「融資できない」で覚悟決めたアルファ電子3代目 米粉麺でリスク分散
福島県天栄村のアルファ電子は、電子機器や医療機器の組み立て・製造を行う会社です。3代目の樽川千香子さん(43)は、震災、離婚、シングルマザーの経験を経て社長に就任しました。倒産危機にあった会社を立て直し、持続可能な形を目指して異業種に参入。米粉を使った「う米(まい)めん」を開発し、着実に売り上げを伸ばしています。逆境からどのように立ち直ったのか、その歩みに迫ります。
福島県天栄村のアルファ電子は、電子機器や医療機器の組み立て・製造を行う会社です。3代目の樽川千香子さん(43)は、震災、離婚、シングルマザーの経験を経て社長に就任しました。倒産危機にあった会社を立て直し、持続可能な形を目指して異業種に参入。米粉を使った「う米(まい)めん」を開発し、着実に売り上げを伸ばしています。逆境からどのように立ち直ったのか、その歩みに迫ります。
目次
1969年創業のアルファ電子は、電子機器組み立てをメインに事業を行う会社です。樽川さんの祖父がデジタル時計の組み立て製造からスタートし、高度成長期の波を追い風にして成長してきました。
インベーダーゲームやファミコン、デジタルカメラ、携帯電話、医療機器など、その時代の変化に合わせながら、電子機器の受託製造を行っています。
「子ども時代は従業員さんみんなが家族みたいで、自宅となりの工場が遊び場でした」
社員10人ほどの会社の雰囲気がガラリと変わったのは、樽川さんが小学校にあがったころです。ファミコンの部品製造の受注がはじまったことで、工場が新設され、一気に社員300人規模の大きな会社になっていきました。
樽川さんは、今でも仲良しという三姉妹の次女。「会社を継ぐ気なんてまったくありませんでした」と笑顔で話します。家業は長女が継ぐものとされてきた樽川家で、年子の姉とは明白な違いを受けて育ったそうです。
「古い時代ですから、特に祖父母はあからさまでしたね。姉は可愛がられて大事にされて、海外旅行も姉だけ連れて行ってもらうとか…(笑)。それで屈折するようなことはなかったですが、私は家を出て行く子として育ったので早いうちから自立心が芽生えました」
↓ここから続き
幼少期からキリスト教系の私立校に通っていた樽川さんは、奉仕の心を身に付け、介護職に就くことを志しました。憧れの人はマザーテレサ。福祉系の短大を卒業後、介護施設に就職しました。
家業を意識するようになったのは、20代を過ぎたころです。父・ 久夫さんが「三姉妹それぞれの夫となる人に会社に入ってほしい」と言い出したのです。
その言葉にプレッシャーを感じながらも25歳で結婚し、夫はアルファ電子に入社。その後は、姉夫婦も会社に加わりましたが、父と大げんかのすえに決別してしまいます。そんな経緯もあって、樽川さんの夫が次期後継者となって経営を支えてきました。
2010年12月に待望の女の子を授かりました。しかし、幸せな時間はつかの間。その3カ月後に東日本大震災が発生。続く東京電力福島第一原発事故は、樽川さんを大きな不安で包みました。
「テレビでは毎日放射能のニュースが流れ、窓を開けていいのか、何が正解なのかもわからない。そんな状況の中でのはじめての育児は、不安とストレスでおかしくなってしまいそうでした」
我が子を守りたい一心で、新潟県へ母子での避難を決意します。当時、全国の各団体が福島県から自主的に避難をする人や親子の受け入れ支援を行っていました。新潟の支援団体が提供するアパートで、0歳の娘との新生活がはじまりました。
「この時、この子を守るために強くならなきゃってスイッチが入りました」と当時を振りますが、長引く二重生活は、経済的にも精神的にも樽川さんを追い詰めていきました。
そのころ、会社も窮地に立たされていました。アルファ電子のある天栄村は、福島第一原発から100キロ近く離れた場所にありますが、原発事故による風評被害は電子機器にまで及びました。「福島の製品は使えない」と取引先から次々と仕事を切られたのです。
生活を維持するため、樽川さんは新潟でパートをはじめることにしました。ここで生まれた縁から、運命は少しずつ変わりはじめていきます。
とある製造業の会社の事務職の面接を受けに行くと、履歴書を見た社長から 「あの樽川さんの娘さん?」と声をかけられました。その人は、以前雑誌で父・ 久夫さんの記事を読み、リスペクトをしていたというのです。運よくパートに入れた会社で、樽川さんのよき理解者となって励ましてくれました。
当時、樽川さんには誰にも打ち明けることのできない悩みがありました。父の右腕となって家業を支えてくれている夫とは、会社の経営方針や私生活で大きな価値観の違いがあったのです。「この人に会社を任せてもいいのだろうか」。両親にも話せずにいた不安や悩みでしたが、不思議とパート先の社長には本音を吐き出すことができました。
