん、父の意見も採り入れます。基本的にはイベントで一度販売してみて、売れなければそこで終わりにすればいいと考えています。そのように柔軟に対応できるのが、小さな会社の強みだと思うので」
また、最初のうちは「どうせ長く続かないだろう」と克彦さんが思っていると感じた、と祐月さん。
「父は『結婚』や『出産』など、ライフスタイルの変化で仕事を続けられなくなるのでは、と考えていたようです。私は子どもを産んでも、母に預けて仕事を続けるつもりでいます」と笑顔を見せます。
学生時代のアーティスティックスイミングで培われたガッツと柔軟性を持つ祐月さん。これからの伝統工芸の世界に必要なのは、このような人なのかもしれません。
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