2001年、2代目の父にがんが見つかります。山添さんは大学卒業後に取引先に就職して3年でしたが、「自分や先代が生きてきた証を残してほしい」という父の言葉に押され、24歳で継ごうと決めました。
「子どものころから、祖父と父が懸命に働く姿を見てきました。取引先から言われれば、どんなことでも応えなければいけない。継いでからはしばらく、ひたすら注文をこなすことに専念しました」
その不安は08年、リーマン・ショックという形で的中します。当時は注文をこなすのに精いっぱいで取引先は1社だけ。しかも、先方の求めで2億円もの設備投資をしたところでした。
祖父や父は下請けの立場で、発注先の内製化で仕事が無くなったり、無理なコストダウンで苦労したりする姿を、山添さんは何度も見てきました。
「トカゲの尻尾切りみたいな仕事を続けていいのか。『待ち』ではなく『攻め』の町工場になる」と固く誓いました。
「なんでも削る」に込めた決意
山添さんが真っ先に社是を改めました。「ものづくりに強い想いがあっても、営業(攻め)が下手。待ちのマインドをリセットする必要がありました」
目を付けたのが、父親がよくつぶやいていた「空気以外はなんでも削ります」という言葉です。「無理とあきらめず、できる方法を考える」という精神を社是に込めました。
「名前が知られなければ、お客様と巡り合うのは難しい」と、次の3本柱も打ち立てました。
- 自社ブランドをつくる
- メディアを活用する
- 積極的な展示会出展
失敗に終わったワイングラス
ただ、BtoC向け製品は初体験で、手伝ってくれる社員も1人だけ。12年、初めて参加した展示会で出したのは、金属を丸く削る技術を生かして作ったノベルティー用のアルミ製ワイングラスでした。
しかし、ワイングラスには致命的な欠点がありました。それは、ワインの色が見えず、製造コストもかかりすぎてしまうことでした。
それでも、失敗からは次へのヒントも得ました。「消費者にも社会にも喜んでもらえるコンセプトが欠けていました。ワイングラスの失敗は、強みを生かすだけではだめということを教えてくれたのです」
アンケートから着想した印鑑
山添さんはそのころに頼ったのが、プロダクトデザイナーで大同大学(名古屋市)教授の岡田心さんでした。
岡田さんは、デザインの力で伝統技術に新たな生命を吹き込む仕事で知られ、岐阜県の企業とコラボした三角の木枡「すいちょこ」は、11年のグッドデザイン賞に選ばれています。
「普通は1個千円もしない枡が、8千円で売れるのを見て驚きました。僕らが捨てていたものも、デザイナーは『美しい』と感じる部分がある。着眼点が全く違うと思いました」
岡田教授との面識はなく、いきなりメールで相談。「5年、10年たっても芽が出ないかもしれない」という返事が返ってきます。それでも山添さんの決意は揺らぎませんでした。
ヒットの種になったのは、ワイングラスを出した展示会の来場者へのアンケートで得た「印鑑を作ってみては」という声でした。
「岡田さんにそのことを伝え、私が父から最初に受け継いだ仕事が印鑑を押す作業だったことを思い出しました。印鑑は人生の節目に使われるもの。岡田さんからは、押す人の心に寄り添った印鑑を提案されました」
そうして出来上がったのが「SAMURA-IN」という印鑑です。
人生の大切な場面で自然に力がこもるようにと、手になじみやすい凸タイプと凹タイプを作りました。素材は防さび・防摩耗に優れ、金属アレルギーになりにくいとされるチタンを採用しました。
「私が当時使っていた象牙製の印鑑は傷んで欠けてしまいました。しかし、金属ならその心配はいりません」
SAMURA-INは、子どもが書いた文字を彫るといた印面のオリジナルデザインにも対応。思い通りの印面を彫る技術は、中村製作所の切削技術が生かされています。
岡田さんのアドバイスで、印鑑ケースは刀の鞘(さや)の形をイメージし、岐阜県関市の伝統工芸技術を用いました。ケースを包むカバーは、侍が着ていた伝統の有松絞りを用いるなど、地域色も出しています。
SAMURA-INは15年のグッドデザイン賞を受賞。百貨店など東京から出張販売の声もかかりました。現在は個人向けが5万2800円、法人向けが7万7千円(いずれも税込み)で販売しています。
自社ブランドが部品発注にも
中村製作所は15年に、SAMURA-INも含む自社ブランド「MOLATURA(モラトゥーラ)」をローンチしました。名前はイタリア語の「削る」から取りました。
すると、toBの顧客から部品の製造依頼が来るようになりました。例えば、ワイングラスに使ったアルミは、鉄などに比べて加工が難しい素材です。それを見た顧客が声をかけてくれたのです。
潜水艦向けの部品も委託され、その受注金額は3千万円でした。ワイングラスがなければ、中村製作所の技術力が知られることはなかったでしょう。
