1965年ごろからの離島ブームで、1972年の来島者は約84万人とピークを迎えました。高田さんの祖父・八郎さんは船着場の元町港で売店を始め、10室を備える「グリーンホテルたかた」をオープンし、観光業に力を入れます。
工場は八郎さん、売店は義土さんの父で3代目の一善さん、ホテルは叔父・叔母が切り盛り。離島ブームが去っても、ダイビングの需要があり、高田さんが事業を継いだ2009年当時、会社の総売り上げは1億円を超え、椿油の売り上げだけで5700万円に達しました。
高田製油所の椿油は創業以来、玉締め機を使用して低圧力で時間をかけて絞る「玉締め絞り」で作られています。ほとんどの工場が使う搾油機・エキスペラーとの違いは生産スピードです。エキスペラーなら全自動で実を油にできますが、玉締め機は絞るのは自動であるものの、金型に入れたり、蒸し器に砕いたものを入れたりするのは手作業も必要になります。
それでも玉締め機にこだわる理由は、椿油の質です。ゆっくり時間をかけて絞るため、椿油の風味や成分が損なわれず、良質の部分のみを搾ることができるといいます。高田製油所の椿油の価格帯は1100円(40ミリリットル)。会社は2人の従業員と営んでいます。
家に引きこもっていた日々
高田さんは元々家業に興味がなく、高校卒業後に島を出ました。インテリアに興味があり、内装大工として6年勤めました。
しかし、高田さんは母親が亡くなったのをきっかけに人生に悩み始め、仕事を辞めたものの、転職先、生活拠点など気持ちの整理がつかず、家に引きこもってしまいます。友人に勧められ、2000年に帰郷。帰郷後も1年ほど何もしない日々でしたが、先輩から大工仕事のアルバイトを紹介され、徐々に社会復帰しました。
「家業は店番や製造を手伝う程度でしたが、お客様の注文を受けた時にお礼などを頂きました。前職ではお客様に直接会うことはなかったため、お金を払ってもらっているにもかかわらず、お礼を言ってもらえることに、家業の素晴らしさと責任を認識しました」
伊豆大島へ移住した妻・直美さん(52)との結婚を機に、高田さんは2004年、家業に本腰を入れ始めました。
「TSUBAKI」効果が追い風に
職人作業が好きなこともあり、椿油づくりには苦労しませんでした。より質の高い椿油を作るため、高田さんが椿の実を選別するようになりました。
そして2006年、資生堂のシャンプー「TSUBAKI」の大ヒットで、椿油への評価が高まりました。TSUBAKIに使われている椿油は伊豆大島産ではありませんが、高田製油所にも波及効果がありました。
椿油の売り上げはTSUBAKI発売前と比べ、2009年に180%増となりました。倉庫や事務所も改装し、高田さんは2009年、返済中のホテル建築費用なども含めて7500万円の借り入れとともに代表となりました。
この時期は大きな宣伝や営業をしなくても、売り上げが順調に伸びたといいます。しかし、少しずつかげりも出始めていました。
2002年の高速ジェット船就航以来、島北部の岡田港への就航率が高くなり、高田製油所が市街地の元町港で運営していた売店の売り上げに響くようになったのです。
土砂災害とコロナ禍が打撃に
さらに大きかったのが、2013年10月、死者・行方不明者39人を出した土砂災害でした。「災害以降、団体のツアー客が明らかに少なくなり、港の売店の売り上げに響きました」
土砂災害があった2013年度の売店の売り上げは、土砂災害の影響で前年の23%まで落ち込みました。借り入れでしのいだものの、売り上げは回復に至らず、2018年に売店を売却しました。
土砂災害の影響で観光客が減り、ホテル業はもちろん、椿油の売り上げも打撃を受けました。最盛期の2009年に比べ、2013年度は、全体で約30%も売り上げが落ちてしまったのです。
「椿油の売り上げは島内での販売が4割を占め、観光客の増減にかなり左右されます。コロナ禍も響き、年間20万人を保っていた観光客数も10万人まで減り、2023年も14万人と完全に戻ってはいません」
国からの助成金や借り入れでしのぎながらも、2023年の椿油の売り上げはピーク時と比べると56%、ホテル業も30%まで落ち込み、かなり厳しい状況でした。
ECサイトをリニューアル
苦境を打開しようと、高田さんは2023年、椿油製品のECサイトをリニューアルしました。2006年に立ち上げて以来のテコ入れでした。
「BtoBやECなど島外向けの売り上げは、コロナ前後でほぼ変わっていません。観光客が戻る見込みがあるかわからない状況だったので、リニューアルに踏み切りました」
支出を最低限に抑えるため、新型コロナ関連の助成金を活用。ウェブデザイナーの仕事をしている20年来の友人に、リニューアルを頼みました。
サイトには、椿油のストーリーを伝えられるよう、製造の様子を伝える動画や、椿油の使用方法、椿油を使った料理レシピなどのコンテンツを作りました。
