「かつては週1回のペースで上京していましたが、苦労してアポイントをとってもその先に進みません。『環境で飯は食えん』といわれたこともありました。それが先方から『会いたい』と連絡が入るようになったのです。感無量ですね」
LWG取得を決意した16年の年商は、おりからの不況により中嶋さんが入社した11年の7ガケに落ち込んでいました。しかし、地道な活動が実を結び、現在の年商は入社時のそれに追いつく勢いです。
16年、イタリアで年に2回開催される世界最大の皮革製品見本市「リネアペッレ」を訪れた中嶋さんは、いつもと様子が違うことに気づきました。どのブースもことごとく見慣れぬマークを掲げていたのです。LWGの認証マークでした。
LWGとは、05年にナイキが音頭をとって発足した、ファッションブランド、タンナー(製革業者)、薬剤メーカーからなる国際環境基準監査団体のこと。正式名称をレザー・ワーキング・グループといいます。
時あたかも有害物質の取り扱いや発展途上国での未成年者の就業が問題になり始めたころ。アディダス、クラークス、ティンバーランドも創設メンバーに名を連ねたLWGは破竹の勢いで会員数を増やします。参加企業は2千社を超え、全世界の皮革生産におけるLWGのシェアは40%を突破しました。
「この流れに乗り遅れたら未来はない。わたしはそう確信しました」
中嶋さんは帰国するなり、先代の裕文さんにヨーロッパの状況を報告し、取得に向けて動き出すべきであると進言します。裕文さんは二つ返事でこれを認めてくれました。
繁栄皮革工業所は18年に標準合格、21年にシルバー、そして23年に最高ランクのゴールドを獲得しました。
ゴールドランクを保有するタンナーのリストにはフランスのデュプイやアノネイ、イタリアのマストロット、タイのインターハイドといった業界人なら誰もが知る名門がずらりと並びます。
タンナー最高峰の称号を手にした繁栄皮革工業所ですが、中嶋さんに慢心の気配はみられません。
「成分検査の結果は毎月報告しなければなりませんし、2年に一度は工場内検査が入ります。当事者にしてみれば気の抜けない制度ですが、逆の見方をすれば、LWGほど信頼に足る制度はない、ということです」
その舞台裏は、社員一丸となって目標に向かって突き進む情熱にあふれていました。
手探りで見直した生産体制
LWGに合格するにはじつに250にのぼる検査項目をクリアしなければなりません。
おもなところをあげれば、サプライチェーンのトレーサビリティー(追跡可能性)と透明性の向上、知識およびデータへのアクセスの向上、皮革生産における資源効率の改善、廃棄物の発生と環境への排出の削減、化学物質管理の改善と有害でない化学物質の使用の増加、森林破壊と動物福祉の適正評価の向上、労働条件の改善と労働者の公正な扱い、となります。
読み飛ばしたくなりそうな文言が並びますが、要は正規の手続きを踏んだ原材料を調達し、製造にあたっては環境に配慮し、限られた資源を大切にしましょうといっているにすぎません。
とはいえ、250の項目。それらをすべてクリアしようと思えばやはり並大抵のことではありません。
中嶋さんは手探りであらゆるもの、ことを見直していきました。
原皮はデイリーステア。2歳以上の乳牛の牡のことで、安定して供給されるレザーのなかではもっとも上質です。
繁栄皮革工業所では数あるデイリーステアのなかからロス物といわれる米・カリフォルニア産に絞って仕入れています。年間通して穏やかな気候で知られる地域であり、ストレスフリーで育った牛は皮もすこぶる良好です。
そしてここが肝心なところですが、そのデイリーステアはどこの牧場からいつ出荷されたかまでを追跡することのできるトレーサビリティーを実現しています。
仕入れた原皮は厳格な保存管理が求められます。中嶋さんは原皮用冷蔵庫を水冷式から空冷式に切り替えて省エネを促進します。その冷蔵庫は年間通して庫内を12度に保ちます。
鞣製には豊富な水が欠かせません。一帯にはクロム鞣(なめ)し(塩基性硫酸クロム塩を用いたもっともポピュラーな鞣製法)に適した軟水の地下水脈が広がっており、繁栄皮革工業所は深さ115メートルの深井戸からくみ上げています。深井戸とは30メートル以上の深さのある井戸のことをいい、年間通じて水温が安定しています。中嶋さんは2千万円かけて井戸の補修を行いました。
検査体制を整えて規制に対応
薬剤についてはその一つひとつを検査するラボラトリーを設け、ドラムには有害物質検知器をとりつけました。ドラムとは原皮の鞣し、染色、加脂に用いる回転式の太鼓型機械のこと。念には念を入れて海外の大手薬品メーカーで活躍した技術者も顧問として招聘します。
リーチ規則(欧州の化学品規制)では毎年のように薬剤の使用禁止リストを更新します。繁栄皮革工業所はすみやかに対応することが可能になりました。
この点で繁栄皮革工業所には大きなアドバンテージがありました。おそらく世界を見渡してもまれな薬剤の直輸入体制を整えていたのです。成し遂げたのは4代目のあすかさんです。
「家業入りしたあすかさんが目をつけたのが薬剤でした。彼女は革で商売しようと思えば先進国のイタリアに学ぶ必要があると考え、まずはイタリア語の習得に乗り出します。そうしていまから20年ほど前に薬剤の直輸入に踏み切りました。薬剤はほんらい商社から仕入れるものですが、残念ながらそのラインアップは十年一日でした。EU圏では次々と新薬が開発されているにもかかわらず、です」
