1951年に浅草で生まれた豊田さんは、大学在学中の70年に渡英します。愛情をもって身の回りの道具に接する人々に感銘を受けた豊田さんは帰国後、その文化を伝える骨董のジャンクシティー、服のロイドクロージング、そして靴のロイドフットウエアという三つの店を構えます。ロイドフットウエアは83年に開店した青山店を皮切りに、代官山、銀座、福岡へと店舗網を拡大しました。
「英国靴の伝道師」といって過言ではないロイドフットウエアが慧眼だったのは、日本人の足を研究、反映させた英国製の靴を世に送り出したことにあります。欧米人とアジア人では、体格も異なれば足のかたちも異なります。当時欧米から入ってくる靴は、残念ながら日本人の足の特徴を踏まえていませんでした。
豊田さんは足しげく英国に渡り、交渉を重ね、日本人のための木型をつくりあげます。そうして靴好きなら誰もが知る何軒ものシューファクトリーにその木型を持ち込み、靴をつくらせることに成功したのです。木型とは靴の元となる型のことで、はき心地を決める大切なファクターです。
足入れ(フィッティングを指す業界用語)にこだわるスタンスは、売り場においても徹底されました。「私たちは合わない靴は売りません」と書かれた額縁を飾るロイドフットウエアは背筋の伸びる店でした。フィッティング技術はもちろん、靴のイロハを手取り足取り教えてくれるその店は、エンドユーザーのみならず、ファッション誌のエディターやライターにとっても頼れる存在でした。
豊田さんがロイドフットウエアの名を残すべく、白羽の矢を立てたのがGMTの横瀬秀明さんです。
社員を守りたすきを受け継ぐ
GMTは1994年に創業したシューインポーターです。単に仕入れるのみならず、シューファクトリーとともに商品開発を行う手腕に定評があります。トリッカーズ、G.H.バス、アイランドスリッパ、ジャランスリウァヤ、そして本国との合弁で運営するパラブーツ……。取り扱いブランドは「GMTなしではMD(マーチャンダイジング)が立てられない」といわしめるほどのラインアップを誇ります。
現に取引先にはビームス、ユナイテッドアローズ、三越伊勢丹といった具合に市場を牽引する店がずらりと並んでいます。
意外な感もありますが、横瀬さんと豊田さんには面識がありませんでした。このたびの事業譲渡には橋渡しをする人物がいました。ファッションデザイナーの草分け的存在である斉藤久夫さんです。
斉藤さんと豊田さんは旧知の間柄だそうで、斉藤さんが勧めるならばと、豊田さんは迷うことなく横瀬さんを後継者に指名します。横瀬さんは斉藤さんのコレクションの靴をつくってきました。
豊田さんがそのたすきをつなぐ際、注文らしい注文をつけることはなかったそうです。譲渡金も在庫や店の保証金を賄う程度のものだったと横瀬さんはいいます。「豊田さんからの注文はただひとつ、『いまいる社員は守ってくれ、かれらこそ財産のすべてだから』というものでした」
3人のスタッフはそのまま引き継ぎ、定年を迎えた豊田さんの右腕、松下泰憲さんは顧問として残ってもらいました。
コロナ禍で開発したカジュアル靴
事業譲渡されて5年あまり。横瀬さんが表立った行動をとることはありませんでした。
「ひとえにスタッフのことを考えた結果です。がらりと体制が変わったら居心地が悪くなりますから。待遇面を含めて現状維持に努めました。手をつけたのは不良在庫を減らし、売れ筋に集中し、為替に合わせて値上げをしたことくらいです」
唯一の攻めは大阪店の出店。「顧客情報をみると大阪のお客さんが圧倒的に多かったから」というのがその理由です。
しかし、そうもいっていられない事態に陥ります。コロナ禍が襲いかかったのです。「街から人が消え、ビジネスシーンはテレワークに移行し、ビジネスシューズは売れなくなりました。補助金でしのぎつつ、みなでこれからのことを話し合いました。わたしたちの思いは『変わらなければならない』といった松下のひと言でひとつになりました」
横瀬さんは商品開発に乗り出し、22年11月にお披露目を行います。つくり込んだのは、ハンドソーンモカシン、クレープソール、グルカサンダルでした。
「いずれも英国由来の靴種です。ハンドソーンモカシンは1700年代に英国南西部のサマセットでつくられていたスリッパにルーツをもつ靴ですし、クレープソールは英国のカジュアルシューズを象徴するソールです。グルカサンダルは英国兵士がインドにわたってはきました。英国という枠組みを踏み外すことなく、カジュアルへとその範囲を押し広げたのです」
有名店への卸販売もスタート
新生ロイドフットウエアは卸展開も決まります。オーダーをつけたのはビームスとユナイテッドアローズでした。
ロイドフットウエアは直営店に足を運ばなければならないブランドでした。直営と卸の二本立てで、ブランドイメージとともに、露出度を高めるチャネル戦略はGMTの十八番。そうそうに販路が広がったのはGMTのリソースがあったればこそです。しかし、それはひとつの要因にすぎないと横瀬さんはいいます。
「依然としてマーケットは冷え込んでおり、残念ながら新しいブランドを育てようという機運はしぼんだままです。必然、実績のあるブランドが重宝される。そのような時代に注文が入ったということは、ロイドフットウエアというブランドに価値があると判断していただけたからにほかなりません」
