目次

  1. 「はやぶさ」のねじも製造
  2. 大学時代に職人の高齢化を痛感
  3. 計算式で暗黙知を形式知に
  4. 再雇用のマイスターが若手育成
  5. 無駄な工具を通路に並べた理由
  6. 納期管理や生産計画を若手に任せる
  7. 働き方改革で労働局から表彰
  8. 不良品を見つけた従業員を表彰
  9. 「お互い様」で働きやすさを追求

 キットセイコーは1940年、田邉さんの祖父・弘さんが田辺製作所として創業。東武螺子製作所という社名を経て、89年に現社名になりました。

 弘さんは中島飛行機(現SUBARU)出身で、当初は無線や航空機、精密工具、軍事用の部品やねじを製造していました。戦後は家電用ねじの大量生産から転じて、特殊用途のねじの生産に特化するようになりました。

 ねじ1本から対応できるのが強みで、真鍮やステンレス、アルミ合金のほか、チタン、タングステン、インコネル、ハステロイ、ニッケルといった市販のねじには使われない特殊金属の加工も可能です。100種類近くの金属の加工実績があり、試行錯誤を重ねながら加工のノウハウを蓄積してきました。これまで宇宙関連、鉄道信号、エネルギープラント、半導体関連、F1マシンなどに使われるねじを作っています。

 特に日本の宇宙開発を50年以上支え続け、小惑星探査機「はやぶさ」にも同社製のねじが使われています。現在の従業員数は約20人、年商は約2億円です。

小惑星探査機「はやぶさ」に使われたねじの一部

 父で2代目の勲さんからは何も言われませんでしたが、子どものころの田邉さんは小学生まで後を継ぐ意識が強かったといいます。「近所では東武螺子の子や孫と呼ばれていました。卒業文集に将来の夢は『ねじ屋の社長』と書いていたほどです」

 それでも中学生以降は家業のことを自然と意識しなくなり、大学では化学を専攻。大学卒業後2年ぐらいは海外で働き、それから日本の家電メーカーで製品開発に携わりたいと思っていました。

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