中嶋さんは文字どおり、全方位的に工場のありようを見つめ直しました。作業時に発生する革クズは観葉植物の肥料などに利活用する仕組みをつくり、場内にはラインを引きました。そのラインは歩道とリフト(起重機)の通路を区別するためのものです。
ゴールド取得にあたってさらに大きな投資も行います。最新鋭のドラムがそれ。これを導入することでなおいっそうの省エネを推し進めました。
標準合格は滑り込みでした。「このままではランクアップは望めない」と考えた中嶋さんは世界各国のタンナーを訪れます。あらたに設置したドラムは視察先で採用されていたものでした。
一つひとつ取り組んでいった結果、排水量は取り組み前の半分に、電力使用量も有害物質の排出量も極限まで減らすことに成功しました。
進取の気性でゴールドを取得
以上のことからわかるのは、これからのタンナーに求められる下地があらかたできあがっていたという事実です。
すでに触れたとおり、薬剤の仕入れを直輸入に切り替えたのはあすかさんですし、原皮の仕入れルートを整理し、日本では数えるほどしかなかった原皮用冷蔵庫を導入したのは先代の裕文さんでした。
繁栄皮革工業所には進取の気性があったのです。それは史実からも明らかです。
兵庫県南西部は日本を代表する皮革産地ですが、クロム鞣しをその地に広めたのは創業者の治一さんでした。昭和初頭に日本に入ってきたその技術を学ぶべく、治一さんは大阪で研鑽を積みました。
裕文さんが二つ返事で婿養子の試みを応援してくれたのは、その血が色濃く流れていたからにほかなりません。投資額は1億円にのぼりましたが、これを用立ててくれたのも裕文さんでした。
7年の歳月をかけて、家業を国際舞台で戦えるように鍛え上げた婿養子に、中嶋家の人々は賛辞を惜しみませんでした。
「ゴールドの取得を伝えると、お父さんはようやった、と労ってくれました。あすかさんはその日所用で出かけておりまして、ラインを送りました。『涙あふれそうや』と返信がありました」
有名ブランドの工場視察が相次ぐ
繁栄皮革工業所では工程の手順書を作成しています。「これまでの経験をもとに効率や安全性を追求した」手順書はきわめて合理的な内容であり、作業は労せずして指示どおりに進むといいます。
水やエネルギーの使用量は従前値、目標値、実績値を棒グラフにして社内に掲示することで意識の向上を図っています。
「LWGを取得して以来、有力ブランドの工場視察が相次いでいます。これもまた、社員のモチベーションをあげるのに役立っています」
同業他社に比べ、はるかに「見える化」と「データ化」を進めているそうですが、つまるところ、現場の献身的なスタンスがあってこそと中嶋さんはうなずきます。
「わたしはお膳立てをしただけで、どのように箸をつけるかは現場の意思に委ねられます。都度電源を落とすといったこまめな対応は、かれらのさじ加減にかかっており、そしてその対応により業務の中身は劇的に改善されるのです」
金融マンから転身して職人に
中嶋さんは大学卒業後、金融機関に職を得ます。最年少役職就任の記録を打ち立てるなど、自他ともに認めるやり手の金融マンでした。
あすかさんとの結婚を機に、裕文さんに請われて繁栄皮革工業所への入社を決めました。中嶋さんは当時を振り返って「ほんとうに辛い日々でした」と笑います。
ものづくりの会社である以上、現場を知らずして経営はできないと考え、中嶋さんはみずからの意思で2年、職人のひとりとして汗を流しました。
「先日、35年ローンで新築を買った社員がうれしそうにその写真をみせてくれました。現在、20人の社員がいますが、かれらには家族もありますから、じつに多くの人々が繁栄皮革工業所という船に乗っている。なにより凍てつくような冬も、うだるような夏も黙々と励んでくれます。わたしについてきてくれたかれらに少しでも報いたい。現場を経験したことで、その思いはいっそう強くなりました」
顔が出るのは恥ずかしいという理由で泣く泣く掲載をあきらめたのは社員の集合写真でした。みな、一様に良い笑顔を浮かべていました。
サステイナブルなビジネスを求めて
LWGは避けられない世界の潮流となったいまなお、日本のタンナー業界の動きは鈍い。日本には300社のタンナーがあるといわれていますが、取得に向けて動き出した企業は数えるほどしかありません。
「国際基準に追いつこうと思えばまずは設備に投資しなければなりません。それこそ次の時代があるならばそのハードルも越えられるでしょうが、(業界における)承継の機運はしぼんだままです」
しかし中嶋さんはへこたれません。現在は大学や団体の講師に招かれることも増えましたが、中嶋さんは二つ返事で全国を飛び回っています。草の根の活動を通して、ひとりでも多くの意識を変えていくことに努めています。
孤軍奮闘してきた中嶋さんのもとに23年5月、吉報が届きました。業界最大手の山陽(兵庫県姫路市)が標準合格を果たしたのです。日本では繁栄皮革工業所に続く2例目の取得企業ということになります。
「山陽さんはわたしが業界入りするにあたり、工場見学をさせてくれた会社です。これほど心強いことはありません」
食肉文化の副産物である皮革製品は元来、サステイナブルなプロダクトです。これからも持続可能な業界を目指し、中嶋さんの歩みがとまることはありません。