目次

  1. 「サンマ屋の社長になる」と文集に
  2. 危機感から始めたEC戦略
  3. 売り上げ増で見る目が変わった
  4. 「うみおむすび」も食堂経営も
  5. 新しい魚の食べ方を提案
  6. 採用強化で取引先を拡大
  7. 干物文化を根づかせる決意で

 間宮商店は、マグロの水揚げ量と練り物工場の数では全国トップクラスの塩釜市で、60年間干物を作り続けています。塩釜水産物仲卸市場の隣にあり、小売店や飲食店、社員食堂などへの卸売り、食品メーカーへの商品開発の提案、消費者向けのオンラインショップ、直売所、食堂の運営も行っています。従業員数は35人、年商は8億円です。

 北海道から長崎県まで出向き、目利き力で仕入れた鮮魚をマイナス38度の冷凍庫で保管して鮮度を維持。職人が目と手で解凍具合を確かめながら半解凍の状態を見極めて塩水に漬け込み、その後に約8時間かけてじっくり熟成させた干物は、ジューシーさが一般的な干物と格段に異なるといいます。魚の質や製法へのこだわりから、間宮商店ならぬ「マニア商店」と呼ばれることもあるそうです。

創業当時の間宮商店(同社提供)

 同社は父・明夫さんがまぐろの鮮魚問屋として創業。ほどなくその目利き力を生かし、サンマの干物店として事業を拡大し、79年に会社化しました。

 長男の間宮さんは子どものころから「サンマ愛」あふれる環境で育ちます。食卓には頻繁にサンマが並び、カレーや刺し身などと一緒に食べることも度々ありました。いつか自分が後を継ぐだろうという気持ちが芽生え、「小学校の卒業文集に『サンマ屋の社長になる』と書きました」と振り返ります。

 間宮さんが専門学校を卒業すると、進路について家族会議が開かれました。後を継ぐと表明した途端、これまで継ぐことに何も言ってこなかった明夫さんから「それなら一度、外で勉強してこい」と命じられました。

 間宮さんは約2年半、東京・築地市場のせり人として、鮮魚の目利きを学びました。全国一の市場で出会った取引先とは付き合いが続き、今の仕事に生きています。

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