2世経営者は親が経営する会社に入り、現場から管理職、役員を経て社長に就くのが一般的です。大勢の社員を束ね、ビジョン実現に導く社長の仕事は経験によって磨かれるからです。ところが今井さんは、平社員から一気に社長になった珍しいケースです。経営スキルをどのように磨いたのでしょうか。
同社は同県栗東市と大阪市に物流センターを持ち、商品を保管、出荷、配送しています。ピッキングや自動で補充、仕分け、梱包を行うための最新システムなどを導入し、業界屈指の品種・小ロット・短納期配送を実現しています。主な取引先はPLUS、森下仁丹、旭食品などで社員数は約200人。売上高は80億円(2022年度)です。
一人っ子の今井さんは、創業者の父・潤一さんから「お前が後継ぎだ」と言われたことはありません。しかし、親類からは「大きくなったら、お父さんの会社をやっていかなあかん」と言われました。
大学4年生のとき、今井さんは叔母の家に父と遊びに行きます。うたた寝をしていると、父に「あんた、あかりに会社を継がせる気はあるのかね?」と尋ねる叔母の声が聞こえました。すると父は「会社を継いで欲しいとは思っていない。でも、自分が働く姿が魅力的なら、あかりの方から『関わりたい』と言ってくる。逆に自分の姿が魅力的でなければ何も言ってこないだろう」と答えたのです。
寝たふりをしながら聞いていた今井さんは別の会社で修業し、3~4年後に手原産業倉庫に入ろうと決意。選んだのは富士ゼロックス(現・富士フイルムビジネスイノベーション)でした。
チャレンジが先、スキルが後
今井さんはそれまで心配性でトライできないタイプでした。しかし会社では「できる、できない」を判断する前に、まず分かっている範囲で動くことが大切と学びました。動けば何が足りないかわかり、それを補えばできるようになるからです。
シンプルに考える
「○○ならやりたい」「△△だったらやらない」という条件付きで考えると、思考が一時停止します。まず「やりたいか否か」で判断し、やりたいなら、どうやればいいのかを考える。そうすれば、次の一歩を人より早く踏み出せます。
後悔しない。覆水は盆に返らない
失敗した後にリカバリーを試みても、完璧に元に戻ることはありません。失敗したら復元を潔くあきらめ、あるものを生かして何を再構築できるのか考えます。そうすれば、失敗から早く立ち直り、より高いレベルのものをアウトプットできるという教えです。
家業のピンチで「人質」に
今井さんは02年、手原産業倉庫に入社。会社は大きな壁にぶつかっていました。
当時は売り上げ40億円ほどでしたが、約30億円を投資して大阪市大正区に約2万平方メートルの土地を取得し、物流センターを建てたのです。倉庫・輸送の機能からセンター機能へシフトするという社長の悲願でした。
ところが竣工直前、メイン顧客になるはずだった大手スーパーのマイカルが経営破綻しました。大混乱のなか、今井さんは竣工したてのセンターに配属されます。
社長の指示は「人質として行かせる。役目を果たせ」。今井家の人間が現場にいれば「会社はこのセンターをあきらめていない」というメッセージを示すことになります。それを社長は「人質」と表現したのです。
センターにはパート従業員を含めて約200人が働き、誰もが強い不満と不安を抱いていました。今井さんには「しんどいのに給料が低い」、「もっと手当が出ないなら辞めるで」などの苦情がぶつけられました。
四面楚歌でしたが、今井さんは誰に対しても公平に接するよう心がけました。
「例えば、当時は事務所からトイレに向かう廊下にやんちゃそうな若者が座り、怖くてトイレに行けないという問題がありました。私は『休憩室にいすがあるのに、どうしてこんなところに座っているの?』という感じで、一人ひとりに声をかけました。最初は『なんやねん』という反応でしたが、声をかけるうち休憩室に入ってくれるようになり、廊下に座る人はいなくなりました」
今井さんは徐々に受け入れられ、半年もすると従業員と打ち解けたといいます。
物流データをフィードバック
今井さんは前職で学んだ「覆水は盆に返らない」の精神で、業務改善に挑みます。センター内は「やれることだらけでした」(今井さん)。
