目次

  1. 政宗公に認められた初代
  2. 調理器具やボイラー作りを経て住宅事業に
  3. 15歳で職人に弟子入り
  4. 子育てして気づいた住宅設備事業のすばらしさ
  5. 会社をさらに良くするため「あかがね」プロジェクトを始動
  6. 銅事業の売り上げが10倍に
  7. 手書き伝票を廃止
  8. 小学生の自分からのメッセージを今後の指針に

 従業員数約50人のタゼンは、給湯器やガス器具、水回りのリフォーム企業として、仙台市民にはお馴染みの存在です。しかし近年、これまでとは違った事業が脚光を浴びています。それが、祖業である銅細工。銅は「あかがね」とも呼ばれ、熱した銅を木槌や金槌でたたいて加工するタゼンの銅職人は、「御銅師(おんあかがねし)」として400年以上にわたり技術を守り続けてきました。19代目で副社長の田中さんも御銅師を名乗り、銅にまつわるさまざまな事業を展開しています。

伊達政宗に与えられた土地にあるタゼンの本社

 タゼンの始祖である善蔵は、安土桃山時代の大阪で、御銅師として腕をふるっていました。1596年、伊達政宗にその腕を見いだされ、仙台へと招かれることに。仙台城の築城で、本丸の飾り付けなどを手掛けた功労が認められ、仙台城のほど近く(現在の本社所在地)に土地を与えられました。名字を名乗ることを許され、「田中」を姓として与えられた善蔵は、「田善(タゼン)」と通称されるように。以後、江戸時代までは田中善蔵を襲名し、明治以降は代々「善」の字を引き継いでいます。

 城や神社仏閣の飾りから始まったタゼンのものづくりは、街の発展に寄り添いながら、時代に柔軟に対応していきました。江戸中期になると、銅製のやかん、鍋、お燗をつける壺、火鉢など、庶民の生活用品を手掛けるように。明治に入ってからは銭湯用のボイラーを製造し、戦後は風呂釜の開発と普及に努めました。1960年に株式会社化。銅製品の需要が減る中で、住宅のリフォーム・メンテナンス事業に注力していきます。

現在のタゼンが手がける、鍋やフライパンなどの調理器具(同社提供)

 「現在の当社の主たる事業は、住宅設備でお客さまに安心安全を届けることです。水やお湯が出なくなったら、困りますよね。そういった生活の基盤を守るサービス。400年以上の歴史の中で、そういったサービスの部分が残りました」と田中さんは話します。

 子どもの頃は、祖業について特別深く考えたことはなかったという田中さん。祖父の善次郎さんからは跡取りとして期待を受けていましたが、現社長で父の善一さんからそうしたプレッシャーを感じたことはないそうです。「父は、生まれた時から将来を決められている苦労や息苦しさを私に押し付けたくなかったのでは」と振り返ります。

本社に併設されている銅工房にて取材を受ける田中善さん

 高校入学したての春、田中さんは「自分は何者なのか、なぜ生きているのか」そんな疑問の答えを探すため、学校をやめて旅に出ます。日本全国いろいろな場所へ足を運び、いろいろな人から話を聞いているなかで、「自分の家が400年もの長い歴史を持つこと」「事業の根底に銅があること」に思い至ります。脈々と引き継がれてきた祖業に対して猛烈に惹きつけられた田中さんは家に戻り、そのままタゼンに入社することに。15歳の夏でした。

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