2012年放映開始の「ガルパン」は、大洗町を舞台に「県立大洗女子学園」の生徒たちが戦車を使った武道「戦車道」を極めるストーリーです。放映を機に町全体でファンを受け入れ、大里さんもガルパンファンのニーズに合わせ、柔軟でスピード感のある企画に取り組みました。アニメ放映が終わり、シリーズの続編が展開する今も、旅館や大里さん自身のファンになった客が定期的に足を運びます。
長男の大里さんは、幼いころから旅館で過ごす時間が長かったといいます。板場に立って調理し、従業員をまとめ、接客し、買い付けをする。そんな祖父や父の姿が輝いて見え「いつかはこの旅館を継ぐんだ」という意識が芽生えます。
県内の大学を卒業後、父もお世話になった八芳園グループの職人の元で板前修業に入ります。師匠は引退目前でしたが「全部面倒を見てやる」とノウハウをたたきこまれます。同じ板場の先輩にも師事し、修業開始から4年でフグの調理師免許も取りました。
26歳だった2003年、まずは父と板場に立つところから始まりました。
父が亡くなり31歳で社長に
Uターン後は板場に立つ傍ら、仕入れ先への同行や地域の同世代の経営者と接点を持つなど、経営者修業も積みます。
はじめに取り組んだのは、始まって間もないOTA(Online Travel Agent=オンライン旅行会社)の利用でした。
当時は、自社ホームページ(HP)を開設している地域の事業者はほぼありませんでした。大里さんは手探りでHPを立ち上げ、OTAにも登録し販路を広げます。「ネット掲載が加わることで首都圏からの個人利用客が20%ほど増えたんです」。団体客から個人客へ、客層が少しずつ変わっていきました。
大里さんは町内の同世代の経営者との飲み会も企画し、情報交換を重ねました。新たな取り組みや成功・失敗の事例、悩みを共有し、観光地の先進事例があれば仲間と見学に向かいました。
しかし、順風満帆にみえた矢先、父が末期がんを宣告されます。大里さんが28歳の時でした。父の治療や入院が始まり母もつきっきりになります。ただ、地域での接点ができ、経営も少しずつ任されていたこともあり、経営面での大きなダメージはなかったといいます。
大里さんが31歳の時、父が亡くなり社長に就任しました。「今振り返ると、ただガムシャラで、教わったことを生かしながら日々を回すことで必死でした」
「精神的支柱を失った影響は大きかった」という大里さんを支えたのは、地域の事業者たちです。「肴屋本店を宴会や食事会の場に使ってくれたことは1度や2度じゃありませんでした」。人の縁に救われる日々。大里さんは地域のためにできることをしようと思いを強くします。
東日本大震災で売り上げが激減
代替わり後も、売り上げを大きく落とさず徐々に安定してきましたが、2011年3月の東日本大震災で暗転します。肴屋本店は津波被害を受けず、建物にも大きな影響もありませんでしたが、被害の大きい商店街や町の事業者もいました。
「うちは後継ぎもいないし、いつたたもうか」。暗い表情で口にする高齢の店主も少なくなかったといいます。
肴屋本店も一般客の予約は全部真っ白に。同年4〜6月は復興に関わる作業員の宿泊でしのげましたが、その後は原発事故の風評被害の影響もあり、一般客は戻ってきませんでした。かつて年間60万人を数えた海水浴客も、震災後は14万人に激減。肴屋本店の同年7月の売上高は前年比10%にも満たず、開店休業の状態が続きました。
東電からの原子力損害賠償を受けて休業することもできましたが、大里さんはそれに頼りすぎずに先を見据えていました。「補償はいつかは終わる。だったら、今できることをしよう」
これまで2社しか出していなかったOTAを7社に増やし、ネットに絞って露出を高めると、11年末には利用客数が前年比6割ほどまで戻りました。
一人客に用意した「応援プラン」
11年秋、震災の影響が残る中、大里さんは当時の商工会長さんからパワースポットを活用した他県のコンテンツツーリズムの事例を紹介されました。
「大洗でも何か取り組めないだろうか」。知人の経営者らとそんな話をしていると、「そういえば、こんなアニメの話があるんだけど」と持ちかけられます。それが「ガールズ&パンツァー」でした。制作側が大洗町を舞台にすることを決め、この経営者がサポートしていました。
大里さん自身はアニメに詳しくありませんでしたが、かつて隣の水戸市でコミックマーケットが開かれたときに泊まったアニメファンの姿を思い出しました。「はじめは少しでもうちに泊まりにきてくれたらいいな、というくらいの感覚でした」
作中で戦車が突っ込んでくるシーンに、肴屋本店を使いたいという制作側のオファーも快諾しました。
12年10月のアニメ放送開始から1カ月後、大洗の町のシーンが放送されると、一眼レフを手に店の外観を撮影する観光客を見かけるように。人の姿は日に日に目立ち、放送開始から2カ月経つと宿泊客も増えました。商店街でキャラクターの誕生会イベントを開催すると、平日は700〜800人、休日は1500〜2千人が商店街を訪れるようになっていました。
