目次

  1. 「合わない靴は売らない」
  2. 社員を守りたすきを受け継ぐ
  3. コロナ禍で開発したカジュアル靴
  4. 有名店への卸販売もスタート
  5. 若い世代に向けた「お品書き」
  6. オンライン販売もスタート
  7. 歴史や技術を掘り起こす商品開発
  8. さびれることのないポテンシャル

 ロイドフットウエアが15年12月、事業譲渡しました。ロイドフットウエアは豊田茂雄さんが1980年に立ち上げたシューブランドであり、店の屋号です。

 1951年に浅草で生まれた豊田さんは、大学在学中の70年に渡英します。愛情をもって身の回りの道具に接する人々に感銘を受けた豊田さんは帰国後、その文化を伝える骨董のジャンクシティー、服のロイドクロージング、そして靴のロイドフットウエアという三つの店を構えます。ロイドフットウエアは83年に開店した青山店を皮切りに、代官山、銀座、福岡へと店舗網を拡大しました。

直営店は現在、銀座と大阪にあります。写真は銀座店(GMT提供)

 「英国靴の伝道師」といって過言ではないロイドフットウエアが慧眼だったのは、日本人の足を研究、反映させた英国製の靴を世に送り出したことにあります。欧米人とアジア人では、体格も異なれば足のかたちも異なります。当時欧米から入ってくる靴は、残念ながら日本人の足の特徴を踏まえていませんでした。

 豊田さんは足しげく英国に渡り、交渉を重ね、日本人のための木型をつくりあげます。そうして靴好きなら誰もが知る何軒ものシューファクトリーにその木型を持ち込み、靴をつくらせることに成功したのです。木型とは靴の元となる型のことで、はき心地を決める大切なファクターです。

古き良き英国靴をいまに伝えるオックスフォードシューズ。9万9000円(同社提供)

 足入れ(フィッティングを指す業界用語)にこだわるスタンスは、売り場においても徹底されました。「私たちは合わない靴は売りません」と書かれた額縁を飾るロイドフットウエアは背筋の伸びる店でした。フィッティング技術はもちろん、靴のイロハを手取り足取り教えてくれるその店は、エンドユーザーのみならず、ファッション誌のエディターやライターにとっても頼れる存在でした。

 還暦を過ぎ、人生の終いじたくを意識するようになった豊田さんの背中を押したのは、青山の店が入居する建物の取り壊しが決まったことでした。

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