中井産業は1935年に創業し、天然木を使用した障子をはじめ建具や木工製品を手がけています。尾﨑さんは2011年、血縁関係がなかった創業家の先代社長(現会長)から経営を引き継ぎました。「雇われ社長」として経営への危機感を常に持ち、それがブランディングに取り組む後押しにもなっています。
尾﨑さんは中井産業に入る前、大手建材メーカーで働き、担当営業先の一つが、中井産業の兄弟会社・中井アルミセンターでした。尾﨑さんの熱心な営業で売り上げが伸び、中井産業の先代社長(現会長)から「後継者として来ないか」と声をかけられたそうです。「転職を考えて迷っている時期でした。人の役に立つ仕事をしたいと考えており、中井産業で働けば単なる転職では体験できないこともあるだろうと入社を決めました」
2004年に入社した尾﨑さんは「職人の技術力の高さに驚いた」と言います。当時、建売住宅や新築マンションなどで使われていた建具の多くは、木目柄の塩化ビニールシートを貼ったベニヤ板で作ったものだったといいます。一方、中井産業が請け負っていたのは、天然木の無垢材を使用した障子。職人が減ることを予測して先代社長が高品質の製品を効率よく大量生産できるよう、早くから機械化と女性社員の活用を進めていました。
採寸や施工は同業の建具店が担当し、中井産業は「下請け」として製造に専念するビジネスモデルです。尾﨑さんは得意先を一つでも増やすために「関西中の建具店を営業でまわった」と言います。「建具店の多くは家族経営です。繁忙期で納期が間に合わなくなった仕事を短納期で対応したり、高齢化で廃業する会社の仕事を引き継いだりすることもありました」
尾﨑さんは11年、中井産業の社長に就任。翌12年からエイトブランディングデザインとブランディングに取り組み始めました。製造に特化した下請けの仕事と並行し、新たなビジネスの柱となるオリジナルブランド開発へと動き出したのです。
はじめてお会いしたとき、尾﨑さんの熱量に圧倒されました。社長に就任したはいいが、そもそも業界における会社の立ち位置に非常に危機感を持っておられました。また自分の会社だけの問題ではなく「このままでは日本から本物の建具職人がいなくなる。ぜひ立て直しを手伝って欲しい」と言っていただいて、デザイナー冥利に尽きる言葉だと、僕もぐっと来るものがありました。
ブランディングデザインに着手したきっかけは「複合的な理由で仕事が減る速度が増していたから」と尾﨑さんは振り返ります。
05年にマンションの耐震偽装事件、08年の世界金融危機やリーマン・ショックが起こり、建築の着工件数は激減。一気に不景気に陥りました。
「住宅の洋風化で和室のない家が増え、受注は元々右肩下がりでした。得意先だった建具店も高齢化で廃業する会社が少なくなく、このままでは日本で障子をつくれる職人がいなくなり、日本文化も廃れてしまう。何か手を打つ必要がありました」
尾﨑さんが考えたのが、高付加価値の製品を販売するビジネスモデルでした。
「大手建材メーカーで働いていたとき、お客様をショールームに案内してキッチンやお風呂などを見学すると『一生ものだから、いいものに変えたい』と予算を増額されるケースは珍しくありませんでした。つまり、いいものを開発して提案すれば単価アップできる可能性がある。そのためには、現代の住空間に合うデザイン性に優れたオリジナル製品の開発が必要でした」
何でも作れるけど、自分たちにしかつくれないオリジナルなものがないーー。そうした中井産業の状況を変えるために、尾﨑さんは、以前から関心があったブランディングの勉強を始めます。そのとき、西澤さんの著書が目に留まりました。
「ブランディングのプロセスの解説が論理的でわかりやすく、デザインされた製品のクオリティーも高い。西澤さんとならいいブランドができるのではないかと思いました」(尾﨑さん)
社員全員で「宿題」に取り組む
尾﨑さんは先代社長を説得し、同業の仲間3社合同で、和歌山県のブランド力強化支援事業という補助金を申請。その後、西澤さんにブランディングの依頼をしました。