卸先に並んだロイドフットウエアはユーザーからも支持されています。入荷するなり完売し、急きょ在庫をかき集めてポップアップストアを開催した店もあります。
若い世代に向けた「お品書き」
変化は売り場にもあらわれました。
ひとつが、店頭に置かれた「お品書き」です。まさにレストランのお品書きをイメージしたもので、商品の特徴やフィッティング、メンテナンスといったハウツーをフランクに紹介しています。
「敷居が高いと感じていた若い世代に向けてつくったものです。ロイドフットウエアには3万人の顧客がいます。これだけの顧客を抱える店は業界広しといえどもなかなかあるものではありませんが、次の時代を目指すのであれば、あらたな顧客をつくる必要があります。発案者は古株の浦上(和博)です。格調高い店づくりを先頭になって進めてきた人間ですから、この提案には驚きました」
横瀬さんがいうとおり、浦上さんはあたたかくも厳しい接客で知られた名物店長。彼に叱られたユーザーは枚挙にいとまがありません。
もうひとつは顧客に向けたサービス。下取りパスポートがそれです。
「ロイドフットウエアは修理体制も万全です。何十年にわたってはき続けられるのはたしかなものづくりの証しであり、誇るべきことですが、新しいものも買ってもらいたいのが本音です。そこで考えたのがくだんのパスポート。はいた年数をポイント換算して次の靴を買う原資にしてもらう、という寸法です」
オンライン販売もスタート
驚きをもって受けとめられたのがオンラインをスタートさせたことでした。ロイドフットウエアは、はいてみてしっくり来ない場合を想定し、返金保証もうたってきました。それほどフィッティングにこだわる店です。コロナ禍のニーズに応えるためとはいえ、試しばきのできないオンラインは相いれないサービスのはずです。
「看板に泥を塗らないことを肝に銘じました。最たるものが、届いた靴が合わなければ何度でも交換する体制。返品の送料は元払いでお願いしておりますが、再送分は我々が負担します」
とはいえ、フィッティングのほんとうのところはプロがみなければわかりません。「この部分をお客さまにお任せしてしまっている以上、限界はある。ゆえにあくまで来店促進の手段ととらえています」
新生ロイドフットウエアがお目見えして1年。コロナ前の19年と比べて店単体で110%、卸とオンラインを含めれば倍近い売り上げを達成しました。
事業譲渡金は日本政策金融公庫の融資制度を利用しました。10年のタームで倍にする事業計画を掲げましたが、すでに達成する勢いです。
ロイドフットウエアの譲渡は思わぬ波及効果もありました。英国大使館商務部から頻繁に声がかかるようになったのです。GMTは英国由来のブランドを多数取りそろえており、それらブランドも大使館のPRやフェアの目玉になっています。
歴史や技術を掘り起こす商品開発
新生ロイドフットウエアが幸先の良いスタートを切ることができた勝因としては、やはりGMTで培った商品開発のノウハウが生かされている点は見逃せません。
GMTは歴史や技術のあるブランドに絞り、その魅力を引き立てる商品開発を終始一貫、行ってきました。
アイランドスリッパは日本人が創業したハワイ・オアフのブランドです。横瀬さんが出会った当時は一部、中国でもつくっていました。取引を始めるにあたり、これからは生産拠点をオアフ一本に絞るべきだと訴えました。ファッションブランドにとってルーツはなにより大切だと考えるからです。
ジャランスリウァヤには九分仕立てを導入しました。九分仕立てとは、文字通り、製靴の9割を手仕事に頼るもの。手縫いのそれは驚くほど足に吸いついてきます。横瀬さんは古き良きものづくりが息づく製造現場をみて、九分仕立てが売りにできるとひらめきました。
主要ブランドは10を超え、展開店舗数は16を数えます。社員数は現在150人にまで膨らみました。「GMTは時計業界で使われる国際的な基準時刻のこと。世界標準となるような靴がつくりたいという思いで、これまで走り続けてきました」
さびれることのないポテンシャル
ロイドフットウエアは、横瀬さんにとって雲の上のブランドでした。
「海外でつくるオリジナルブランドをさんざん仕掛けてきましたが、ひとつとして成功した試しはありません。ロイドフットウエアはいち早くこれに取り組み、日本に深く根を張りました。英国のブランドと思っていらっしゃるかたもいるくらいです。同業者としてあこがれ以外のなにものでもありません」
引き継いで痛感したのが、ロイドフットウエアにはさびれることのないポテンシャルがあるということでした。
「ビームスがオーダーしたのはアーカイブ(過去作)から拾ったチャッカブーツの復刻でした。ロイドフットウエアには創業以来のアーカイブがすべてそろっています。アーカイブは掛け替えのない財産であり、いまとなっては本国にも残っていない、古き良き英国靴を守るブランドなのです」
そろそろ赤いちゃんちゃんこの出番となる横瀬さんは、GMTの承継準備も着々と進めています。取締役には息子の翔吾さんが名を連ねました。
ユナイテッドアローズで7年学んだ翔吾さんは、GMTに入社するとリテールマネジメントの一切を取り仕切り、社員が働きやすい環境を整えたそうです。そう話す横瀬さんはつかの間、父親の顔をのぞかせました。