ナダヤは灘さんの祖父であり相談役の灘進一さんが、財布を扱う問屋として1960年に創業しました。利益率を高めたいと生産にも着手、デザイナーを迎え入れ、OEMだけでなく自社オリジナル製品の開発・製造にも着手していきます。
現在はOEM、卸、直販の3本柱で事業を進め、財布のほか、名刺入れ・鞄などの革製品を手がけています。自社ブランドは10以上、売上高約5億円、従業員は内職メンバーを含めると国内で50人以上、そのほかタイの自社工場に100人ほどのメンバーを抱えるまでに成長しています。
祖父から後継ぎの話はよく聞かされていたそうですが、父親からは自由にしていいと言われていたこともあり、大学では興味のあった数学や物理化学を学ぶ基礎工学を専攻します。
しかし、就職活動の時期になり、さまざまな業界、企業、職種を知るにつれ、経営という仕事に魅力を感じていきます。そして自分は、経営という仕事を手に入れることのできる立場にある。そう思い、家業を継ぐことを決意します。
好調な業績やビジネスモデルが有名な、キーエンスの販売促進部門で経験を積む道を選びます。キーエンス時代は新商品開発の戦略立案、営業の売上を最大化するサポートを担うなど、今後に生かされる業務経験を積んでいきました。
「どの部門のメンバーも目標設定や実際の数字を毎日確認するなど、数字に対する意識が高いことを学ぶことができました」
入社から2年ほど経った2014年、3代目の叔父に経営のバトンが変わるタイミングで家業に入ります。
改革したいところはたくさんあったが……
キーエンスとは一転、生産現場にパソコンはなく、指示や注文は手書きのメモやFAXでやり取りが行われていました。ただ、灘さんは無理にデジタル化を進めようとしませんでした。実際、入社から10年経った現在もアナログ環境は変わっていません。
「正直、変えたいとは思いましたし、今でもこの状態が正しいのかどうかは分かりません。ただ社員一人ひとりが楽しくモチベーションを持って仕事に臨んでもらいたい。そう考えての状況なのです」
従業員たちが働く工場内の様子
実際、社員はみな明るく、新商品が続々と生まれる環境がすでに構築されていました。
では、自分は何をすればよいのか。ネット通販という新たな販路や、新たな生産拠点としてバングラデシュの工場を開拓するなど、自分にできる、得意な領域で存在感を示していきます。
新商品やアイデアは誰が出してもいい
ナダヤが年間生み出す新商品は、オリジナルだけで約200商品。OEMや色違いの商品も含めると1000以上にもなります。しかし、いわゆる新商品開発に向けての定期ミーティングや、専門部署は設けていません。アイデアの源泉は、全従業員だからです。
組織的には、営業、生産、企画と大きく3つの部署に分かれていますが、どの部署のどのメンバーからも、アイデアは出てきます。そしてアイデアがかたちになっていく場や流れも、日頃の従業員同士のコミュニケーションが生かされています。
ただ、「部署におけるアイデアの特徴はある」と灘さん。企画部からは新素材ベースの開発が多く、生産チームは利用者がより使いやすいような、デザインや機能といったアイデアが寄せられ、営業からはマーケットニーズに即した商品、といった傾向があります。
企画部からのアイデアで商品化されたバスケットボール素材を使ったスマホケース
たとえば企画部では、バスケットボールの素材を活用したスマホケースを開発。さらに派生したサッカー、野球をモチーフにしたシリーズに発展しました。営業部門からは通勤が少なくなり、サードプレイスなどでの仕事も増えたビジネスパーソン向けの、本革極薄ビジネスバッグなどがあります。
30年以上前に原型の提案があった「L字型ファスナーの長財布」
今では特にレディース商品で多く見られる「L字型ファスナーの長財布」も、元々のアイデアはナダヤの職人さんが、30年以上前に原型を開発したそうです。昨今では特にネットでの売上が高いことから、Web担当の営業がL字型ファスナー長財布のさらなる新商品を生み出しています。
さらにナダヤがユニークなのは、アイデアの発案者が基本担当者として、試作から販路決めといった業務まで担う点です。
企画書も上司へのお伺いも必要ない
このような体制のため、「財布の新商品に関しては、私もほぼノータッチです」と灘さん。
企画書を作成して上司に伺いを立てることも、稟議を通すことも必要ありません。
