有松・鳴海絞りは、旧東海道の有松地区と鳴海宿(いずれも現在の名古屋市南部)を発祥とする伝統工芸です。1610年ごろ、絞り染めにした手拭いや浴衣を、土産物として有松で売り出したのが始まりといわれます。街道沿いの鳴海宿で人気に火が付き、鳴海や周辺地域でも絞り染めの生産がはじまりました。現在ではそれらの総称として「有松・鳴海絞り」と呼ばれます。
絞り染めとは、布の一部を糸で括ったまま染め、括った部分が白く残ることを生かした模様染めの技法。糸の括り方でさまざまな模様をつくりだすことができます。有松・鳴海絞りの括りの技法は100種類あるといわれ、その数は世界一とされています。一人一技法を継承し、女性の内職仕事として受け継がれてきました。
「糸を括るときに、専用の道具を使うのは有松・鳴海だけなんです。括り方によって道具は異なります。有松・鳴海絞りが100種類もの括りを考案できたのも、道具があるからだと考えられています」と山上さん。
山上さんの会社では主に商品の企画・販売をおこない、「絵付け」「括り」「染め」「糸抜き」「湯のし(=蒸気を当ててしわを取る)」などの各工程は、工程ごとに別の業者に発注します。すべての工程で業者が異なる分業制で、産地全体で支え合って一つの製品をつくりあげることが、有松・鳴海絞りの大きな特徴です。
山上さんの子ども時代、有松の大人はカッコよかったといいます。先代で父の健(けん)さんまでは、当主を「旦那衆」と呼んだ時代です。客人には自ら茶をたててもてなし、遊び方も粋な旦那衆。山上さんは、当然自分もいつかは家を継ぎ、父のようになると思っていたそうです。
家業を継ぐことは決めていたものの、一度は外の世界を見てみたいと考えた山上さん。「家業に役立つ方がよいだろう」と、繊維系の企業を数社受け、愛知大学卒業後は繊維専門商社「瀧定(たきさだ)名古屋株式会社」に入社しました。
瀧定名古屋では、一年目に「服地」「製品」「営業」の基礎を学びます。服地のおもしろさ、奥深さに興味を持ち、翌年からは婦人服地の合繊部門に配属。さまざまな生地を制作しました。
「『絞り』は元の生地の上に施す二次加工です。色の選び方や糸の産地の知識など、元の『生地』に関する知識ができたことは、今の仕事に生きています」と山上さんは話します。
入社して売り上げ減少に直面
山上商店は、祖父の昇(のぼる)さんが1926年に創業。反物や浴衣を主に扱っていました。2代目の父・健さんの時代には扇子や日傘、スカーフなどの小物に手を広げ、販路を広げていきます。1970年には有限会社山上商店として法人登録し、最盛期の1980年頃には売り上げは1億円台になりました。
瀧定名古屋に入社して5年目の1997年、父の健さんの体調が悪化したため、山上さんは退職し山上商店に入社します。山上さんにとって不運なことに、この頃から山上商店の売り上げは減少に転じていきました。
「少しずつ売り上げが下がりはじめたんですが、それだけでなく、高いものが売れなくなりました。利益率が下がって、経営をじわじわ圧迫し始めたんです」
日常的に着物を着る人が減り、高級な絞りを大切にしてくれた層が高齢となったことが、高価な絞りが売れなくなった原因だと考えられます。
現在の主な購買層は、もう少し日常的に使えるものを好む傾向があり、日傘などの小物が売り上げの中心になりました。
2000年頃までの売り上げは9,000万円台をキープしていましたが、その後徐々に下がり、7,000万円台まで落ち込みました。「このままでは売り上げも利益率もさらに下がって行くに違いない」。これは山上商店だけでなく、有松全体の問題でした。
危機感を持った山上さんは「打開するためには、何か新しいことをはじめなければ」と考えました。山上さんは「生活様式が洋式に変わり、流通や消費者の購買指向が変わっていく市場に対応するには、洋服のオリジナルブランドを立ち上げて、『有松・鳴海絞りの存在感』を示すしかない」と決意します。
括りの「しわ」をデザインに
山上さんは、布に模様をつけるための工程「括り(くくり)」に着目しました。布をくくって、色で染めたあとに糸をほどくと、生地に括ったあとが残ります。山上さんは、色は染めずに、この括りの独特の「立体感やしわの造形的な面白さ」のみを「服のデザインとして生かしたい」と考えたのです。
絞りの世界では、布のしわの形状を記憶する「ヒートセット技法」と呼ばれるものがすでに存在していました。山上さんは、この技法を活かしたデザインのできるデザイナーを探して、2012~2013年頃、ファッションデザイナーやクリエイターとの交流会に通いました。
そこでデザイナーの今井歩(あゆみ)さんと出会ったことで、「cucuri」誕生につながります。当時の今井さんは有松・鳴海絞りについてほとんど知りませんでしたが、それがかえって自由な発想となりました。山上商店の従来のやり方にとらわれずにデザインできたといいます。
ファッションブランド「cucuri」誕生
2014年、デザイナーズ・ファッションブランドcucuriを立ち上げました。山上商店にとっては、卸中心から小売業に進出する大きな転機でした。
cucuriの大きな特徴は、絞りを括った時にできる凹凸を形状記憶でとどめ、素材に独特の表情を生み出していることです。凹凸を形状記憶することで素材にストレッチ性が生まれ、着心地がよくサイズフリーな製品にもなります。
