ウッドユウライクカンパニーは1983年、先代の神山公一さんが創業したオーダーメイドの家具メーカーです。当初は大手家具メーカーのOEMを引き受けていましたが、自社製品を作るようになり、93年、東京・南青山に直営店をオープン。無垢(むく)材にこだわり、長く愛される家具を作ってきました。東京都昭島市に工場を持ち、一人の職人が製造から搬入、アフターフォローまで担い、根強いファンをつかんでいます。
それでも内倉さんは「10年くらい前から、経営は悪い循環に入っていた」と言います。「2013年ぐらいまで業績も右肩上がりでしたが、お客さんもブランドと年を取ってしまいます。年間500人いた新規顧客も300人程度に落ち、離職も増えてしまいました」
CDOの石川さんは、世界的デザインコンサルティングファーム「IDEO Tokyo(アイディオ トーキョー)」の立ち上げメンバーで、デザイン思考の専門家。COOの内倉さんは投資ファンド「ユニゾン・キャピタル」で、多くの企業再生を手がけました。
その目的は買収後に短期間で売却益を得るM&Aとは異なります。
内倉さんは「投資ファンドは事業承継そのものより、その会社をどう伸ばして株主に還元するかが目的になりがちでモヤモヤしていました。そんな中でKESIKIを作り、 事業承継というツールを使って本当に価値あるものを残していこうと思いました」と言います。
石川さんもデザインの専門家として経営に参画する必要性を感じていました。「クリエーティブ領域の人間と企業との関わり方は、どうしても部分的になってしまいます。客観的な目を持ちながらも、経営に参入することで(従業員と)仲間になり、いいものが作られるという思いがありました」
KESIKIが事業承継が可能なものづくり企業を探すなか、20年にM&A仲介業者の紹介でウッドユウライクカンパニーとめぐり合いました。
経営を引き受けた三つの理由
KESIKIがウッドユウライクカンパニーを引き継ぐことに決めたのは、ものづくりに対する価値観に共感できたからです。そのポイントは三つあるといいます。
一つ目は「長く愛される家具をつくる」というコンセプトを貫いていることです。こだわりは無垢材による家具づくり。無垢の家具は傷がついても修理が可能で、形やサイズの変更もできるからです。
二つ目は、職人たちが家具を作る楽しさを追求し続けられるよう、流れ作業の分業制にせず、家具づくりの全工程はもちろん、顧客への納品もひとりの職人が一貫して担っていることでした。
三つ目の決め手は、人や暮らし方に合わせたオーダーメイド家具でした。販路は広げず直営店1店のみ。ショップで働くスタッフはコンシェルジュとして、一人ひとりの客と向き合う姿勢を貫いています。
「暮らしを良くするために、時代の流れにあらがいながら挑戦し続けてきた会社。そんな偏屈さは愛すべき文化であり、未来に残していきたいと事業承継を決意しました」(内倉さん)
M&A決定までの交渉期間は約半年。これは異例に短いスパンといいます。両社とも「長く続く愛されるものをつくる」というポリシーが同じだったことがプラスに働いたようです。
ほとんどの従業員が不安を口に
ウッドユウライクカンパニーの従業員に事業譲渡が告げられたのは21年1月。内倉さんは「ものすごい寒い日でしたが、空気も冷ややかでした」と振り返ります。
「創業者の神山さんが、15人ほどいた職人にコメントを求めたのですが、突然のことでみんな驚きを隠せず、不安を口にする人がほとんどでした。親族でも従業員でもない事業承継は黒船のようで、やはり怖いですよね。そんな中、現状を変えたいので楽しみと発言してくれた人もいて、少しホッとしたのを覚えています」
石川さんと内倉さんは予定がなくても、できるだけ昭島市の工場に足を運び、職人と向き合いました。「3カ月ほど一緒にお酒を飲んだりご飯を食べたりして、ただただ世間話をしました。そんな時間を過ごすうちに、職人たちと打ち解けることができました」(石川さん)。
従業員主導のパーパスづくり
次に取り組んだのが、新しいパーパスづくりです。社内向けのワークショップで言葉を導き出しました。
「例えば、10年後の雑誌に掲載されるとしたらどんな取り上げ方をされたいか。自分が代表としてインタビューされたらどんなことを語るか。できるだけ具体的に書き出し、その中にある言葉をもとにパーパスを考えました」(内倉さん)
完成したパーパスは「愛着がめぐる暮らしをつくる」。最終的にはプロのコピーライターが直しましたが、ベースとなったのは社員から出たフレーズです。
200ほどあった定番商品も絞り込み40個を削る決断をしました。ただ、ワークショップ形式で、従業員とじっくり話し合いながら選んだといいます。「僕らに40個を削られるのと、自分たちで何を残して何を削るのか決めるのとでは、同じ削るにしても違うわけです」(内倉さん)
