目次

  1. 浴衣や手ぬぐいに使われる有松・鳴海絞り
  2. 「旦那衆」にあこがれ家業へ
  3. 入社して売り上げ減少に直面
  4. 括りの「しわ」をデザインに
  5. ファッションブランド「cucuri」誕生
  6. cucuriファンも販売員に
  7. ファンの熱で売り上げ拡大
  8. 事業承継は「いろんな人がいていい」

 有松・鳴海絞りは、旧東海道の有松地区と鳴海宿(いずれも現在の名古屋市南部)を発祥とする伝統工芸です。1610年ごろ、絞り染めにした手拭いや浴衣を、土産物として有松で売り出したのが始まりといわれます。街道沿いの鳴海宿で人気に火が付き、鳴海や周辺地域でも絞り染めの生産がはじまりました。現在ではそれらの総称として「有松・鳴海絞り」と呼ばれます。

 絞り染めとは、布の一部を糸で括ったまま染め、括った部分が白く残ることを生かした模様染めの技法。糸の括り方でさまざまな模様をつくりだすことができます。有松・鳴海絞りの括りの技法は100種類あるといわれ、その数は世界一とされています。一人一技法を継承し、女性の内職仕事として受け継がれてきました。

布の一部を糸で括ったもの(左)、染めあがって半分糸をほどいたもの(右上)、絞り染めで模様が描かれた完成品(右下)

 「糸を括るときに、専用の道具を使うのは有松・鳴海だけなんです。括り方によって道具は異なります。有松・鳴海絞りが100種類もの括りを考案できたのも、道具があるからだと考えられています」と山上さん。

 山上さんの会社では主に商品の企画・販売をおこない、「絵付け」「括り」「染め」「糸抜き」「湯のし(=蒸気を当ててしわを取る)」などの各工程は、工程ごとに別の業者に発注します。すべての工程で業者が異なる分業制で、産地全体で支え合って一つの製品をつくりあげることが、有松・鳴海絞りの大きな特徴です。

括りの専用の道具(奥)。山上商店でもサンプル作成などの際に括り作業をおこなう

 山上さんの子ども時代、有松の大人はカッコよかったといいます。先代で父の健(けん)さんまでは、当主を「旦那衆」と呼んだ時代です。客人には自ら茶をたててもてなし、遊び方も粋な旦那衆。山上さんは、当然自分もいつかは家を継ぎ、父のようになると思っていたそうです。

正晃さんが子どもの頃の山上商店(山上商店提供)

 家業を継ぐことは決めていたものの、一度は外の世界を見てみたいと考えた山上さん。「家業に役立つ方がよいだろう」と、繊維系の企業を数社受け、愛知大学卒業後は繊維専門商社「瀧定(たきさだ)名古屋株式会社」に入社しました。

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