目次

  1. 創業200年以上 でも市場は縮小していた
  2. 来待瓦の誇り生かした“屋根の下のプロダクト”
  3. 営業先はオーナーこだわりの店舗 価格抑える工夫も
  4. 大手ホテルで次々採用 時代の風を読む工夫
  5. 「小さな失敗を重ねていくことが成功に」

 「今までよく経営を存続できたものだと、愕然としました」と語るのは、亀谷窯業の社長を継いだばかりのころを振り返る、亀谷典生さん。

 創業から200年以上経つ老舗瓦会社の9代目として、2006年に先代から事業承継。その際、財務諸表を見ながら思わずそうつぶやいたそうです。

亀谷窯業の公式サイトから

 高度成長期時代からバブル期にかけては新規住宅着工の軒数が多く、立派な瓦の家が多かったのです。それゆえ、瓦を大量生産して販売していれば、経営は順調でした。

 しかし、長引く不況で新しい家の建築件数は減り、瓦を使う家の建築件数も減少。さらに、瓦は生産効率が悪いという事情が追い打ちをかけました。

 一口に屋根瓦といっても、一軒の家にのし瓦、丸瓦、鬼瓦など13〜14種類もの瓦がのっています。でも瓦の種類によって使う枚数も違えば、色も違うのです。

 「それぞれ生産調整をしながら作っていきますが、在庫を抱えることが多いので効率が悪くなってしまうのです。しかも、陶器の瓦よりも安くて軽量の金属瓦にどんどん押されているので、価格を下げざるをえません。一回価格を下げると、値段を上げるのは難しい。しかもうちの瓦は丈夫で100年もつから、サイクルコストが安いのです。どんどん負のスパイラルに陥っていきました」

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