例えば、センターでは以下のようなデータを大量に持っていました。
- 商品Aを買った客は商品Bも買っている。AとBをセット販売した方がいい
- 商品Cは在庫切れリスクがあるので安全在庫が必要
- 商品DとEはデッドストックになっている
- 顧客別の注文サイクルを測り、それに合わせて在庫を持つべき
「我々が持つ物流データは購買データでもあり、物流現場から売れる商品や必要な在庫数を算出できます。我々は入荷業務から行うので、例えば商品ロットの変更で、入荷作業工程の簡素化が図れます。その塩梅を加味して、安全在庫を担保する入荷ロットとサイクルも算出できます。また、滞留在庫は保管コストのかからない倉庫に移動させ、より売れる商材を保管するスペースを活用できます」
今井さんは分析結果を荷主にフィードバックし、喜ばれたといいます。
承継待ちは「陣痛」のよう
センターを軌道に乗せた後、今井さんは結婚して東京に転勤。07年、滋賀の本社に帰りました。夫は東京の大手企業から手原産業倉庫に就職。今は専務を務めています。
今井さんは20年、目にした雑誌に「事業承継のタイムリミットは45歳」という記事を見つけました。
「いつかは自分が会社を継ぐ」と思っていましたが、いつまで経ってもそんな機会は訪れそうにありません。父から具体的な役割や業務に関する指示はほぼなく、昇進の打診もありませんでした。
この時の心境を「陣痛と同じだった」と振り返ります。自身の出産の時、予定日が来るまで「陣痛が来たら怖い」と思っていました。が、予定日を過ぎた途端「このまま陣痛が来なかったらどうしよう」と不安になりました。
これを事業承継に置き換えると、45歳が予定日です。45歳が迫ると「早く社長にならないとまずい」という焦りが生まれました。
「取締役一掃の覚悟」を問われ
自ら社長に「会社を継ぎたい」と意思表示しなければーー。そう考えた今井さんでしたが、親子で改まって話すには恥ずかしさや抵抗があります。そこで、事業承継のアドバイザーに間に入ってもらおうと考えました。
父は辛口で言葉がきつい人といいます。それにひるまず、受け流せる人でないと務まりません。
今井さんが顧問紹介会社を通じて出会ったのが、ファーストリテイリング元取締役で弁護士の松下正さんです。同社のカリスマ創業者・柳井正氏と渡り合えた人なら父の相手ができる、と考えました。
松下さんからは「あなたはもし必要なときは、取締役全員を一掃する覚悟がありますか」と聞かれました。
想定外の質問でしたが、今井さんは「イエス」と答えます。前職で学んだ「シンプルに考える」が土台にありました。松下さんからは快諾をもらいました。
取締役の前で父と修羅場に
今井さんは松下さんとの契約書にハンコを押してもらうよう、父に頼みます。すると後日、ある取締役から「覚悟はあるのか?」と問われました。
その取締役の質問の言外に「社長という立場は、なりたいと言って簡単になれるものではない。社長は『今のあなたでは不安だ』と心配しているよ」というニュアンスを感じました。
今井さんはこの考えは、前職で学んだ「チャレンジが先、スキルが後」に反するものと感じました。人に継ぐ覚悟を問うなら、父にも周りに任せる覚悟を持ってもらわないといけないと思えたのです。
その後、取締役がそろう席で、今井さんは社長から「わしの存在がウザイか」と聞かれました。今井さんは売り言葉に買い言葉で「ウザイどころじゃない、死ねばいいのにと思っている!」と答えました。
まさに修羅場でしたが、その場にいた人が「あかりさんもこう言っているので、これからどうやっていくかを考えましょう」ととりなしてくれました。そして、社長はその場で「2年後に事業承継する」とみんなに約束しました。
元大企業幹部が教えたプロジェクト
事業承継する日が決まり、今井さんは準備に取りかかりました。アドバイザーの松下さんからは、会社を率いるための課題を三つ指摘されます。それは税務とガバナンス、そして今井さんの経営スキル向上でした。
税務とガバナンスは税理士のアドバイスを受けたり、社内ルールを整備したりして解決を図りました。
