「初心者に優しい同人誌」で注文は2.5倍に しまや出版3代目の改革
しまや出版(東京都足立区)は同人誌印刷では全国トップクラスで、年間およそ8千件の注文を受けている会社です。ベンチャー企業出身で3代目の小早川真樹さん(51)が、妻の父で創業者の金子良次さん夫妻の後を継ぎました。同人誌制作の門戸を初心者に開いて事業規模を拡大し、営業と印刷現場の壁を壊して多能工化も推進。「あだち工場男子」など話題の自社制作物も次々と送り出しています。
しまや出版(東京都足立区)は同人誌印刷では全国トップクラスで、年間およそ8千件の注文を受けている会社です。ベンチャー企業出身で3代目の小早川真樹さん(51)が、妻の父で創業者の金子良次さん夫妻の後を継ぎました。同人誌制作の門戸を初心者に開いて事業規模を拡大し、営業と印刷現場の壁を壊して多能工化も推進。「あだち工場男子」など話題の自社制作物も次々と送り出しています。
目次
「まだ取材まで日があるのでうちの資料を送っておきますね」
取材を快諾してくれた小早川さんは社史やこれまでの制作物を手配してくれました。それからほどなく届いた宅配物に目を見張りました。梱包用の段ボールはかわいいイラストの入ったオリジナルで、ふたを開ければミラーマットを挟んだ書籍が寸分の狂いなく収まっていました。
「同人誌は作家にとって宝物であり、梱包も大切な作業です。忙しい時期はわたしも一緒になってこの作業にあたります」
「突如として後を継ぐことになったわたしには、経営者としての経験もなければ同人誌の趣味もありません。自社サイトの内容すら理解できませんでした」
小早川さんは何度かの転職を経て、幹部としてベンチャー企業で働いていた2007年1月に結婚します。その年の4月、妻の父でしまや出版の創業者、金子良次さんが急逝。家族会議に参加した小早川さんは「いい会社だからつぶしたくない」という義母の訴えに応えるべく後継者候補として入社します。
「逆手にとって打ち出したのが“はじめての方にも優しい同人誌印刷所”というスローガン。クローズドな商売は5年先、10年先を考えたときには尻すぼみです。将来を見据えれば、門戸を開く必要があった。業界の先輩は『手間がかかるばかりでもうけにならないよ』と親身になっていさめてくれましたが、いうなればそこはブルーオーシャン。わたしは思い切って飛び込みました」
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当時の注文システムは、判型から紙やインクの種類にいたるもろもろを顧客がみずから決めていくカスタム。初心者ではとてもゴールまでたどり着けないと考えた小早川さんはすべてをまとめたセット価格にしました。
サイトでは漫画家のいとうまさきさんとともに漫画「はじめての同人誌」をスタートさせます。原稿作成の方法や入稿、印刷について手取り足取り解説。毎月1話更新で3年かけて36話を無料公開しました。いち早くYouTubeにも取り組み、同人誌ができるまでの制作風景も披露します。
続いて作家の窓口となる営業部を強化。トークスクリプトを作成し、言葉づかいから指導するかたわら、受付対応、見積もり、データチェック……。本ができあがるまでのすべてに伴走する態勢を整えました。
原稿に不備があれば都度電話をかけ、きめ細かく確認。刷り上がれば今度は全ページを目視検査し、わずかでも元データと異なる部分があれば刷り直すこともいといません。
納品は自社で行い、お客さまのお披露目の場にも足を運びます。
「それまでは配送業者を使っていましたが、最後まで責任をもってお届けしたかった。少しでもはやく業界になじみたい、というのもありましたね。イベントへあいさつに出向けば、同業者には『なんでわざわざクレームを聞きにいくんだ』とあきれられたものです」
「しかしクレームだって貴重な意見ですし、なにより同人誌の世界に触れられるまたとない機会。忠告はありがたくいただいて顔を出しました。驚いたことに会場は感謝の言葉があふれていました。こんなにきれいに仕上げてくれてありがとうって。顧客づくりもさることながら、スタッフのモチベーションをあげるのに大いに役立ちました」
同時進行で製造現場にもメスを入れました。
「町工場は職人気質のかたまりです。それ自体は悪いことではありませんが、風通しの点で考えれば改善の余地がありました」
かつてのしまや出版には1階(製造)と2階(営業)のあいだにすさまじい壁があったと小早川さんは笑います。
「営業スタッフにとって製造の人間は怖い存在。イレギュラーな注文が入れば誰も1階にいきがたりませんでした。わたしがあいだに入ってとりもちました。人間関係に特効薬はありません。愚直に繰り返すしかない。時間はかかりましたが、ようやく円滑なコミュニケーションが築けました。真っ黒だった壁も透けてみえるように」
もうひとつがジョブローテーション。それまでは担当の職人が欠ければ作業がストップしてしまうことがままありました。この問題を解消すべく、多能工化を目指しました。
そこには同人誌特有の事情も。ハレの舞台である即売会は夏と冬に集中します。佳境に入れば満足に休みもとれず、イベント直前は日付が変わるまで働くこともざらでした。単能工から脱皮したことで、繁忙期でも午後8時、9時には帰れるようになりました。
推し進めた施策は徐々に浸透。年間の受注件数は2.5倍の8千まで膨らみ、セット価格もあいさつまわりも業界のスタンダードになりました。順調に売り上げを伸ばすなか、人材確保は最小限で済みました。小早川さんが入社した年に15人だった社員数は現在、パート3人を含む26人です。
