取引先の廃業も火災も乗り越えて ファインが根づかせた竹の歯ブラシ
東京都品川区のファインは、生分解性プラスチック(PLA)を使った歯ブラシなどをつくるメーカーで、グッドデザイン賞も受賞しています。母の後を継いだ3代目の清水直子さん(56)は、フラットな組織づくりやデザイン力の強化で、商品開発力を高めました。2021年には歯ブラシの原料となる樹脂をつくる工場を立ちあげ、製造技術をサステイナブルなゴルフティーの製造に生かすなど、事業の幅を広げています。
東京都品川区のファインは、生分解性プラスチック(PLA)を使った歯ブラシなどをつくるメーカーで、グッドデザイン賞も受賞しています。母の後を継いだ3代目の清水直子さん(56)は、フラットな組織づくりやデザイン力の強化で、商品開発力を高めました。2021年には歯ブラシの原料となる樹脂をつくる工場を立ちあげ、製造技術をサステイナブルなゴルフティーの製造に生かすなど、事業の幅を広げています。
目次
2023年11月16日。伝統の男子プロゴルフツアー・ダンロップフェニックストーナメントの第50回大会の幕が切って落とされました。オナラリー・スタートのティーイングエリアに足を運んだのは、日本ゴルフ界のレジェンド、青木功と中嶋常幸。彼らがボールを乗せたゴルフティーは、ファインが製作したものでした。
そのゴルフティーは、会場となったフェニックス・シーガイア・リゾート(宮崎県)に広がる黒松の間伐材を粉砕・加工し、樹脂化したもの。生分解性に優れ、土に還る特性をそなえます。
「“体が喜ぶ”をコンセプトにファインブランドの再構築を目指しています。ゴルフティーはその流れのなかから生まれたものです」
後述する歯ブラシ「MEGURU」の特許技術を活用したゴルフティーは2024年5月、一般発売も開始しました。
くだんのゴルフティーは、樹脂の製造も社内で行っています。内製の起点となったのは、植物由来の生分解性プラスチック(PLA)をベースとした歯ブラシ。母で先代の和恵さんが1998年に完成させたものです。
エコに関心の高い層を狙った歯ブラシでしたが、そのときは機が熟していませんでした。終売を決めたところ、化学物質過敏症に悩む人々から惜しむ声が出ました。石油由来の歯ブラシは口にしたとたん息苦しさを覚え、ひどい場合には触れることすらできなかったためです。
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「在庫をすべて売ってくれとおっしゃる方もおられました。生分解性だから時間が経つともろくなってしまうんですよと説明すると、『100本あれば100回は磨くことができるから』というお返事でした」
彼らの思いに応えたい一心で、清水さんは素材探しに奔走します。そうして竹の粉をブレンドしたPLAにたどり着きます。2008年、「竹の歯ブラシ」と名づけてお披露目すると、大きな反響を呼び、ファインの看板商品になる芽が生まれました。
ところが、たしかな手応えを感じた矢先、リーマン・ショックで樹脂の仕入れ先が廃業します。音信不通になった経営者を四方八方手を尽くして探し当てた清水さんは事業の継続を訴えます。その熱意にほだされた経営者は「機械は残っているから別のところを借りてつくりましょう」といってくれました。
一難去ってまた一難。2020年2月、今度はその工場が火災に見舞われます。高齢の経営者に立て直す意欲はもはやありませんでした。経営者は清水さんにこう持ちかけます。「機械もまとめて丸ごと技術を買い取らないか」と。
「悩みに悩んで出した結論は挑戦する価値があるというものでした。世界的な脱プラの動きも背中を押してくれました」
清水さんは技術譲渡の契約を交わし、2021年に生分解性樹脂製造に関する特許を取得。倉庫がわりになっていた三重県名張市の工場に機械を移設しました。そして同年、「竹の歯ブラシ」から「MEGURU」(メグル)に名を改めて再出発します。