取引先は今や工作機械業界だけでなく、ロボット、半導体製造装置、建設機械のメーカーなど20社にまで膨らみました。中村製作所の強みのアルミ加工技術は、軽量さが求められる宇宙業界にも及び、商社を通じてJAXAからH3ロケット部品の製造も受託しました。
伝統工芸と削りの技を無水鍋に
MOLATURAの看板商品が、18年から発売した「ベストポット」という無水鍋です。
「SAMURA-INは成功体験だった一方、発想がプロダクトアウトに偏り過ぎていたため、たくさん売れるほどマーケットを獲得できませんでした。そこで、岡田さんと社員の3人で夜、鍋をつつきながら相談し、ひらめいたのが無水鍋でした。当時、無水鍋は家庭に広がりつつあり、多くの需要を獲得できるチャンスと思いました」
土鍋は四日市市の伝統工芸「萬古焼」を採用。千分の1ミリの精度まで削る中村製作所の技術を生かし、隙間のないふたを作って蓄熱効果を高め、調理時間を短縮しました。例えば、豚の角煮を作るとき、普通の鍋はガスを1時間半使いますが、ベストポットは40分に短縮できるそうです。
製造用の焼き窯、土の混練機なども補助金を使い、なるべくコストをかけないようにしました。
食材のうまみや栄養を逃さない調理を売りに、東京の有名和食店の料理長からも支持されています。価格は2万円〜4万円台で、これまで2万個弱を販売。今も月産200個を送り出しています。
社員のストライキで高めた透明性
こうした急激な変化についていけない従業員もいました。17年、「メイン(BtoB)の利益が、自社ブランド(BtoC)に使い込まれているのでは」と疑った社員が、ストライキを起こしたこともあったといいます。
山添さんは財務の透明性を高めるため、新規事業は補助金を活用すると社員を説得。また、クラウドファンディングサイト「マクアケ」でテスト販売し、事業性の有無を社員と検証できるようにしました。
社員のモチベーションは高まりました。ベストポットの開発も、最初のきっかけは「SAMURA-INよりも売れるものを」という社員からの要望でした。
自律的に経営に関わってほしいという願いから、最近は経営計画も役員に立案させています。
「開かれた町工場」を目指して
中村製作所はこまめにプレスリリースを出すなど、メディアへの露出機会も増えています。
元々情報発信は苦手だった山添さん。しかし、中学校で打ち込んだサッカーの恩師を通じて、Jリーグ入りを目指す地元クラブ「ヴィアティン三重」の社長と知り合い、「どんなに優れたものを持っていても、発信しなければ伝わらない」と教わったそうです。
「僕も必ず自分でプレスリリースを書き、新商品リリースの2週間前に新聞社やテレビ局に持ち込むようにしています」
積極的な発信が精密加工品の発注につながり、山添さんは「BtoCtoB効果」と呼びます。売り上げの多くはtoB製品が占めています。
「BtoCだけで生計を立てようとは思っていません。自社ブランドの目的は、売り上げそのものより自分たちをよく知ってもらうことです」
社名が知られてから、新卒学生が口コミだけで年30人も応募するようになり、毎年5人ずつ採用しています。
仕事を手伝う外部人材も増えました。ホームページ制作は学生時代の後輩に任せ、苦手だった営業も懇意の保険営業マンに声をかけ、週2〜3日のコンサルを依頼。営業体制を整え、今は社員が自力で営業できるようになりました。
23年には工場近くに、ベストポットの製造工程を見学できるオープンファクトリーも開き、鍋の蓄熱効果で調理したメニューを提供しています。
「昔からモノづくりの現場を見てもらう、ガラス張りのような工場が理想でした。お客様との守秘義務を考えるとなかなか実現できませんでしたが、自社ブランドならクリアできます」
米映画グッズも製作、続く挑戦
「攻め」の工場に変わり、ゴルフや飲み会などの接待は不要になりました。一方、攻め続けるのは「常に探し続けるということ」と気を引き締めます。
23年には、米国映画「MARVEL」のヒーロー「キャプテン・アメリカ」からインスピレーションを受けた、コインケースとライフサイズシールド(等身大盾)を作りました。SKD11という高硬度材を使い、映画に登場する架空の希少金属「ヴィブラニウム」を表現。「最強の削り屋」がつくる「最強の盾」となりました。
このプロジェクトは、マクアケユーザーの投票結果から生まれました。マクアケで先行販売し、終了後は自社サイトで販売する計画といいます。
攻め続ける同社の売り上げ規模は、リーマン・ショック前の7倍となる14億円に、従業員数は社長就任時の3倍の90人(パート従業員を含む)に増えました。
「町工場は内向きになりやすいですが、取引先に無理に頭を下げて仕事をいただくのは、社長本来の仕事ではないはずです。町工場もアピールできることはどんどん発信すればいいのではないでしょうか」