三好漆器は、主に海南市で生産される「紀州漆器」を扱う会社です。2012年に法人化し、従業員数は28人(うち正社員11人)になります。20年に社長となった三好さんは「たぶん5代目」と言います。「父の代で法人化するまで個人経営の製造卸業でした。文献が残っておらず、私が正確に何代目かはわかりません」
「うちはメーカーではなく、自社でレーザー彫刻加工やUV印刷(紫外線を照射すると瞬時に硬化・乾燥するUVインキを使った印刷)をする以外、すべて他社から仕入れたものです。それらを10店舗のショッピングサイトで販売しています」
同社で加工や印刷を加えた漆器は「デザインがおしゃれ」と評判を呼び、出荷件数は年間約20万件(2022年実績)にのぼります。直近の年商は6億7千万円で、先代時代の最高額の3億円から倍増しました。
その理由は、品ぞろえを約80種類の「曲げわっぱ弁当箱」に特化していることです。名匠が曲げた1万円台の高級品から、三好さん自身のデザインも含む3千円台のカラフルな商品まで、ズラリと並ぶ様子は壮観です。店内も曲げわっぱをイメージし、カーブを描いた構造となっています。
「海南市は特別、曲げわっぱの産地ではありません。私が『かわいいな』と、10年ほど前から扱い始めると、意外なほど売れました。特に主婦層の注文が多く、サイズや種類を増やし、ついに主力となりました」
曲げわっぱの原料の杉は香りがいいうえ、調湿作用(水分を吸収し、反対に乾燥すると水分を補う作用)があるため、「ごはんやおかずが冷めてもおいしい」と再評価されているそうです。
底が深くておかずも並べやすく、「映える」弁当を生みだせると、インスタグラムなどへの画像投稿が増え、人気に火をつけたのでは、と三好さんは推測します。
「漆器ガチャ」が子どもに人気
店の前には「漆器ガチャ」もあります。漆塗りの箸置きがカプセルトイとして200円で購入でき、ガチャをイベント会場などに持っていくと、子どもの列ができるそうです。
「店の計画段階からガチャを置こうと決めていました。漆器離れの原因は高級品のイメージが強すぎるから。ガチャで『漆器は普段使いできて、手軽に楽しめるもの』と伝えたかった」
三好さんがそう振り返るように、経営の高い壁としてそびえたのが「漆器離れ」だったのです。
「腰掛け」のつもりで家業に
海南市生まれの三好さんは、成人するまで「漆器には全く関心がなかった」と言います。「工房は自宅から車で30分もかかり、父が塗りをしている姿を見た経験はありません。幼少期は『うちはお盆屋さん』程度の認識しかなかったです」
先代の父・紀行さん(現会長)は家で漆器の話をすることはなく、三好さんに「家業を継げ」とも言いませんでした。
当時はバブル期で漆器業界も好景気に沸き、三好漆器は転換期を迎えます。「あまりに注文が多く、職人だった父は仕上げをする手前までの段階を外注に回さざるを得なくなりました。メインの作業は次第に梱包になったそうです」
素材は外注し、自社で最終加工して完成品に仕立てて地元の問屋へ卸す。現在のスタイルの基礎はこのころ築かれました。
三好さんは高校卒業後、板金加工の製作所の工場で働きます。「鉄を曲げたり、溶接したり、穴をあけたり。ものづくりの技術は工場で学びました。しかし、人間関係でつらい経験があり退職しました」
当時は就職氷河期で再就職先が見つからず、家業に駆け込みました。「従業員は父、母、祖母、叔父の4人。『ちょっといさせて』と加わりました。あくまで腰掛けのつもりで、入社という意識はまだなかったです」
「このままではいけない」とECへ
2003年から家業を手伝い始めた三好さんは、紀州漆器の現実を目の当たりにします。
「とにかく暇で受注がなく、出社しても事務所のソファでうたた寝する日々。代々小売りをしておらず、問屋さんからの注文がないと何もできない。もっとも弱い立場だったのです」
バブル崩壊で、高級感がある漆器を求める旅館や飲食店、一般家庭は減少。小売店や百貨店なども販売スペースを縮小していました。
「このままではいけない」と感じた三好さんは、インターネット販売の道を探り始めます。
「自分を育ててくれた漆器の街が衰退し、伝統が途絶えつつある現実を知り、初めて危機感を覚えました。うちがECを通じて、地元メーカーの商品を一般ユーザーに販売することで、紀州漆器に貢献できるのではと考えました」
三好さんはネットオークションでの売買経験がありました。まずは2006年、楽天市場への出店に挑戦します。
「教えを請い、支給されたマニュアルを片手に試行錯誤でネット店舗を開きました。漆器メーカーが販売店の小さな棚を奪い合うのと違い、ネットだと無限に商品を並べられるのが魅力でした」