初心者に間口を広げた結果、少量多品種に拍車がかかり、客単価は下がりましたが、安定した経営体制を確立。義母からバトンを受けとって代表に就任したのは11年のことでした。
「貸し渋りというものは経験したことがない」という小早川さんは次の一手を繰り出します。
「同人誌を刷る印刷会社の社長なのに、コミケ(=コミックマーケット。世界最大の同人誌即売会)に出たことがないというのもコンプレックスでした。スタッフにそう漏らすと、間髪入れずに参加申込書をもってきた。勢いで申し込みましたが、漫画なんて描いたことはありません。ひらめいたのが、工場の職人。地元の経営者と交流するようになって、ものづくりに携わる人々の格好よさに気づきました。彼らを取材して、写真と文で紹介する本ならつくれるんじゃないかと考えたんです」
狙いはあたって、「MACHI KOUJYO」と名づけて16年に出品した同人誌は評判を呼びます。自信がついた小早川さんは満を持して翌17年、写真集「あだち工場男子」を出版します。その名のとおり、足立区に特化し、26社・29人の工場男子が登場する写真集です。自社サイトや区内の協力店舗など限られた扱いながら、メディアというメディアから取材を受けました。グラビア5ページを割いた週刊誌もありました。
「うちは社名に出版とつきます。『出版もされているのですね』と尋ねられれば『しがない印刷屋です』と答えていました。じくじたる思いでしたね。出版と名がつく以上、いつかは本をつくってみたかった」
20年には2冊目の写真集「わたしたち『癒し課』に配属されました」が出版されました。
しまや出版は隅田川と荒川に挟まれた地域にあります。まわりには捨て猫がたくさんいました。スタッフに懐いた2匹を引きとり、10年2月22日に立ち上げたのが「癒し課」でした。スタッフを癒やしてくれる存在でしたが、せっかくだからとブログで紹介するように。インスタやツイッターに舞台を移した「癒し課」は海外からも反応があり、たびたびバズります。この盛り上がりを受けて出版を決めました。社猫と呼ぶ猫はいまや8匹に。
「いずれも部数は大したことがありませんが、しまや出版のアピールになりました。社猫に一肌脱いでもらったコロナ対策ポスターはテレビでも取りあげられました。(23年)8月にはその界隈で有名なにごたろさんに漫画を描いていただいた『ようこそ! しまや出版癒し課へ』がKADOKAWAから出版されました」
サラリーマン時代はアイデアマンとして鳴らしたそうで、その目のつけどころは鋭い。興に乗った小早川さんはカードゲームも発売します。「社長! 横文字で言うのは止めてください!」と「ほめじょーず」がそれ。ネーミングからしてユニークなそれらカードゲームにもメディアの取材が殺到しました。
過去最高の売り上げを達成するまで秒読みの段階に入った2020年、コロナが襲いかかります。イベントは軒並み中止に追い込まれ、しまや出版も足踏みを余儀なくされます。しかし小早川さんは足踏みをとめて、力強い一歩を踏み出しました。
「社員を休ませるくらいなら投資をしようと考えました。己を鼓舞し、多能工化研修や企画開発に注力。22年には事業再構築補助金を使ってレーザー加工機、インクジェットプリント、箔押し機を導入しました」
そうして生まれたのが全ページピンクの本や立体的な特殊加工を施した表紙、カセットテープやビデオテープのケースに入った同人誌セットです。いずれもSNSで大いに話題になりました。
小早川さん自身も製本学校に2年通って製本技能士の1級に合格します。
「毎週3日午後6〜9時、そして土曜は朝から晩まで。なかなかハードなスケジュールでしたが、なんとか完走することができました。やはりこれもコンプレックスに起因します。お恥ずかしながら、それまでのわたしの製本の知識はけして深くありませんでした。その最新事情を含め、製本というものを俯瞰する目が養えました」
この間、小早川さんが社員の給料を下げることはありませんでした。
しまや出版は金子良次さんが1968年に創業した文具店。妻の実家、島山家の家業を引き継ぎました。 大手自動車メーカーの整備士だった金子さんは生来の機械好きが高じて小さな印刷機を導入、店の片隅で印刷仕事を請け負うようになります。
そんな金子さんに舞い込んだ注文が同人誌でした。少部数の、しかも個人の媒体を相手にしてくれるところはありません。金子さんなら刷ってくれるといううわさは瞬く間に広まりました。
金子さんはだれからも慕われる存在でした。教えを請う同業者には惜しみなく技術を公開し、他社で刷った本の仕上がりがひどければ作家以上に憤慨、刷り直しを買って出たこともあったそうです。そうして1993年に誕生した日本同人誌印刷業組合で八面六臂の活躍をし、同人誌印刷では数本の指に入る老舗になりました。
見事承継を果たした小早川さんもくだんの印刷業組合の副理事長をはじめ、 地場の優れた製品、技術をアピールする足立ブランドの会長、足立区経済活性化会議の評議委員などの要職を歴任してきました。
「経営者は孤独といいますが、彼らとつながれたおかげでそのように感じることはありませんでした」
小早川さんの経営者としての歩みは創業者のそれに通じるところがあります。そう水を向けると、「いい婿だろうとことあるごとにいうんですが、妻はたいてい受け流します」
小早川さんは同じような境遇にある仲間とともに「653(むこさん)会」を発足、夜な夜な下町の赤提灯で慰めあっています。
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