相談を受けた西澤さんは、こう振り返ります。
障子といえば、ベーシックなます目模様のデザインを思い浮かべる人が多いはずです。しかし、実際には色々な種類があり、中井産業はハイレベルな製品を作る技術があるとお聞きしました。課題は、時代の変化によって障子のニーズが減少していること。洋室を中心とする現代の空間にフィットするデザインが少なく、それに伴い、高い職人の技術を発揮する機会がないことでした。尾﨑さんたちが営業するときの武器となる高付加価値なオリジナル製品の開発を目指し、このブランディングプロジェクトは始まりました。
建築学科出身の西澤さんは「以前から空間の仕事には興味があった」と言います。建具のオリジナルブランドの立ち上げと製品開発に向けて、まずはワークショップ形式でブランディングに着手しました。
ワークショップには尾﨑さんをはじめ、職人を含む5人の社員が参加しました。ただ、ブランディングを「自分ごと」として関与してもらうために、自社の強みや弱み、ブランドのコンセプトなどを考える「宿題」は、社員全員で取り組みました。
今回のプロジェクトは、下請け体質を改善することも狙いの一つでした。西澤さんは言います。
施主と、建具を製造する中井産業のようなメーカーの間に、ハウスメーカーや工務店などが存在するのが建築業界です。流通が多段階化しているので、下請け体質になるのもやむを得ません。ただ、中井産業には高い技術力を持った建具職人が現役で働いていて、尾﨑社長も「自分たちで作るオリジナル製品をきちんと売りたい」という強い思いがある。多段階化した流通の壁を越えるためにも、デザインで差異化を図った無垢材の建具の開発が必要で、それを流通させることが下請け体質からの脱却にもつながると考えました。
新ブランド「KITOTE」の誕生
ワークショップなどを重ねた結果、ブランドコンセプトとブランド名は「KITOTE(木と手)」に決まりました。天然木(木)の良さと、職人の技(手)の素晴らしさを伝えていくというコンセプトを、そのまま建具ブランドの名称にしたのです。「KITOTE」という欧文ロゴには、漢字の「木」と「手」が隠れています。その遊び心に気づくと楽しい気持ちになり、シンプルだけど印象に残るデザインです。
KITOTEのロゴ
「自分たちの強みや弱みを洗い出したことで、天然の無垢材を扱っていることや職人技、手作りの価値について、あらためて実感することができました。その流れからブランドコンセプトやブランド名を考えたので、スムーズに決まりました」
「KITOTE」の障子は従来の格子状だけではありません。縦横の木材を十字に組まずに途中で切り、角をつくる「トメ」や、木材を漢字の「井」の字に組む「イゲタ」、太陽や月を表現する円形の「ヌキ」など、伝統的な技術を用いつつも、現代のライフスタイルにも調和するラインアップとなりました。
KITOTEの施工事例
新たな障子のデザインは、エイトブランディングデザインが担当しました。プロジェクトの肝は「KITOEオリジナルデザインの開発だった」と西澤さんは振り返ります。
これまでのヒアリングをもとに障子のデザイン案をスケッチし、実際に職人が作ることが可能かどうか議論をする。その繰り返しを経て、製品ラインアップを整え、試作を進めました。職人の手作りであることはKITOTEの強みなので、機械ではつくれない手の込んだデザインにする必要がありました。ただ、それだけではつくり手のエゴになってしまいます。常に今の市場の動向やニーズ、流行なども意識しながらデザインを考えていきました。
西澤さんから提案される障子のデザインが実現可能かどうか。中井産業の内部で話し合い試作を重ねるうちに、ブランディングに半信半疑だった職人たちの中にも少しずつ「挑戦してみよう」という気持ちが芽生えるようになってきたそうです。そのムードが一気に高まった出来事がありました。