原料となる竹は自給しています。工場のまわりには竹林がうっそうと生い茂っていました。清水さんは間伐の方法を学び、生産体制を整えました。
竹もまた戦後にプラスチックに取って代わられた素材でした。放置された竹林は竹害と呼ばれ、深刻な社会問題になっていました。竹の利活用はこの環境破壊を食い止める一助となりうる可能性も秘めていました。
土に還る様態を直截に表現した「MEGURU」の売り上げは、発売2年で50倍に膨らみました。
ファインは、大叔父の若松誠造さんが1948年に大阪で起業したろうそくメーカー・若松油脂化学工業所をそのルーツとします。
ろうそく事業を軌道に乗せると、誠造さんは次のアイテムとして日常的に使う消耗品であり、地場産業だった歯ブラシに注目。1963年には病院経営も始め、その後、ろうそく、歯ブラシ、病院を分社化します。
東京営業所長として関東を取り仕切っていた父の益男さんが1973年に歯ブラシ部門を独立させてファインを創業しました。
現在も続くオリジナルブランド「ファイン歯ブラシ」で薬局のマーケットを開拓しますが、ドラッグチェーンが台頭するとその棚からこぼれ落ちていきます。益男さんはスーパーのプライベートブランド、そして粘着式のネズミ捕りというあらたな商材に活路を見いだしました。
自社工場も創業と同時に竣工した大阪工場に加え、ネズミ捕り製造工場を名張市に構えました。
母の和惠さんに請われ、清水さんが家業入りしたのは22歳。1990年のことでした。ほんの腰かけ程度のつもりでしたが、あれよあれよという間に後継者候補に押し上げられていきます。
後継者と目されていた義兄と番頭格だった古参社員が立て続けに去り、そして益男さんが中咽頭がんで余命宣告を受け、1995年3月、55歳の若さで亡くなったのです。
母娘ふたりの戦いが始まりました。
益男さんは「商売替えしても構わない」と遺言に残しましたが、ふたりは益男さんが築いた歯ブラシを残していくことを決意します。薄利多売とはいえ、消耗品は手堅い。自社商品を増やしていけば商売になると踏んだからです。
企画開発を担ったのは和惠さんでした。「ニーズを汲み取るのが抜群に上手かった」和惠さんは、1997年にグッドデザイン賞を受賞したリング型歯ブラシ「ぷぅぴぃ」(現ポージィ)をはじめ、介護用歯ブラシ「ハッピー」(現キューティ)、自助具用スプーンなどそれまでのマーケットになかった商品を次々と世に送り出しました。
「『『ぷぅぴぃ』は、その少し前に起きた幼児の喉つき事故をきっかけに生み出しました。リング型の持ち手がストッパーの役割を果たすので、喉をつく心配はありません」(清水さん)
2010年に後を継ぐにあたり、清水さんは「花道プロジェクト」と銘打ち、和惠さんが安心して引退できる仕組みづくりに着手します。和惠さんがちょうど70歳を迎える年でした。
花道プロジェクトの勘どころは、トップダウンから合議制へのシフトチェンジ、歯科衛生士を招いた母親向けの勉強会、そして外部デザイナーの登用です。
「母はカリスマ性のある人で、アイデアマンでもありました。わたしにはそのどちらもない。みなの力を借りなければ経営は立ちいかないと考えたわたしは会議のスタイルを変えました。わたしは聞き役に徹し、現場の声に耳を傾けるようにしたのです」
「なるほど、と頷くばかりだったのでわたしはひそかに『なるほど会議』と名づけました。おかげさまで活発に意見が出るようになりました。その様子をみた母は『ずいぶんとにぎやかね』と目尻を下げました」
勉強会は、歯周病予防のための歯ブラシをつくってほしいという依頼が契機となりました。
「わたしどもは歯ブラシはつくれても、歯のことはなにもわかっていませんでした。時を前後して営業に訪れた地元のカフェでも歯について学びたい母親が多いことを知ります」
