金沢箔(金箔)は、金を約1万分の1ミリの薄さにまで打ち延ばした箔片で、熟練の技が生み出す優美な金の輝きが特徴です。仏壇・仏具、漆器の沈金や蒔絵などに使われ、国内の金箔の100%が金沢で生産されています。
20年にユネスコ無形文化遺産に登録された「縁付金箔」の技法を守り、中尊寺金色堂、西本願寺など国宝や重要文化財の修復に使われる金箔も手がけています。従業員数は約90人、商品アイテム数は約3500点にのぼります。
高岡さんは先代の昇さん(現会長)の次女で、大学生だった20歳のとき、箔の道で生きることを決めました。「それまで家業を継ごうと考えたことはありませんでした。ただ、父が箔を愛し、会社を大事に残そうとしてきた姿を見ていたので、それを絶やしたくないと自然に思えたんです」
1997年に家業に入りましたが、すぐには金沢に戻らず、東京営業所を設立して前職の企画会社の社長やデザイナーと仕事をしました。「まだ金沢に戻りたくなかったのが正直なところです(笑)。当時はあぶらとり紙の販売に力を入れており、営業所長としてスタートしました」
当時の箔座本店では、作家の作品をギャラリーのように置いていました。高岡さんは箔を使った新製品の企画を推進。「父は細かいことは何も言わず、自由にやらせてくれました」
2002年、同社は純金と純プラチナを合わせたオリジナルの金箔「純金プラチナ箔」を開発し、高岡さんはそれまでの箔では出せなかった独特の色と風合いを生かした製品の企画と販売に注力しました。
「箔品」と名づけたオリジナル商品は、アクセサリーや名刺入れ、バッグなどに広がりました。「金箔は材料なので、素材の組み合わせ次第で色々な製品ができます。実験を重ね、今の人が魅力的に思えるものを、自分たちで作って売ろうと開発を進めました」
斬新な製品が話題を呼び、工房も増設。高岡さんは2003年に金沢に戻り、その後も、インテリアやスイーツなど、金箔を生かして日常を彩る製品を開発しています。
「甘くなかった」都心への展開
箔座は店舗展開にも積極的です。04年、金沢市のひがし茶屋街に「箔座ひかり藏」を開業しました。オリジナルの「箔品」などをそろえて観光客でにぎわう店の奥の中庭には、純金プラチナ箔と24Kの金箔で仕上げた「黄金の蔵」を構えました。
12年には同茶屋街に美のテーマショップ「茶屋美人」をオープン。金箔入りのオリジナル化粧品を扱っています。
東京・日本橋のコレド室町にある旗艦店「箔座日本橋」は、10年にオープンしました。「箔座ひかり藏」に伝統と革新を感じた三井不動産のトップからオファーがあったといいます。江戸時代の日本橋に、金銀箔類を統制する幕府機関「箔座」が設けられていた縁もありました。
当時、金沢の店は観光客が中心でした。「もちろん、観光のお土産として見ていただくのはありがたいですが、どうしても一過性に終わってしまいがちです。金箔の可能性を広げたい思いがあり、東京ならニュートラルに箔の魅力を知ってもらえるのではないかと。大きな挑戦でした」
箔座日本橋は日常でも使えるアクセサリーやコスメ、バッグ、または企業が購入するギフトなどが求められたといいます。
同じフロアは老舗店が並び、不安も大きかったといいますが、「箔品」の数々が評判を呼び、オープン直後は順調でした。
半年後に起きた東日本大震災で来客数が減りましたが、さらに製品開発などを重ね、独自イベントを展開し、リピーター客が徐々に増えます。ところが、今度はコロナ禍に見舞われました。
「曲折の繰り返しで、都心展開は甘くないなと……。ただ、観光客向けではなく、箔の魅力をまっすぐに感じ、本当にほしいと思っていただける製品を考え続けました。鍛えられましたね。気持ちが高揚したり縁起が良かったり、金箔は心に作用するものと思っています。特別感があって、ギフトにしたくなる品を目指し、日本橋の老舗とのコラボ製品にも取り組みました」
日本橋の老舗・榮太樓總本鋪とコラボした「一寸金鍔・小判金鍔」「金箔蜜飴」など、箔座日本橋のオリジナル商品も生まれています。
日本橋から広げる金箔の可能性
箔座日本橋は撤退を覚悟した時期もありましたが「100年先も続く、次の老舗に」という三井不動産の後押しもあり、23年4月にリニューアルしました。
フロアの3分の1を使い、様々な「素材と箔」を組み合わせ、独自の加工技術とデザインで箔の新たな形を提案する新規事業「箔WORKS」のショールームを立ち上げました。
箔座日本橋がオープンして数年後、兵庫県の人気洋菓子店「ミッシェルバッハ」とのコラボで「金のマカロン」という商品が生まれました。23年からは、同店が箔座日本橋店のインショップとして入っています。
「箔座日本橋は新しい事業や商品につながる様々な声や気づきがあります。『箔WORKS』もその一つです。新しいお客さんに足を運んでいただき、今後の箔座のあり方を作っていけるのではないかなと思っています」
一貫体制の強みを生かして