社員全員参加の展示会で得たもの
それは、2014年に東京ビッグサイトで開かれた「ジャパンホーム&ビルディングショー」という展示会に出展したときのことでした。
2014年に出展した展示会で設けたブース
障子のプロトタイプが完成し、KITOTEを初めて世の中に披露する展示会となり、そのためのブースのデザインもエイトブランディングデザインが担当しました。尾﨑さんは、社員全員を展示会に連れていきました。自分たちが作った製品がどのように展示され、評価されているかを直接見てもらいたかったからです。
「予算はかけられないので、日帰りツアーで日替わりで数名が和歌山から上京し、展示会のブースに立ってもらいました」
すると、インテリアデザイナーやインテリアコーディネーター、施工会社、設計事務所、工務店など、これまで直接コミュニケーションをとることがなかった多くの建築業界関係者がブースに立ち寄りました。そして「これは素晴らしい」、「素敵」、「どうやってつくられているんですか」という反応があったそうです。
そうした賛辞や質問をじかに聞くことで、尾﨑さんの狙いどおり社員のモチベーションを高める後押しになったといいます。
「それまで製品へのリアクションといえば、得意先からのクレームがある場合のみ。褒めると値引き交渉ができないということでしょう。しかし展示会では、正反対だったのです。元々持っていた技術を応用し『ひと手間』かけてプロダクトを作ることで、職人は反響に驚き、デザインの価値を自ら体感する機会になったはずです」
KITOTEは、15年のグッドデザイン賞に輝きました。「東京・六本木の授賞式に若手職人を連れていったときの誇らしい顔を忘れることはできません」。尾﨑さんは今も、徹底して社員を巻き込んでいく方針を貫いています。
KITOTEを広める手段として、展示会のほか、天然木から製品に至るまでの作業工程を紹介するブランドムービーや、ウェブサイトを制作。それらもエイトブランディングデザインが手がけました。
ブランドのブラッシュアップを図る
KITOTEは顧客の反応を見ながら、製品のラインアップやターゲット、販売ルートなどを見直し、ブランドのブラッシュアップを図っています。
例えば、当初は既製品の窓枠にあわせてサイズを統一したオリジナルの障子を取りそろえ、オリジナルのドアも開発しました。しかし、ドアは競合ブランドに太刀打ちできないことが分かると、早々に撤退。代わりに職人の技を伝えるデザイン性の高い障子を増やしていきました。
KITOTEは飲食店や店舗にも採用されています
障子のデザインについて、西澤さんは次のように解説します。
現在のラインアップは、框・桟・組子の太さ、奥行きの寸法を統一した「ボールドライン」と、組子を美しく見せることを追求し、一般的な障子より細い組子を使用した「スリムライン」の2シリーズです。いずれも、障子という構造体を意匠に転換させるアイデアで、伝統的な技法を再解釈したデザインです。特許を取得しているものもあります。
また、ワイヤ金具メーカー・荒川技研工業のワイヤシステムを活用し、つるしたり壁に貼り付けたりして使用する「AIR SHOJI」も開発。装飾や照明として障子を採り入れることもできる製品です。
中井産業の「AIR SHOJI」
ターゲット顧客も見直したといいます。
KITOTEを検討する顧客のほとんどは、規格品に満足できず、自分たちの感性に合うデザインを探し求めています。インテリアに予算をかけることができ、表層的なデザインだけでなく素材や製法などにもこだわる美意識を持っている。そんな感性の高い人たちに、KITOTEは受け入れられる製品であると認識しています。いわゆる年代で区切るようなターゲット設定は必要ないと思っています。
尾崎さんはそれまで、商流を飛び越えてビルダーや施主と取引することが既存事業に影響があると考えており、慎重でした。
