目次

  1. プロ仕様の高精度な「測定工具」約500種類を製造
  2. 家業にはまったく興味がなかった
  3. トップダウンからボトムアップへ 開発体制をシフト
  4. 本当に顧客が求める商品を開発しよう
  5. 「読みづらいのでは」と言われても開発を決断
  6. 出荷量が従来品の4倍となり標準品へ
  7. プロだけでなく障害者からも支持されるように
  8. 大手ゼネコンとコラボし手軽なメジャーを開発
  9. どうしても無理だと思ったらやめればいい

 新潟精機は五十嵐さんの父親である五十嵐茂夫さんが、1960年に創業しました。三条市は金物産業が盛んであったことから、当初は首都圏に地場の製品を販売する、問屋業を手がけていました。

 ものづくりが好きであった父親は、次第に製造にも着手するようになりました。直角の精度を測定する「スコヤ」の開発・製造を足がかりに「測る」製品に特化したメーカーとして歩むようになります。

 ホームセンターなどで置いてある一般消費者向けの商品も扱いますが、製造業や建築土木現場で使用される、プロ仕様の製品が同社の主軸です。そのため精度が高いのが特徴で、特に0.1mm以下のオーダーが求められる製造現場で重宝される製品が多く、大手自動車メーカーの推奨工具にもなっています。

プロユーザーから高い支持を得ている商品の一例
プロユーザーから高い支持を得ている商品の一例

 現在では約500種類、3万商品というラインナップを取り扱い、従業員数200人ほどにまで拡大しています。

 会社は自宅の前にあったそうですが、仕事を手伝ったり、工場に遊びに行ったりするようなこともありませんでした。漠然と後を継ぐとは思っていましたが、父親と面と向かって話し合うようなこともありませんでした。

 ところが、社会人となる直前に父親と出かけた旅行先で「継いでくれたらそれはうれしい」との本音を聞き、そこからは一転。首都圏の専門学校でコンピュータについて学んだ後、メーカーに就職し生産技術のスキルを習得。

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