おすすめの他社製品も販売しています。例えば、松本製油の玉締めしぼり胡麻油は、高田製油所と同じ玉締め製法でごま油を絞っているため、高い品質だけではなく、製法の継承にもつながります。
「椿屋だからこそ」のホテルに
高田さんは同時に、「グリーンホテルたかた」を開業50年で初の全面改装に踏み切りました。
「椿油はBtoBの売り上げもありますが、化粧品などはブームに左右されるため、販売価格はBtoCより下がります。うちは大量生産を行っていないため、一本の価格が下がると厳しいものがあります」
「椿油は自然の産物なので生産量にムラがあります。観光客数に左右されるのはホテルも一緒ですが、大島は部屋数が多い宿が減っており、チャンスはあると感じました」
借り入れとコロナ関連の補助金を使い、2024年4月にホテルをリニューアルオープンしました。
「ホテルを切り盛りする叔父や叔母の引退後の後継者を探さなければならず、一度は売却も考えていました」といいます。幸い、高田さんのいとこの夫の竹内健さん(39)が料理を作ることができたので、後継者として声をかけました。
リニューアルのコンセプトは「椿油屋だからこそできるホテル」です。椿油の成分の約86%はオレイン酸という脂肪酸で、血中の悪玉コレステロールを上げにくいとされています。サイクリストなども多く訪れる伊豆大島は、健康志向との相性が抜群です。
「島内では椿フォンデュや天ぷらを椿油で使うことは多々ありますが、グリーンホテルたかたではアヒージョなど、椿油を使用したメニューを開発し、提供したいと思っています」
ホテルは椿の木に囲まれており、その雰囲気に合わせて和モダンの落ち着いた内装に仕上げました。ロビー、食堂、客室と大幅にリニューアルしています。
今まで使っていなかったオンラインの宿泊予約プラットフォームにも情報を掲載し、宿泊者と売り上げのアップを目指します。「継承後に返し続けていた借入金も、ホテルの改修費が加わり、継承時とほぼ同額になってしまいました。でも、ここが踏ん張りどき。ホテルが再び盛り上がれば、椿油との相乗効果も期待できます」
島の産業を未来につなぐ
高田製油所の椿油は、島民が原料の椿の実を副業として拾うことで成り立ちます。高田さんはなるべく椿油の価格は変えたくないといいます。
「値上げをすれば、売り上げは増えても販売量が減り、椿の実を今ほど必要としなくなる可能性もあります。実が売れなくなれば島の人々は拾わなくなり、ひいては椿油の製造ができず、島の文化や仕事が失われる可能性もあるのです」
納められた実は一定の質を保っていれば、ほとんど購入しているそうです。質の良い実の見分け方を島民に伝えるのは大変ですが、それでも続けるのは、島の文化を絶やさないためといいます。
「祖父の時代から椿油の生産量を20トンでキープしています。島の油屋が減って、島全体では椿の実を買い付ける量は少なくなっており、実を拾ってくれる人も減っています。椿油の売り上げや生産量は島の問題に左右されます。島の産業をどう未来へつなぐのか、常に考えています」
高田製油所は椿が咲く約5万平方メートルの山も所有し、草刈りだけで年約200万円ほどの支出になります。自社での管理が難しいため、観光用の公園として町の管理下に置いてもらっています。高田製油所は島の人々や町からの協力を得ながら、産業を紡いでいるのです。
ユーザーの評価に背中を押され
逆風からの反転攻勢に出る高田さんの支えは、ユーザーから商品をほめてもらえることです。
「2015年ごろ、店に英国在住の日本人から国際電話があり、『東ティモール人の友人が高田製油所の椿油を髪に塗って気に入ったので、喜びと感謝を伝えたかった』と伝えられました。縁もゆかりもない東ティモールの人が、うちの商品に喜んでくれていることがうれしかったです」
ラグジュアリーホテルのアマンのバイヤーからも2015年秋に電話があり、「こんなに良い椿油がなぜお手ごろな価格なのか」と質問されたそうです。今では、京都と伊勢志摩にあるアマンのホテルで高田製油所の椿油が使われています。
高田さんは椿の実の殻を、伊豆大島産のブランド豚・かめりあ黒豚の飼料として無料で提供しています。
「イベリコ豚はどんぐりを食べていることで知られていますが、椿の実の殻にもどんぐりに似た成分が含まれています。大島は豚にとってストレスのない環境を提供でき、味も格別です。温暖化の影響で漁獲量が減少している今、かめりあ黒豚が島の新たな名物となり、観光に良い影響を与えることを期待しています」
観光が盛り上がれば、椿油やホテルの売り上げにもプラスになります。椿油産業一本では難しいからこそ、高田さんは家業と島に価値をもたらすものに、惜しみなく投資する考えです。
「うちの椿油を使う人々の声があるからこそ、つらい状況でも頑張れます」
2029年の創業100年を笑顔で迎えられるように、4代目の観光再生への挑戦は続きます。