「わたしは(ファインの人間を含め)みなが学べる場として2013年、そのカフェに歯科衛生士を招き、『乳歯を守るセミナー』を開催します。20人ものお母さまが集まりました。以降、コロナで中断を余儀なくされた2020年まで、多いときには毎月のように開催してきました」
商品開発にはアイデアをかたちにできるデザイナーが必要です。人伝てで2013年にやってきたのが、のちの夫となる曲尾健一さんでした。
もろもろの施策は、清水さんが社長として采配を振るためにも必要なことでした。
清水さんいわく「ツンケンしていた」というかつての彼女は現場からまったくといっていいほど相手にされませんでした。がんばればがんばるほど、深まる溝に疲弊し、心身に不調を来たします。
「プライベートでも心を病む出来事があり、半月あまり会社を休みました。ところが久しぶりに出社したわたしをみなはあたたかく迎えてくれました。空回りしていた歯車がかちりと音を立てた瞬間でした」
フラットな環境づくりが功を奏したのでしょう。ファインでは子連れ出勤も男性社員が早退して子どもを病院に連れていくのもありふれた光景です。
アットホームな雰囲気は、すみずみにまで息づいています。
商談スペースにはキッチンがあり、春になれば名張市で採れたタケノコを湯がいて社員みんなで舌鼓を打ちます。食卓には会社の屋上で育てた野菜も並びます。堆肥も手づくりで、調理器具は鉄製のフライパンに木製のまな板といった具合です。
そこにはサステイナブルな事業を自分ごととしてとらえてもらいたい、という思いもあります。自分ごととしてとらえることができれば、目のつけどころも変わってくるはずです。
社員数は工場をあわせて20人。益男さんのころに比べれば半分ほどになりましたが、その関係性はより濃密になっているようです。
地ならしのかたわら、清水さんは商品開発にも力を注いできました。
社長に就任してはじめてのオリジナル商品となる「レボUコップW」は2014年のグッドデザイン賞を獲得しました。
和惠さんが開発したコップを夫の曲尾さんとともに改良したもので、むせにくい構造が評価されました。誤嚥は後屈時に生じやすくなります。「レボUコップW」は飲み口の反対側をえぐるようにカットしており、コップを傾けても鼻にあたりません。この構造により、首を垂直に保ったまま飲みきることができるようになりました。
2015年にリリースした「富士山歯ブラシ」はヘッドのみならず、持ち手でも富士山を表現した歯ブラシで、大手航空会社の記念品に採用されました。現在はインバウンドでも人気の商品となっています。
ユニークな商品開発は取引先の目にもとまります。結果、開発段階からタッチする案件が増えており、ここ数年は4〜5件が同時に走る状況が続いているといいます。
一気通貫の生産体制も大きな強みになっています。
「海外生産にシフトしなかったのはひとえに働く人々のことを考えたからです。パートさんは子育てが一段落するとまた戻ってくることが多い。母は社会の公器のような役割を果たしていることを誇りにしていました。いまとなっては、母の意思を尊重したことは間違っていなかったと思っています」
ドラッグストアやスーパーマーケット、そして介護関連を取引先に、2023年の年商は1億7千万円。うち4割をオリジナルが占めます。
OEM(相手先ブランドによる生産)もブレーンとして期待されるようになったことで、売り上げこそ苦戦しているものの、利益面は向上しました。
当面の目標は樹脂製造の技術をあらたな柱として育てること。そして、いずれはそのバトンを夫の健一さんに託したいと考えています。
「自分の人生を振り返って、丸をつけられるようなことはあまりありませんでした。そんなわたしが唯一、花丸をつけたのが曲尾と結婚したこと。商品開発から経営まで、もはや彼なしでは成り立ちません」
一回り下の健一さんの話になると、そうでなくとも滑らかな清水さんの舌はいよいよ調子が出てきました。
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