目次

  1. テロ減少のなかで起きたロシアでの乱射事件
  2. イスラム国(IS)とは
    1. ISホサラン州とは、国際テロ活動に重点
    2. ロシアでのテロ3日前にもドイツで逮捕者
    3. フランスやイタリア、テロ警戒レベルを最高水準へ
  3. 日本人も海外でテロの犠牲に
  4. 日本企業が駐在員や出張者を守るためには
    1. 大使館・宗教関連施設・大衆が集まる場所に注意
    2. 宗教行事やパリ五輪も要注意
    3. 生活必需品の備蓄や業務体制の確認も

 近年、海外に進出し、諸外国と取引がある日本企業を取り巻く地政学リスクと言えば、米中対立や日中関係、台湾情勢やウクライナ侵攻などが主に取り上げられていますが、イスラム過激派など国際テロの問題の優先順位は決して高くありませんでした。

 幸いにも以前と比べ、世界全体のテロ事件数は減少傾向にあり、その分日本企業の間でも、“駐在員や出張者をテロから守る”という意識も弱まっていったと思われます。

 そのような中、ロシアで大規模なテロ事件が発生しました。2024年3月22日、首都モスクワ郊外にあるコンサートホールに銃武装した男4人が押し入り、突然銃を観客に向けて未差別に乱射し、これまでに140人以上が死亡しました。

 現場には6000人あまりの観客がいて、事件発生当時は逃げ惑う観客でかなりのパニックだったことがうかがえます。

 事件後、ISが犯行声明を出し、欧米の情報機関やメディアはアフガニスタンを拠点とするISの地域支部「ISのホラサン州」が事件に関与したと報じています。

 事件の具体的な背景についてはクリアになっていないことも多いのですべて断言できる段階ではありませんが、ここではISが事件の背後にあるという前提で解説したいと思います。

 まず、ISというテロ組織は多くの人が名前を覚えているかと思います。簡単に説明しますと、ISとは2014年6月に一方的な建国宣言を発表し、シリア東部やイラク北部を中心に国境を跨がる形で広大な領域を実効支配し、その面積は最大で英国領土に匹敵する規模でした。

 ISは支配領域で厳格なイスラム法(シャリーア)に基づいて模擬国家的な統治を実現し、イラクやシリアでテロ事件を繰り返しました。

 また、中東やアフリカ、アジアなど各国から外国人戦闘員が主にトルコ経由でISに流入し、そこで軍事訓練などを積み、ネットワークを構築してから母国に戻ってテロを行うなど、ISの脅威は世界に広がっていきました。

 2015年11月のパリ同時多発テロ、2016年3月のブリュッセル同時テロなどはその典型例です。

 しかし、各国によるテロ掃討作戦が強化され、ISは組織的に弱体化し、支配領域を次々に失っていきます。

 2019年あたりは支配地域を完全に喪失し、近年はシリアとイラクで生き残る戦闘員が小規模なテロを実行する程度で、世界的な脅威ではなくなり、各国政府やグローバル企業の間でもテロへの懸念は弱まっていきました。

 しかし、ISを支持する武装勢力は東南アジアから南アジア、中東やアフリカなど各地域に存在し、現在でも武装闘争を続けています。そして、近年、その中でも国際的なテロ活動に重点を置いているのがISホラサン州です。

 ISホラサン州は発信する声明の中で、欧米や中国、ロシアやイランなどを敵視する姿勢を頻繁に示し、アフガニスタン国内ではロシア大使館やパキスタン大使館、中国人が多く宿泊するホテルを襲撃するなど外国権益へのテロを繰り返しています。

 そして、ロシアのテロ事件の3日前には、スウェーデン議会を狙ったテロ攻撃を計画していたとして、アフガニスタン人2人がドイツ中部で現地警察に逮捕されました。

 このうち1人がISホラサン州のメンバーで、アフガニスタンからテロの計画から実行について具体的な支持を受けていたとされます。これだけでなく、最近ドイツやオランダ、オーストリアなど欧州では、ISホラサン州のメンバーや支持者たちの逮捕が相次いで報告されており、その多くがタジキスタン人だと言われます。

