目次

  1. 「事業を成長させたい」で始めたはずのM&Aが…
  2. 「M&Aは納得できるまで話し合いを」
  3. 仲介会社に頼らないM&Aの手法
  4. M&Aのプロが指摘「売り手企業も学ばないと」
    1. 日本の仲介会社が手掛けているM&A領域はごく一部
    2. M&Aの売り手側に必要な支援とは
    3. M&Aトラブルを避ける「限定入札方式」
  5. M&Aトラブル、中小企業庁や業界の対応は

 20年培った飲食店舗運営の経験を生かし、もつ鍋と餃子のEC事業を手がけていた長坂賢介さんが2022年、M&Aで事業売却を決断した理由が「もっと事業を伸ばせるかもしれない」という期待からでした。

 「量を増やしてもお値段はそのまま」というキャッチコピーで、もつ鍋のEC販売がヒット。さらに、通年で販売できる餃子も取り扱い始めたころ、新型コロナで内食需要が高まりました。その結果、EC事業全体で年140~150%で成長していました。

 しかし、長坂さんには心配がありました。調理場所は、大阪市中心街の一角だったのです。「工場を拡張できず、いまの製造能力では限界がある」。生産能力を高め、事業を成長させる手段としてM&Aで事業売却と買収の両面から検討していました。

 2年ほど検討するなかで、最後は事業の売却を決めます。決め手は買い手企業から示された「設備投資をして、人も本社からバックアップする」という意向表明書でした。買い手企業も食品業のため、仲介会社のいう「シナジー効果」にも期待していました。

 長坂さんは売却後もロックアップとして2年間、事業責任者としてとどまりましたが、結果的に、意向表明書の内容は実現せず、当初の目的だった「事業を成長させたい」という思いはかないませんでした。

 意向表明書は基本的に法的拘束力を持たないことを知ったのは、M&A成立後のことでした。長坂さんはM&Aは初めての経験だったため、身近なところに相談相手もおらず、悩みながらのM&Aだったといいます。

 「事前に意向表明書には何の効力もないことを理解しておきたかった。同時に買い手のPMIをもっと理解してM&Aは進めるべきだったと後から反省しました」

 経営者自身がM&Aについてリテラシーを高め、同じような思いをする人を減らしたいと考え、奥村淳一さんとともにM&Aで会社を譲渡した経営者やこれから会社を売却したい経営者らによる「イグジット会」を立ち上げました。長坂さんは、副会長を務めています。

M&Aを検討している中小企業向けのリーフレット
M&Aを検討している中小企業向けのリーフレット(中小企業庁のM&A支援機関登録制度の公式サイトからhttps://ma-shienkikan.go.jp/)

 イグジット会は会員制で30人ほどが集まっています。会長を務める奥村淳一さんも、事業売却を経験した一人です。「M&Aの最終契約の前に、自分の実現してほしいことを相談できる相手を見つけることが大切でした」と振り返ります。

 消防設備のメンテナンス・工事業のマトイテックを創業し、2022年3月に事業売却を決断しました。

 交渉するうえで、奥村さんが気になったのは、M&A成立後から数年間は、相手方の契約違反や表明保証違反が判明した場合に買い手側が補償を求めるための「補償条項」でした。隠しごとはなくても、何がリスクになるかわかりません。

 そこで、自身でM&Aを学びつつ、信頼できる弁護士に依頼することにしました。依頼した弁護士を通じて買い手企業側の弁護士と10回ほど話し合いを続けたといいます。

 「事業を売却する経営者にとても将来に関わる大切なことです。交渉の場でわからない専門用語が出てきたら一つひとつ調べる、納得できるまで話し合うことが大切です」

 東田伸哉さんはM&A仲介会社に頼らず、自分で工夫しながら事業を売却しました。「業種業態にもよりますが、必ずしも仲介会社に頼らなくてもM&Aはできます」と話します。

 兵庫県西脇市で家業のクリーニング業「東田ドライ」を承継した東田さんは、頼まれてもいないシミ抜きや衣服の修繕をするなど従業員のおせっかいがコンセプトの宅配クリーニングサービス「リナビス」を新規事業として立ち上げます。話題となり、業績をV字回復させるきっかけをつかみます。

 さらに事業を伸ばすうえでM&Aを検討しますが、相談したM&A仲介会社から提示された額は予想よりも低いものでした。

 新規事業の「リナビス」のアクティブ会員が25万人まで増え、業績を伸ばしているとはいえ、当時、東田ドライはまだ債務が多く残っており、時価純資産額+営業利益をベースとした仲介会社の評価額では低く抑えられてしまったのです。

 そこで、東田さんは自ら買い手候補を探すところから始めました。

 東田ドライの一番の強みは「リナビス」の成長です。この事業の価値を評価してくれるのは、同業のクリーニング業界で、新規事業を立ち上げたい、新たな成長軸をつくりたいと考えている大手企業だろうと考え、アプローチ先を絞りました。