最初のころは通常販売に加えて楽天市場内の「オークション」や「共同購入」への出品もしました。あとは自社で売れ残っていた在庫商品を撮影、商品ページ制作を行い、出品数を増やしました。
楽天市場に開店した「みよし屋@」(現:みよし漆器本舗)に注文が入りはじめると、他の大手ECモールにも販路を広げます。
「『HTMLタグって何? フォトショップってどんなん?』という状態から独学でECサイトを立ち上げました。ネットと真剣に向き合っていなかったら、今の三好漆器はなかったかもしれません」
漆器業界ではかなり早いIT化が奏功。注文が日に日に増えるのに伴い、長く親族経営だった三好漆器は、EC経験者など新たな従業員も雇い始めたのです。
父も息子の姿勢に賛同し、「お金のこと以外、口をはさまなかった」といいます。
EC店向けサービスで経営を学ぶ
身内以外の社員も加わり、販売の組織づくりも迫られました。経験がなかった三好さんは、楽天市場の店舗向けに組織づくりや経営などをレクチャーするサービス「楽天NATIONS ADVANCE」で勉強します。
「オンライン講習だけでなく、実際にリーダー店舗を訪問してアドバイスもいただきました。リーダーや他の店舗との交流は今も続いています」
例えば、リーダーから「カスタマー担当者を採用すべし」とアドバイスをもらい、実行しました。それまでは三好さん1人で問い合わせ対応をしていましたが、企画や経営に費やす時間を増やすことができたそうです。
積極的に学ぶ姿勢で、サービス受講前の19年の楽天市場の売り上げは約1億5千万円でしたが、受講翌年は約2億3千万円に伸ばすなど、成果を上げ始めました。
そして、三好さんは20年に社長となります。「父の高齢化もあり、自然と会社を継ぐ運びとなりました。ただ、事業承継が決まった後、コロナ禍に見舞われ、社長になるのは怖かったです。新たに人を雇っていたのに、先が見えませんでしたから」
コロナ禍で進めたEC制作の内製化
三好さんは巣ごもり需要による食器の買い替えや、外食から手作り弁当に切り替える家庭の需要に応えるべく、ECサイト更新やSEO対策にさらに注力します。
「商品数を日々増やし、倉庫の状況を従業員全員が共有し、スピーディーな出荷を徹底しました。検索流入の状況を頻繁に調べてキーワードを入れ替えたり、掲載する画像の位置を替えたり。メールマガジンやLINE配信などもおろそかにせず発信しました」
受注や発注、伝票出力、顧客対応を担う「カスタマー課」も新たに設置。メールの文面や電話対応も「『迅速、丁寧に』を心がけました」。
社内に商品の撮影スペースを設け、「WEB制作課」を作ってページ制作の内製化を進めたのもこの時期です。「サイト構築、画像撮影、テキストのライティングなどを外注すると、予算がかかるうえに素早い対応ができなくなります。販売機会を失うことがECの最大の命取りなので」
画面上ではサイズ感や質感がわかりにくいことが、EC販売のデメリットといいます。「だからこそ情報量は多い方がいい。使用イメージがわく画像、サイズ感がわかりやすい手で持った写真などを多く掲載し説明文は商品の特徴やコメントを、定型文ではなく具体的に書くようにしています」
商品の入荷、出荷、品質の管理を担う「ロジスティクス課」も作りました。
地道な気遣いの積み重ねで、コロナ禍にもかかわらず売り上げは堅調。21年以降、楽天市場やYahoo!ショッピング、メルカリなどで評価の高い店に贈られる賞を続々と獲得しました。
「こうすれば売り上げが必ず上がる、という秘訣はありません。小さな作業も手を抜かずにやる。その気持ちが集積して売り上げにつながると感じます」
紀州漆器の底上げも見据えて
ECに注力する中でも、三好さんは実店舗の構想を温めていました。ネットユーザーから「お店はないんですか?」、「漆器を触って選びたい」という声が届いていたからです。「しかし、当時は倉庫しかなく、お客様を招いて販売できる状態じゃなかった。いつか実店舗をやりたいとモヤモヤしていました」
そして、22年に念願の実店舗「漆器のある暮らし」をオープン。売り上げはECにはまだ遠く及びませんが、将来性は感じています。
「いい意味で放任だった父ですら『もっとコロナがおさまってから開店したほうがいいんじゃないか』と言っていましたが、自分にとっては満を持しての開店でした。漆器は実際に手に取ると質感の良さにジーンときます。そんな感動を届けたいです」
三好さんは実店舗の次の展開も見据えています。
「紀州漆器の伝統を絶やしたくない。後継者不足に悩むメーカーさんと手を組み、漆器の塗り加工の内製化にもチャレンジしたいです」
明治時代、小さな漆塗り工房から始まった三好漆器が、令和に原点の漆塗りに回帰しようとする。三好さんは温故知新の発想で紀州漆器の底上げを目指しています。