目次

  1. 美しい模様を彫る「錺金具師」
  2. 順調だった家業に陰り
  3. 「継いでもつらい」と言われ
  4. 仏具の技術を現代向けに
  5. 父の新事業に魅力を感じて
  6. 「画面越しでは伝わらない」と対面販売へ
  7. アクセサリーが売り上げを底上げ
  8. ジュエリーメーカーともコラボ
  9. 「長く続かないだろう」を覆す

 愛知県は江戸時代から続く仏具の一大産地で、この地で作られたものは「尾張仏具」と呼ばれ国の伝統的工芸品にも指定されています。ノヨリのある地域は名古屋城の南東にあたり、兵の詰め所として多くの寺社が建立された場所で、多くの大工が住んでいました。「寺社の完成とともに職を失った大工が、こぞって錺金具師になったので、今もこのあたりは仏具店が多いんです」と祐月さんは話します。

職人の技術が光る美しい錺金具の装飾

 ノヨリは1970年、祐月さんの祖父の代に「野依神仏錺金具店」として創業。1988年の法人化とともに「有限会社ノヨリ」となりました。2023年現在の従業員は家族5人。職人にあたる祖父と父、祖母、母、さらに現在は祐月さんが、錺金具作りに携わっています。

ノヨリの工房の様子

 伝統的な錺金具作りでは、切り出した銅に鉛筆のような鏨(たがね)を金づちでカンカンとうちこみ、美しい模様を少しずつ作っていきます。ノヨリは寺院の建物や、祭りのみこしなどの補強・装飾用に取り付けられる金具を得意とし、主に寺社などに向けて錺金具を製造してきました。 

 祐月さんによると、2000年ごろまでは仕事はたくさんあり「逆にありすぎるほどだった」といいます。

 順調だった家業に陰りが見え始めたのは2006年ごろ。「それまで所持していた家族用と営業用の大型車2台を手放して、軽自動車1台になったんです。従業員の解雇も行っていたようで。両親は弱音などは一切口にしませんでしたが、明らかに『売り上げが落ちているな』と感じていました」

 少し前より、中国から輸入された大量生産の廉価品が出回るようになっていました。それでもまだ寺社に経営体力があった頃は変わりなく注文が入ったといいます。しかし参拝客や檀家(だんか)の減少などで経営が苦しくなると「お客さまから見えない部分は廉価版で」と考える寺社が増えたのだそうです。そうした変化が少しずつ売り上げ減に結びついていきました。

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