定番商品として、ロングシャツやTシャツ、ボトムスなどを用意。絞りをライン状にほどこして体のシルエットがきれいに見えるようにしたり、袖の部分にピンポイントで絞りをほどこしたりと、絞りの凹凸を現代のファッションに効果的にとりこんでいます。
伝統技法との融合で生まれた斬新なデザインは、注目を集めました。「最初に出した展示会で、運よく高島屋のバイヤーさんの目に留まり、すぐに出店が決まりました。そこから、ほかのデパートへのポップアップストアの出店が増えていきました」
cucuriファンも販売員に
当初は40代女性をターゲットにしていましたが、若い人からも好評で、20~40代の女性にターゲットを拡大(メインは30~40代)。熱心な「cucuriファン」も現れ、SNSのフォロワーも増えていきました。ポップアップストアの全国展開がはじまると、山上さんが毎回店頭に立つことが難しくなり、現地で販売してくれる人を探すことになります。
「思い立って、『一緒に働きませんか?cucuriファンなら大歓迎です』とインスタグラムで募集をかけたんです。今では東京に3人、大阪に2人、『cucuriファン』の販売員さんがいます」
販売員は、ポップアップストア限定のアルバイト。山上さんが店頭に立たない場合は販売を任せて、売り上げ報告のみ毎日連絡をもらいます。その際の山上さんの主な業務は途中の商品の補充と最後の撤収作業、デパートからの売り上げ明細と毎日の売り上げ報告との照合です。
名古屋市によるクリエイター創業支援スペース「クリエイターズショップ・ループ(Loop)」からも声をかけてもらい、毎年約1カ月の期間出店をおこなっています。
「季節ごとに新商品も発表していますが、やはり年間通して着られる定番商品が安定的に売れています。cucuriのよさは、お客様の手持ちのお洋服とコーディネートしやすいところではないでしょうか。染め物の絞り製品はそれだけで存在感が強いので、さりげなくオシャレに伝統工芸を身に着けることができるところが人気の理由だと認識しています」
ファンの熱で売り上げ拡大
2014年のcucuri立ち上げ後、2019年まで山上商店全体の売り上げは7,000万円台で推移しています。しかし、売り上げに占める比率には変化が見られるそうです。従来の和装アパレルやOEMの比率は下がり、cucuriの比率は伸びています。現在は売上の約半分をcucuriが占めるそうです。「あのまま手をこまねいていたら、大変なことになっていたと思います」と山上さん。
2020年コロナ禍では大打撃を受け、売り上げはそれまでで最低の5,000万円台になりました。最盛期の約半分です。しかし現在はまた徐々に回復してきているとのこと。ポップアップストアなどの対面販売とECサイトの売上の比率は「ポップアップ:EC = 7:3」です。実際に手に取ったほうが良さが伝わって購入に結びつくため、対面販売が増える今後はさらに売り上げアップが見込まれます。
対面販売では、cucuriファンによる販売が「大正解だった」と山上さんは話します。実際にcucuriを好きで着てくれている人が、一番製品の良いところを知っていて、作り手がほめるより「商品が好き」なファンがほめる方が「熱」や「想い」が伝わります。また、コーディネートや洗濯の仕方など扱い方のアドバイスも的確のため、お客さんが安心して購入できる効果もあるとのこと。
「絞りは捨てるところがありません。裁断してアクセサリーもつくれますし、切れ端をデニムなどに縫い付けるだけで、お気に入りの一着になって、長く着ることができるんです。そうした絞りの良さを、『産地』として伝えていきたい」と山上さん。cucuriが伸びていくことで、自社や産地全体の印象が上がる相乗効果をもたらしていると感じるそうです。
事業承継は「いろんな人がいていい」
有松・鳴海絞りのメーカーで、山上さんと同世代で跡を継いだ人はわずか2人。括りや染めなどの職人はさらに高齢化が進んでいます。
特に有松・鳴海の括り職人は一人一技法が基本。職人の数が減れば、継承できる技法の数を減らすか、一人で複数の技法を継承することになります。また、職人が減ってもメーカーが減っても受発注できる仕事量は減るため、職人とメーカー両方の数を維持することが重要です。
山上さんは「僕は若手を受け入れる『器(うつわ)』でありたい」といいます。50代の山上さんは、20代~40代のさらに若手と60代70代の職人との橋渡しをするのが自分の役目だと考えているそうです。
「今まではアトツギといえば『息子さんだらけ』でしたが、これからの事業承継は『いろんな人がいていい』のではないか、と思います」
山上さんは今後、cucuriを海外でも販売したいと考えています。現在海外へは主に服地を納品していますが、海外のお客さんの方が「手仕事」に対して理解があるそうです
「日本の市場では『絞り=和装=昔の文化』といった意識が強いですが、海外では日本の歴史背景や文化、加工工程や生産背景などを新鮮な驚きや感動をもって迎えてくれます。やりがいもありますし市場も大きいので、もっと増やしていきたいですね」
オリジナルブランド「cucuri」をひっさげ「有松絞り」を世界へ。山上さんの挑戦は続きます。