高岡さんは2017年、社長に就任しました。それを機に就業規則も見直し、人事評価制度を新たにつくるなど、組織改革も進めました。
「社員と1対1で話すのが好きなので、社員の思いや仕事に何を求めているか、話をしながら見直しました。社員が楽しく一緒に仕事ができる環境をつくりたい。それまでもできていなかったとは思いませんが、しっかりとした仕組みを作らなくてはいけないと」
現在、箔座のプロダクト開発は、ファッションアクセサリー、器・インテリア、食、美容という四つの事業部に分かれています。他社との共同開発も多く、ハイディワイナリー(石川県輪島市)とのコラボ商品「能登の風」は、金箔がワインの中で舞うのが特徴です。
「金箔は材料なので価格競争の厳しさがあり、希少価値を付加価値に変えないといけません。商品開発においては、金箔をそこに使う意味や価値があるかどうか、そこに金箔が生かされているかを大事にしています。金箔は相性の良い接着剤があれば基本的に何にでも加工できるからこそ、見極めが必要です。コラボの場合はさらに、お相手との相乗効果で互いの価値が高まることを目指しています」
金箔の製造を行う高岡製箔、加工販売を担う箔座という両社が事業展開しているのがグループの特徴です。「自分たちで作った箔を商品開発・製造して販売できる一貫体制が大きな強みです。金沢市に4店舗、日本橋に旗艦店を運営しているのも、他社にない特色だと思います」
伝統技法の継承が課題に
箔座グループの課題の一つは「金箔職人の後継者不足」と高岡さんは言います。「企画や開発に関わる人材の応募は少なくないですが、高齢化の進行で職人の担い手が不足しています」
金箔の製造には、伝統技法の「縁付」と、現代的な作り方の「断切」の2種類がありますが、特に「縁付」の職人の減少は業界の大きな課題です。
「『縁付』の箔打ち用の和紙の仕込みは、職人にとって命のように大事な仕事です。華やかな金箔は、和紙を仕込むのに半年をかけます。神経も時間も使い、繊細なので温度、湿度で変わります。その技術を身に付けるには10年、20年……。50年の経験を持つ職人でさえ『まだゴールと思ったことがない』と言うほどです。この技法を継承する職人を社員として雇用し、育てていきたいです」
伝統技法の「縁付」は20年にユネスコの無形文化遺産に登録されました。「伝統の技をしっかり残すという責任を感じています」と言います。
技能継承に関しては、ティファニーの日本法人が、ワールド・モニュメント財団(WMF)と協業し、22年から「金沢縁付(えんつけ)金箔製造」職人の育成プログラムを立ち上げるなど、後押しの動きもあります。
需要創出こそが自らの使命
高岡さんは、自らの役割を「金箔の需要をつくり、価値を高めること」としています。「金箔を残すだけでは、業界として成り立ちません。需要をつくることが、私の使命の9割です。その時代における金箔のあり方や需要を見定めることが大切ですし、今生きている人に必要とされないと残らないと思っています」
金の価格は2000年から10倍近くに跳ね上がり、経営リスクにもなっています。今後、金箔とほかの素材をどのように組み合わせ、価格に見合った価値を感じてもらえる製品を作ればいいか。高岡さんは模索を続けます。
新事業の「箔WORKS」にも力を入れる方針です。「会社を継いだ当初は、新製品を生み出したいという思いでした。今は、材料の金箔に原点回帰しているところもあります。これだけ愛情を注げる箔の価値を多くの人に伝えたいです」
使命感が箔の未来をつくる
箔座グループの企業理念は「“箔がそこにある”未来をつくる。」になります。そこに込めた思いは何でしょうか。
「金箔が有名だから残さないといけない、というのではなく、その時代ごとに、箔が自然に、必然的に、そこにある。そんな未来をつくりたいです。心の豊かさや幸せをもたらす金箔を受け継ぐ者が、その環境や需要を作らないといけません。それを未来につなげば、次の時代の人たちが、また新たな箔の可能性をつくっていくと思います」
24年1月1日の能登半島地震で、箔座グループは大きな被害はなかったものの、輪島塗など石川県の伝統産業が甚大な被害を受けました。高岡さんも、被災した伝統工芸をはじめとする企業への思いを新たにしました。
「震災が起きてから、自分でも驚くくらい、石川県の企業として地元意識があることに気づかされました。力になりたいと強く思っています」
義援金を石川県に寄付したほか、事業の一つであるたこ焼き屋のキッチンカーを、連携している同県宝達志水町に派遣、たこ焼きを無償提供しました。日本橋の旗艦店でも能登半島への寄付につながるイベントを企画。「がんばろう能登 石川 復興応援マルシェ」と銘打ち、SNSでも発信しています。
「大きな被害を受けても『残していかなくては』と立ち上がる姿に、強さを感じます。金箔も同じですが、未来に残したい、という強い使命感があれば、何があってもつないでいけると信じています」