 ロシアのテロ事件でも実行犯4人はタジキスタン国籍と発表されており、ISホラサン州の国際的なテロ活動に欧米当局は警戒を強めています。

 2024年1月にはイラン南東部ケルマンでも大規模なテロ事件がありましたが、この事件でも自爆犯の1人がタジキスタン国籍と報じられ、ISホラサン州の関与が指摘されています。

 今回の事件を受け、ロシアから遠く離れたフランスやイタリアでは、テロ警戒レベルが最高水準に引き上げられ、フランスのマクロン大統領はロシアのテロ事件の実行犯がフランスでもテロを計画していたと言及するなど、パリ五輪を迎えるフランスでは今後テロへの警戒がさらに強まることでしょう。

 幸いにもロシアのテロ事件では日本人が被害に遭ったという情報はありませんが、日本企業としてはこのテロを対岸の火事と考えてはいけません。IS関連のテロの脅威はロシアにだけあるのではなく、他の国々にも同様のリスクがあります。

 21世紀以降、日本人がイスラム過激派のテロで巻き込まれるケースが断続的に続いています。

2001年9月米国同時多発テロ事件(邦人24人死亡)
2002年10月バリ島ディスコ爆破テロ事件(邦人2人死亡)
2008年11月インド・ムンバイ同時多発テロ事件(邦人1人死亡)
2013年1月アルジェリア・イナメナス襲撃事件(邦人10人死亡)
2015年3月チュニジア・バルドー博物館襲撃テロ事件(邦人3人死亡)
2016年3月ベルギー・ブリュッセル連続テロ事件(邦人1人負傷)
2016年7月バングラデシュ・ダッカレストラン襲撃テロ事件(邦人7人死亡)
2018年4月スリランカ同時多発テロ(邦人1人死亡)

 特に、チュニジアやベルギー、バングラデシュやスリランカで発生したテロはIS関連のテロです。

 欧米当局が最も警戒を強めているISホラサン州の動向です。この勢力が日本大使館や日本企業を直接標的とするようなテロを行うリスクは限りなく低いですが、今回のロシアにおけるテロでも分かるように、テロリストは多くの人でごった返す場所を標的として狙います。

 そこで、駐在員や出張者には少なくとも次のような注意を促しておきましょう。

 また、IS関連のテロでは、欧米やイスラエルの大使館やキリスト教やユダヤ教の宗教施設、イスラム教シーア派の権益などは標的となるリスクが高いので、特に欧州に社員を派遣する企業においては、そういった権益には近づかないことを注意喚起するべきでしょう。

 また、大衆が集まる場所もテロリストにとっては被害を最大化する意味で絶好の標的になりますので、近づかないことも難しくても長居しないことが重要になります。

 さらに、大衆が集まる場所ではイヤホンなどをつけない方がいいでしょう。テロが遭った際、爆発音や悲鳴声に気づくのが恐れ、逃げるのが遅れるリスクもあります。

 場所だけでなくタイミングも重要です。今回のロシアにおけるテロもイスラム教のラマダンの時期に発生しました。ラマダンとは断食月で、この時には特に宗教心が高まり、IS関連のテロでは特にこの時期に注意が必要です。

 ほかにもキリスト教のイースターの時期にスリランカで大規模なテロが起こりましたし、今後はパリ五輪の時期が特に警戒されます。1972年のミュンヘンオリンピックの際、パレスチナの武装勢力黒い9月がイスラエル選手団を襲撃し、11人が犠牲となる悲惨な過去もあります。

 日本企業としては、前もって宗教行事や大規模イベントの時期を認識し、その期間は現地社員の仕事はテレワークに切り替えさせるなどを考えるべきでしょう。

 一方、テロは大規模であればあるほど、その後大きな社会混乱が生じます。国際空港の離発着が制限されたり、地下鉄やバス、タクシーなどインフラが麻痺したり、抗議デモが勃発したり、インターネットが当局によって意図的に遮断されたりと様々な影響がこれまで見られました。

 社員がテロに巻き込まれなくてよかっただけではなく、現地の社員はその後混乱の中で生活を余儀なくされる可能性もあり、安否の確認だけでなく、普段から生活必需品の備蓄を徹底させ、仕事をテレワークに切り替えさせるなども考えておく必要があるでしょう。