「『夫が会社を継ぐのは難しいと思います。でもほかに後継者がいないんです』と打ち明けたら、私の目を見て『あなたがいるでしょう』と言うんです。びっくりしました。とっさに『女性が継ぐなんてありえないし、第一、父は認めてくれないと思います!』と言い返してしまいました」
その時は受け止めきれなかった言葉でしたが、それから3年をかけて気持ちを整理していく中で、心境に変化が生まれていきました。「祖父の代から続いてきた会社を守りたい。何より笑顔で子育てがしたい」。樽川さんは離婚して自らが家業を継ぐことを決断し、2015年に娘とともに福島に戻りました。
実家へもどり、自立をするために職業訓練校に通い簿記の資格を取得しました。その姿を見て、両親も周りも徐々に理解を示していったそうです。
2015年8月、アルファ電子に入社。簿記の知識を持って改めて会社の経営状況を見てみると、昔ながらのルーズな予算管理が見えてきました。
「例えば、10人でできる作業を20人かけてやっていたり、原価の採算が合わない仕事を何年も続けていたり、このままではマズいという状況が見えてきたんです」
課題はほかにもありました。電子部品の受託製造は、クライアントの発注に大きく左右されます。発注が無くなれば、160人の社員を抱えながら「来週の仕事がない」という状況にもなりかねません。会社は時代の変化に合わせて医療機器やエネルギー事業への転換を図ってきたものの、目の前の売り上げを追う自転車操業のような状況で、いずれ立ち行かなくなることが目に見えていました。
震災後、東電からの補償金 などでどうにかつないできた資金繰りも、2016年に補償金がゼロになったことでより厳しい状況となっていました。
決定的となったのは2018年のこと。業績改善の兆しが見えない中、銀行から「このままの経営状況では新規融資はできない」と通達を受けたのです。
「融資を受けられないイコール倒産です。父は会社売却も視野に入れていました。けれど私は『会社を継ぐつもりで入社をしたのだからその選択肢はない。まだやれることがあるならやりたい』と父に伝えました」
一人で銀行に赴いた樽川さんは、「今後は私が主体となって事業再生をしていきます」と再生支援を申請します。家業を継ぐと覚悟を決めた瞬間でした。
事業再生は、10年分の事業計画書を作り収益改善を図りました。経営コンサルタントの力を借りて課題を整理していくと、今まで見えていなかった無駄な費用が見えてきたといいます。不採算事業や不必要なコストを洗い出し、その一つひとつを見直していきました。
「震災後、風評被害を避けるために立ち上げた栃木事業所は、毎月500万円の赤字と人件費がかかっていました。長年、付き合いのあった取引先の仕事も利益が出ていなかったり、低単価で請け負っていたりと、時代とともに資材や人件費、エネルギーコストが上がっているのに対し、その見直しができていなかったんです」
栃木事業所を閉鎖し、クライアントに1軒1軒まわって単価交渉をしました。採算が合わない事業からは撤退し事業を整理することで、約1年間で利益の出せる体制にガラリと変化することができたそうです。
「社員一人ひとりが本当に注力すべきことは何かを本気で考えて改革をしてきました。結局、無駄なことに人も時間も使っていたんです。もちろん、改革についてこられない社員もいましたし、バッシングの声もいただきました。それでも、『この会社を守りたい気持ちだけは誰よりも強い』という自負がありました」
樽川さんの次なる挑戦は、新規事業の立ち上げです。クライアントに左右されない自社製品を開発することは、目標の一つでもありました。
そこで自社の強みでもある電子機器の開発に踏み出します。超音波で体を温める機械を大学との共同研究で作ろうとクラウドファンディングを立ち上げて資金を募りました。開発に必要な資金は3,000万円。クラファンでは600万円が集まったものの、資金、人、技術、設備のすべてが足りていないことを痛感する結果に終わりました。
「完全に失敗でした。いきなりハードルの高いことを目指そうとしても無理だと思い知りました。であれば、自分1人でもできるようなことから小さくはじめてみようと考え方を変えました。食物アレルギーのある娘を持って、健康や食事には人一倍気をつけていたこともあり、食の分野で母であることを強みにした何かができないだろうかと考えるようになりました」
そこで相談をしたのが、新潟にいたときに貴重なアドバイスをくれた製造業の社長でした。
「そういう考え方になったのであれば面白い会社があるよ」と紹介してくれたのが、佐渡島にある電子部品製造の会社でした。そこは、製造業でありながら米粉製品の6次化に取り組んでいました。すぐに話を伺いに行き相談をすると、その社長さんも「本気でやるなら協力する」と後押しをしてくれたのです。