ただ、とりわけ重要なのは経営スキル向上です。経営を支えるブレーンを作るため、社員を巻き込む仕掛けが必要でした。「それまでは父をトップとする文鎮型組織で、『黙って指示に従え』というスタイルでした」
そこで、今井さんが20年6月に立ち上げたのが「ツクルプロジェクト」です。会社の未来像を考える組織横断型の小集団活動で、メンバーを任意で募り、20代から40代までの10人程度を複数のプロジェクトに割り振りました。
第1は成長戦略プロジェクトでしたが、うまく進まず、メンバーを他のプロジェクトに再配置しました。
第2はKPI活動プロジェクトで、二つのチームを構成しました。
一つは、キーエンス元海外事業部長の藤田孝さんに指導をお願いした「Fセッションプロジェクト」です。経営数字にインパクトのある活動を実行できる人材を育てることを目的としています。
プロジェクトは月1回開き、現業の効率化をメインに話し合っています。
「藤田さんに報告するので、社員なりにロジックとストーリーを考えています。継続的な成果が出るまでにはまだかかりますが、考えることが当たり前になることが大切です。物流の現場は案外単調で、慣れてくるとつまらなく感じます。どんな小さなことでも、トライアンドエラーの繰り返しは刺激や気づきになり、離職防止にもつながります」(今井さん)
もう一つは、「荷主に付加価値のある提案ができる人財」を育てる「はら塾」です。取引先の物流部長だった原正人さんが荷主の視点から指導しています。
週1回のはら塾では、特定顧客への提案についてワークを進めています。「メンバーは『以前なら絶対に無理と思っていたことが、顧客からの賛同をもらいながら進められるのがうれしい』と話しています。これは、汗をかいて体力を使う今までの業務と違いますよね」(今井さん)
社内報作りも「愚痴部」も
社員を巻き込んだプロジェクトは他にもあります。
風土設計プロジェクトは、感謝を伝え合う習慣を作る試みです。現在、各個人がスマホの業務用アプリを通じて「ありがとう」を伝えることが定着しました。
そして当初想定していなかったのが「イロドリプロジェクト」です。これはツクルプロジェクトの取り組みを見ていた女性社員7人が手を上げました。
7人が考えたのは社内報づくりです。3カ月に一度発行し、収益報告、各部署のメンバー紹介、好きな曲、おすすめの飲食スポットまで硬軟織り交ぜた内容です。今井さんの想像を超える出来栄えで、多くの仲間の励みになりました。
24年春には「愚痴部」というプロジェクトも立ち上げます。これは、25歳以下の希望者が集まり、食事をしながら「これをやるのが嫌なんだよな~」と会社の愚痴を言い合う活動です。
人は愚痴をひとしきり吐き出すと、ポジティブになるものです。不満を言い合い「明日も頑張ろう」とモチベーションが上がればOKなのです。
「Yourカンパニー」を目指して
ボトムアップ型のマネジメントで、トップダウン型の「Myカンパニー」だった手原産業倉庫が「Ourカンパニー」に生まれ変わりました。
「拠点間のつながりが強くなり、他拠点の同じようなポジションの人に悩みを相談するようになったと聞きました。若手が業務改善も意欲的に提案しています。以前は、拠点が違えば他の会社というくらい接点がありませんでしたが、プロジェクトやウェブを通じた社内研修などで、他拠点のメンバーが一緒になる機会が増えた影響だと思います。みんなが数字を意識したことで、コロナ禍や人件費・燃料費高騰の中でも、利益率が少しずつ向上しています」
次に目指すのは「Yourカンパニー」です。「手原産業倉庫はあなた方の会社」という意味で、社員一人ひとりが自覚を持って進んで会社の改善策を考え、取り組む状態です。
先代は事業承継後、会長に就任せず、物流業界特有の下請け構造を改善する事業を手がける別会社を作りました。先代いわく「職はなくなっても、夢はなくならない」。潔く身を引いた生き様も、今井さんのあこがれです。
物流業界は「2024年問題」に直面しています。この荒波を社員とどう乗り切るか。今井さん自身が今、一番ワクワクしています。