先ほども少し触れたように、営業とデザイナーが直接やり取りして試作品を作ったり、タイ工場の生産部門からの依頼で、新たな機能を財布に追加したり。トップはもちろん上司も知らないうちに、新商品の企画どころから、試作品の製作まで進んでいるというのです。
灘さんはおよその動きは把握していますが、社員の熱量を大事にしており、灘さんが口を挟むようなことはありません。一方で次のような思いも吐露します。
「とはいっても売れない商品も多いですから、今のやり方が本当に正しいのか。正直、私も悩んでいることころではあります」
それでも、自社で製作できる体制が整っているため、できる限り企画は商品化し、販売するケースが大半とのことです。販路に関して多くの場合は担当販路での売れ筋を考えているため、自然と決まります。
それでも、売れ筋商品になるのは1割ほど。撤退するときは担当者が、これまでの経験から判断している、一人ひとりの社員の自主性に任せている、とのことでした。
業界全体の“未来”を考え C反生かした新製品
新商品のアイデアは灘さんも出しています。売れない製品もありますが「トップが失敗しても繰り返しチャレンジする姿勢を見せることも大事だと考えています」と、話します。
キャッシュレス決済の台頭により、財布の需要は減る傾向にあります。加えて、エシカルといった言葉に代表される環境運動の高まりなどにより、革製品に対する世間の見方や扱いも、厳しくなってきたと灘さんは感じています。
キズやシワのある素材をあえて使っている「Ctan」
このような社会背景を踏まえて開発したのが、「Ctan」というブランドです。牛などの革は、上からA反・B反・C反とランク分けされており、C反は通常、革キズ、シワなどがあり、製品化が難しい部分です。そのため、製革・製造工程で革全体の6割以上が破棄される、と言われています。
(左上から時計回りに)キズ、かさぶた、シワ、色抜け、染めムラ、毛穴
灘さんは、あえてこのC反に着目。エシカルな商品としてブランド化できないかと考えています。
販路はまず、世論の反応がより得られやすいMakuake を選択。目標金額を上回り80万円以上の応援購入が集まっています。
「自社の売上どうこうではなく、以前から皆が何となく感じていた業界の課題を、率先して取り組んでいくことが重要だと考えました。実際、エンドユーザーはもちろんですが、素材屋さんなど業界関係者から良き反応が届いています」
自分より社歴が長い社員は「先輩」
経営について話す灘さん
アナログ環境の改善など、自分の能力や知識、前職の経験をどうやってナダヤに落とし込むかについては、ずっと考えている課題だと灘さんは言います。一方で、常に社員の気持ちを大切にしていることが伝わってきました。
普段から、自主的にアイデアを出す社員のモチベーションを落とさない。かつ、より意見を引き出せるよう、積極的にコミュニケーションを取っているそうです。そしてコミュニケーションの際には、社員一人ひとりをリスペクトすること、謙虚な気持ちを忘れないことが大事だと言います。
「後継ぎ経営者の特権でもあると思うのですが、働いている従業員はみなベテラン、大先輩です。だから、分からないことがあったら聞けばいいんです。一般企業で新人がベテランに教えてもらうのは、至極、ふつうのことですから」
実際、灘さんは特に新商品開発では、積極的に従業員、特にベテラン社員に相談しているそうです。場合によっては相談だけでなく、悩みも打ち明けているとのこと。ベテラン社員とは飲みニケーションで、若い社員とは業務内でと、使い分けてもいます。
従業員も次第に本音を灘さんに話すようになっていきました。だからこそデジタル化に際しても、はっきりと「嫌だ」との答えが返ってくるそうで、今の状況では導入できない、との判断に至っているのです。
シビアなお金の話など、従業員に話せない内容に関しては父親やほかの経営者に相談するなど、内容によっても変えてもいます。
もうひとつ、灘さんが大切にしていることがあります。自分ができることを一生懸命取り組むことです。そのような姿勢を日々見せることが、結果としてコミュニケーションの際に、役立つとも言います。
「社員が悩みを相談してくれない。そのように話す経営者が多いですが、それは自分が悩みを打ち明けていないからだと思います。自分はトップとの気持ちではなく、あくまで謙虚に、先輩社員や仲間に教えてもらう姿勢が大事だと、自戒も込めて常に思っています」