2019年、グルテンフリーにこだわった米粉麺の研究開発に挑みます。新潟から米粉を送ってもらい試作からはじめてみるも、思うような結果には至りません。そこで、自分たちで作ることはいったん諦め、麺の研究から再構築することにしました。
ここで電子部品メーカーとして培ってきた強みを活かします。仕事の縁でつながった工学院大学・応用化学科の山田昌治教授とともに、米粉の成分をデータ分析。山田教授は、日清製粉でパスタなどの研究開発にも携わった人物です。 粘りの特性、強度試験、香りの分析 といった研究を重ね、科学的根拠に基づいたおいしい米粉麺を追求しました。
さらに、福島県産米を使うことにもこだわりました。震災を経験したからこそ強まった地元への想いと、消費量低下が課題となっているお米を新しいカタチで食べることで日本食文化を守っていきたいとの考えからです。
開発には助成金を活用し、3年間でトータル1000万円の開発費用をかけました。こうして、2021年に米粉麺「う米めん」が完成。販売するや否や高い評価を集め、新東北みやげコンテストでアイデア特別賞を受賞したほか、異業種への参入・挑戦というアクションに対し、ふくしまベンチャーアワード2021特別賞を受賞しました。
現在、う米めんは、福島県内の道の駅や直売所、Amazon、自社サイトのECショップなどで販売しています。「賞をいただいたことでたくさんの反応がありましたが、売り上げ的にはまだまだこれから」と樽川さんは話します。
2022年には、隣の自治体の須賀川市にある須賀川工場の一部を改修し、米の精米、製粉、製麺、麺の切り出し、梱包を一貫して行える自社工場を立ち上げました。自社工場を持ったことで、給食などの業務用生産のほか、OEM生産が可能になりました。
「今年から須賀川市内の学校給食に起用していただきました。小麦アレルギーを持つ子どもたちから『みんなで同じものを食べられるから嬉しい!』という声をもらって、米粉麺を作って本当によかったと実感しています」
米粉事業は自社ブランド製造、業務用、OEM生産の3本の柱で運営をしています。売り上げとしては、まだ会社全体の数パーセントですが、今後は20〜30%まで拡大することを目標に掲げています。業務を多角化し、リスクを分散させることが狙いですが、ほかにもプラスの効果があったようです。
「米粉事業を立ち上げたことでアルファ電子の名前を知ってもらう機会が増え、今までなら出会えないような方たちとつながることができました。そのおかげで、電子機器製造の新規の受注も伸びています。事業再生支援を受けて5年経った現在では、経営改善し、資金繰りも正常化されました。ようやくスタートラインに立てたような感じです」
2023年1月、事業承継により代表取締役に就任しました。このタイミングで交代した理由について、樽川さんは「父が元気なうちに並走してもらったほうが安心だから」と笑います。
「父はよく『立場が変わると見える景色が変わる』と言っていました。改めて、社長という肩書を持つと、その言葉の意味がよくわかります。全てが自分の責任という重圧はやはり大きなものです。だからこそ、一人で会社運営はできません。社員たちを信頼し、協力し合いながら、100年続く強い会社を作っていくことが目標です」
代表取締役として決意を語る樽川さんは、母としての顔も持ちます。そんな樽川さんに、仕事と子育てを両立するコツを聞きました。
「シングルマザーということもあり、肩肘を張って生きてきました。でも、一人で全部を抱え込んでしまうと、うまくいかないんですよね。時間はかかりましたが、父と母に甘えられるようになって、ようやく子育てが楽になりました。一人でがんばらなくていい、何かをしてもらったら素直に『ありがとう』と伝えて、周りに頼ればいいんです」
会社運営も子育ても決して1人ではできません。だからこそ周りの人たちを信頼し、協力を得て前へ進む。逆境をもしなやかに乗り越える樽川さんの挑戦は、これからも続きます。
(続きは会員登録で読めます)
ツギノジダイに会員登録をすると、記事全文をお読みいただけます。
おすすめ記事をまとめたメールマガジンも受信できます。
おすすめのニュース、取材余話、イベントの優先案内など「ツギノジダイ」を一層お楽しみいただける情報を定期的に配信しています。メルマガを購読したい方は、会員登録をお願いいたします。
朝日インタラクティブが運営する「ツギノジダイ」は、中小企業の経営者や後継者、後を継ごうか迷っている人たちに寄り添うメディアです。さまざまな事業承継の選択肢や必要な基礎知識を紹介します。
さらに会社を継いだ経営者のインタビューや売り上げアップ、経営改革に役立つ事例など、次の時代を勝ち抜くヒントをお届けします。企業が今ある理由は、顧客に選ばれて続けてきたからです。刻々と変化する経営環境に柔軟に対応し、それぞれの強みを生かせば、さらに成長できます。
ツギノジダイは後継者不足という社会課題の解決に向けて、みなさまと一緒に考えていきます。