「販路を変えることは、当初から西澤さんに提案されていましたが、私がこれまで付き合いのある建具店を通して製品のみを納める、従来の販売方法にこだわっていたんです。しかし、それが難しいことが分かり、KITOTEは自分たちで採寸も施工も手がける売り方に変更しました」
多彩なデザインが特徴的な「AIR SHOJI」
下請け仕事の価格交渉力も高まる
KITOTEのブランディングは、既存事業にも良い影響を与えています。中井産業に仕事を発注している得意先からの信頼が高まり、価格交渉にも応じてもらえるようにもなったそうです。
KITOTEは、工務店や建築家だけでなく、施主から逆指名されることも想定し、BtoC(個人向け)にも販売しています。そういった動きが呼び水となり、既存のBtoBの仕事にもつながりつつあります。単なる下請けではなく「KITOTEのようなオリジナル製品」をBtoBでもリクエストされるよう、営業をかけているそうです。
職人技の技術継承は、中井産業の課題の一つです。それでもKITOTEの立ち上げで、KITOTEブランドの職人を目指す20代が入社するようになりました。「かつての中井産業では考えられないことです。平均年齢も2013年ころは49歳でしたが、現在は42歳。ホームページを見て『求人の募集はあるか』といった問い合わせもあるそうです」
障子づくりを手がける中井産業の職人は高い技術力を誇ります
経営者の熱い思いを失わずに
下請けの割合を減らすために、自社ブランドを立ち上げるメーカーは少なくありませんが、KITOTEのように10年以上続くケースは目を引きます。売り上げも2020年から2年連続で前年比200%超という状況です。尾﨑さんはこう話します。
「西澤さんを信用し、KITOTEを圧倒的な日本一の障子ブランドにする覚悟で取り組んでいます。展示会には定期的に出展し、営業活動も続けています。誇れる製品をつくり続け、お客様に喜んでいただく。それは職人冥利に尽きるので、繰り返し伝え続けています」
社員全員を巻き込み、自分事化させる。それはブランディングに取り組んだ当初から今も変わらない方針の一つです。
カナダ人ユーチューバーによる、中井産業のオリジナルの動画もSNSで公開されています。その出会いもKITOTEを立ち上げ、全世界に向けて情報発信していた成果でした。今では、職人自ら展示会に参加したいと伝えるようにもなったそうです。
尾﨑さんは「まだ成功しているとは思っていませんが、着実に成功に向かっていると確信しています。西澤さんからは大切と言われた経営者の熱い思いを、失わず持ち続けていくつもりです。海外での採用も増えてきたKITOTEのコンセプト『木と手』を大切にして、社員と共に中井産業を発展させていけるように頑張ろうと思っています」と話しました。
経営者の奮闘と思いがあればこそ
西澤さんは中井産業のブランディングを次のように総括しました。
中井産業のみなさんは、元々ものを作る力は圧倒的に高いものをお持ちでした。今回はデザイン開発もかなり難易度の高いものにチャレンジしましたが、みんなでどんどん楽しく前向きに進んでいったのが印象的です。
しかしBtoBを主体とするメーカーさんで一番高い壁になるのが「売る」ということです。今までやったことのない自分たちのオリジナル製品を営業しきれるか。慣れ親しんだ下請け販路ではなく、ブランドにとって一番ベストな新たな販路に挑戦できるか。職人だらけの作ることに特化した組織の人たちが、新しいブランドの営業を本当にやりきれるかが一番の課題でした。
当然ですがゼロベースの営業活動なので立ち上がりに時間がかかります。よく「石の上にも三年」と言いますが、僕はブランディングの場合は「10年」だと思っています。
尾﨑さんはこの10年間、常に営業の最前線で奮闘し続けてこられました。自分のご家業ではない立場ですが、これをやり抜いたのがブランディングの本当の成功要因だと思います。これは尾﨑さんに個人や会社の損得を超えて、「本物の建具職人を未来に残す」という熱い思いがあったからこその力だと思います。