特に、全国各地から一人や男性グループでの宿泊が多いことが特徴的でした。大里さんはそんなニーズをくみ取り、12年12月、これまで2人前からしか予約できなかったあんこう鍋を、「おひとり様」でも楽しめる「ガルパン応援プラン」を作りました。魚介中心だったメニューに茨城県のブランド肉「常陸牛」を加え、地域の食をさらに楽しめるように工夫を凝らします。
SNSでプランを告知すると、通常1日140〜150PVだった自社サイトのアクセス数が、1時間で4千〜5千PVに跳ね上がりサーバーがダウン。「サイトが見られない」「応援プランが取れない」という書き込みの対応に追われるほどでした。
周囲にも勧めたアニメ関連プラン
大里さんは、ガルパンに登場しない近隣の宿や飲食店にも、同じようにアニメ関連のメニューやプランを勧めました。「大里さんのところはアニメに出たからでしょう」と、半信半疑の声もあったものの、あきらめずに声をかけ続けました。
同年11月の「あんこう祭り」には前年の2倍の6万人が来場。アニメの人気ぶりへの驚きとともに、「震災で元気のなくなったまちに活気を与えられるのではないか」という想いは、確信に変わりました。
「大洗を訪れる人がこんなにいるんだから、もっと商店街の各店舗にも来てもらえる仕掛けをしよう」。当時、商工会青年部に所属していた大里さんは、アニメの話を持ち込んだ経営者らと5人で「コソコソ作戦本部」を立ち上げ、主要な観光スポットなどをめぐる手作りのスタンプラリーを企画しました。
アニメファンから大洗のファンに
「作戦本部」は次に、13年3月のイベント「海楽(かいらく)フェスタ」に合わせ、ガルパンに出てくるキャラクター54人の等身大パネルの制作・設置に取り組みました。アニメを知らない高齢の店主でもファンと交流できるようキャラクターの名前や学校名など、プロフィルも添えました。
パネルの配置は、キャラクターの趣味や性格、声優が立ち寄ったなどのエピソード、店主の趣味など、商店街の一員だからこそ知り得る情報をもとに決めたといいます。
「店のおじちゃん、おばちゃんのことも知ってもらおう」と並行して店主の等身大パネルも制作。アニメキャラと同様に店頭などに並べました。
「うちはアニメに出ていないから」と消極的だった店の人も、ガルパンの名前が浸透するごとにパネルを通してファンとの交流が増え、自分ごとへと変わりました。震災後、元気がなくなっていた商店街の姿はどこにもありませんでした。
「おばちゃん、また来月も来るよ」「○○の誕生会に来るね」。ガルパンファンは地域との関係性を深め、いつしか大洗のファンへとなりました。
肴屋本店も、ガルパンを機に全47都道府県から宿泊の予約が入るようになりました。
一般的に宿泊業界の集客はOTA6割、自社サイトなどが4割くらいとされています。しかし、肴屋本店は業界の常識を覆し、自社サイト7割、OTA3割という予約状況が当たり前になったのです。
茨城空港の増便なども手伝い、海外のアニメファンの予約も徐々に増えてきました。「聖地巡礼」に訪れるガルパンファンと地域の人とのつながりは、全国的にも知られるようになりました。
人とのつながりで地域のハブに
20年からのコロナ禍は観光業に大打撃を与え、肴屋本店も売り上げが前年の半分まで落ち込んだ時期もありました。
大里さんが17年から会長を務める大洗観光協会は、店舗支援のクラウドファンディング『大洗「おかえり」ミッション!』を企画しました。
応援方法を「オペレーション」として設定。オペレーション1は「サイトにアクセスする」、2は「応援したい店を支援」、3は「プロジェクト終了後に自宅に届いた支援チケットを受け取る」、4は「支援した店に行き『ただいま』と言う」。そして、店の人からの「おかえり」でミッションが完了となります。
高齢の店主らを思い、足を運ぶのを控えるファンからの支援もあり、20年5月の募集開始から8日間で目標額2千万円に届き、最終的には4686万円を集めました。
「震災の時はどこまでお客さんが回復するか不安でした。でも、コロナ禍に関しては、ガルパンファンという大洗の応援団がいます。10年間で築いた信頼と安心がありました」
放送から10年。今でこそだいぶ落ち着きましたが、それでも平日休日問わずに商店街を歩くファンの姿があるといいます。
「父が亡くなった時も震災後のガルパンもコロナ禍も、人と人との結びつきを大切にすれば、あらゆる壁も乗り越えていけます。私の理想は『人と人が触れ合える宿』。観光協会の会長としても『人に会いにいくまち』の一助であり続けたいです」
人と人とのつながりを、まち全体のファンへと結びつけた肴屋本店。これからも地域のハブであり続けます。