目次

  1. 「パン屋のような」店を目指して
  2. 英国で見つめ直した日本文化
  3. メルマガで高めた発信力
  4. 初心者も職人志望も学ぶスクール
  5. スクールがもたらした効果
  6. 日本橋店を開いて老舗とコラボ
  7. 発祥の地の魅力を生かして

 華硝は、熊倉さんの祖父が1946年に東京都江東区亀戸で工房として創業。当時は大手ガラスメーカーの下請けとして商品を納めていました。

 しかし、父の隆一さんが2代目職人になると、大手ガラスメーカーからの依頼が減少。隆一さんは「下請けだと職人の技術に差があっても、(職人間で)同一賃金になってしまう」ことを疑問に思っていました。

華硝2代目の熊倉隆一さん(華硝提供)

 94年10月、華硝は独立して株式会社化し、工房の直営店を亀戸にオープンします。当時全盛だった百貨店では、どの工房の江戸切子も一くくりで売られ、どこの工房で作られたのかは消費者に伝わらなかったといいます。そのため、両親は自社の強みを直接伝えようと、直営店にかじを切ります。

 両親は「パン屋さんのようにお客さんの顔が見える会社にしたい」と夢を語ったといいます。工房は隆一さんが、店舗は母節子さんが代表を務め、役割分担しました。

「米つなぎ」紋様のワイングラス(同社提供)

 華硝の江戸切子は全ての製造工程が手作業で、特徴は繊細さにあります。大量生産の場合、仕上げの段階で商品を化学薬品に入れて磨きますが、華硝では一つずつ手で磨くことで、より透明度の高い輝きになるといいます。

 江戸時代に生み出された「魚子」(うろこの紋様)や「麻の葉」だけでなく、華硝オリジナルの紋様も大事にしています。中でも北海道洞爺湖サミットで採用された「米つなぎ」は、五穀豊穣への祈りを表した米粒のデザインで、華硝でも隆一さんと隆行さんだけが生み出せるものです。

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