自分の思いや意見を伝え、会社のルールが変わる。「こうした経験の積み重ねで会社のカルチャーが少しずつ変化します。ものごとを決めるアプローチもデザインの視点で取り組んでいます」(石川さん)
デジタル化も組織改革も
承継後は業務のデジタル化に着手し、製造プロセスも見直します。電話やファクスが中心だった情報のやりとりをオンライン化。それまで数時間かけて決めた家具の配送ルートも、人工知能(AI)の導入で即座に決められるようになり、レジアプリの導入でショップの作業も大幅に効率化しました。
組織改革も進め、各拠点のリーダーが内倉さんと話しながら、メンバーの給与を決めるスタイルに変更しました。「会社で何が起きているかがわからないとアクションがとれないし、考えようとも思えません。社員が主体的に考えられるよう、売り上げデータや発注内容など、できる限り会社の情報をオープンにしています」(内倉さん)
個々人が提案していた新商品の社内コンペも、ショップと工場が一緒にチームを組むことで垣根を取り払おうとしています。
「デザイン経営」では、経営の上流からデザイナーが関与することが推奨されています。しかし、外部のデザイナーと経営者だけがリブランディングに取り組み、ロゴマークやコンセプトを一新するアプローチだと「形骸化する恐れもある」と石川さんは言います。KESIKIは会社を所有したからこそ、全員が経営に参画できる体制を整えられました。
「言われたものを正確に作ればいいというマインドを変え、自分が考えたことで経営がよくなるという経験がすごく大事になります。会社が従業員自身のものになっていくプロセスなのではないでしょうか」(石川さん)
職人の応募が増える
事業承継後、ショップスタッフとセールを企画し、ロゴマークや製品カタログ、ホームページのリニューアルを実施。採用ページも新設し、充実させました。
この制作を通じて、スタッフの信頼を少しずつ得られるようになったといいます。「既存商品のスタイリングや写真の撮り方を変えて、カタログのビジュアルを一新しました。アウトプットされたものを見て、ようやく僕らが目指す世界観を理解してもらうことができました」(内倉さん)
ほぼ0人だった職人の応募も、ホームページのリニューアル以降に増加。コンスタントに応募があり、承継1年目、2年目と3人ずつ採用しています。従業員の平均年齢は現在、35歳くらいといいます。
いずれは経営を従業員に
事業承継から2年半。売り上げも微増ですが伸び始め、従業員の平均給与も数%上げることができたといいます。
コロナ禍では従業員主導でオンラインセールを企画し、前年度の1.2~1.3倍ほど売り上げを伸ばしました。
23年5月には、定番の家具を再構築した新シリーズ「MODERN」を発表。三つのモデルのいすをラインアップしました。先代が残した無垢材のデザインを守りながらも、背もたれの意匠を直線から曲線に変えて、手触りの良さをアップデートする変更を加えています。これも職人主導で開発を進めたといいます。
KESIKIは今後もオーナーシップを持ちながら、いずれは経営をウッドユウライクカンパニー生え抜きの従業員に任せようとしています。「数年後には経営のバトンを中の人につなぎ、より表に出る会社にしたいです」(内倉さん)
ポリシーを重視した事業承継を
KESIKIの事業承継の取り組みは始まったばかり。他にも、独自の技術や伝統のあるものづくり企業を探しています。「家具に限らず、人々の暮らしを良くするジャパンブランドを束ね、世界に発信するホールディングスカンパニーになることが、KESIKIのビジョンのひとつです」(内倉さん)
バリューチェーンにも注目し、家具の原料である木材の流通や森林も守っていきたいと考え、製材所や森林の承継も視野に入れているといいます。
内倉さんは「第三者承継で大切なのは、買い手側と売り手側のポリシーです」といいます。
創業者の神山さんとは今も定期的に食事をしているそうです。「商品開発など細かいところで食い違いはあります。しかし、創業者が大事にしてきた核の部分は無くさないようにしているので、最終的には任せてもらえています」
後継者不在の企業を第三者が継ぐケースも増えています。「買い手側」に求められる姿勢は何でしょうか。内倉さんは言います。
「たとえば我々だと、同じような家具メーカーを承継するほうがシナジーを生みやすいですが、それだけで決めるのは危険です。どんな思いで会社を立ち上げ、何を大事に経営しているか。ポリシーが合っているかどうかは、最も重視すべきことだと思います」