 興味を示してくれた企業には、FA(ファイナンシャルアドバイザー)の協力を得つつ、希望する企業価値の算出根拠をロジカルに説明することを心掛けました。

 新規事業として、一から会員25万人のサービスを立ち上げるのにかかる時間とコストを試算して提示しつつ、買収希望額がそれよりも下回ることを示し、話し合いを進めるなかで、リナビスの将来性が評価されて成約に至ったといいます。

 東田ドライは2024年7月、社名をリナビスに変更。現在も兵庫県西脇市を中心に、インターネットで注文できる宅配クリーニング&無料保管サービス「リナビス」を展開しています。

 中小企業のM&Aをめぐっては、売り手側の経営者保証を引き受けることなく現預金の資産だけ移し替え、倒産に至らせるといった問題が相次いでいます。

 こうした事態に、1990年代から、日本のM&Aの老舗企業で経験を積み、M&Aのプロフェッショナル・アドバイザーでもある桐明幸弘さんは「日本のM&Aの現状を考えると、中小企業の経営者がM&Aについて学ばないとトラブルは防げません。また、事業を売却するときには信頼のできるFAについてもらってアドバイスを求めた方がよいでしょう」と話します。

 周りに頼れる相談相手がいない場合は、国が設置する相談窓口「事業承継・引継ぎ支援センター」も候補になりうるといいます。

M&A仲介会社からの営業DM。個人情報に関わる部分はマスキングやトリミングをしている。
M&A仲介会社からの営業DM。個人情報に関わる部分はマスキングやトリミングをしている。「事業承継M&Aリサーチプロジェクトチーム」提供

 M&A仲介会社の営業姿勢について、事業承継学会の「事業承継M&Aリサーチプロジェクトチーム」が、中小企業の経営者や後継者、経営幹部、支援者ら126人にアンケートしたところ、回答者の多くが悪印象を持っており、「営業がしつこい」「嘘のDMやめて」といった声が出ていました。調査結果をまとめ、12月にも学会で公表予定です。

 桐明さんもプロジェクトチームの一人。「海外と比べて、日本のM&Aは業界が特殊である」とし、業界全体の仕組みを変えた方がよいと指摘しています。どのような点が特殊なのか、どう変わっていくべきなのか。このパラグラフは談話形式で紹介します。

 そもそもM&Aには大きく分けて売り手側の経営状況に応じて、以下の4つに分けられます。

  1. 企業再建支援
  2. 事業継続・発展支援
  3. 再編廃業支援
  4. 経営改善・資産承継支援

 このうち事業を大きく伸ばしているM&A仲介会社が手掛けているのはごく一部の領域です。M&A仲介会社は、中小企業の後継者不足という社会課題の解決に取り組んでいると言いますが、一部の領域だけで本当に事業承継問題の解決に取り組んでいると言ってしまってよいのでしょうか。

 本来、M&Aというのは、債務超過となっている企業の再生も含めて支援します。しかし、M&A仲介会社のなかには、売り手側の会社が主に損益計算書(PL)と貸借対照表(BS)上で黒字という「事業継続・発展支援」の領域しか手掛けていないところも多くあります。

 一方、再生型のM&A支援をする場合は、私的整理による金融機関協力(債務免除を含むリスケジュール)を前提として、かなりの経験が問われます。こうした分野を支援しないのかと、あるM&A仲介会社の経営者の一人に尋ねたところ「儲からないのでやらない」という返答が返ってきたことがありました。

 また、売り手側にフォーカスして、M&A成立までに取り組む必要があることを挙げると、M&A戦略の検討及び策定、対象企業のリスティングと選定、必要な情報の収集と分析、アドバイザーを通じたマーケティングによる対象候補の選出、マーケティングから買手デューデリジェンス、許認可関係の手続き確認、売買契約書の内容調整等のクロージング、売買契約書の締結の支援まで幅広い業務があるのです。

譲り受け側の調査の概要の例
譲り受け側の調査の概要の例(中小M&Aガイドラインから)

 売りたい企業がいたら、企業の魅力は何かを引き出し、事業価値はどれくらいか、どんな買い手がいて、どれぐらいの価格なら売れるのかという精査する必要があります。でも、現状のM&A仲介では、どこまで支援できているでしょうか。

 最初に調査・マーケティングをせずに、なるべく多くの買い手候補企業に声をかけて、いきなり条件交渉から入って、最終段階まで持っていってしまうと、いま社会問題となっている不適切な買手によるトラブルが起きてしまう場合があります。

 M&Aありきではなく、最初の段階で、本当に後継者候補が継ぐ意思はないのか確認することも本来は重要な仕事です。M&A交渉が進んでから、経営者の子どもに継ぐ意思を確認したら、継ぐ意思はあるという答えが返ってきたというケースがありました。M&Aを成立させたいがあまり、経営者に「今なら高く売れる」といってM&Aを無理に進めていないか注意が必要です。

 今般のようなトラブルを避けるM&Aの方法の一つに、限定入札方式というものがあります。

 海外のM&Aは、日本のような売り手と買い手の両方から報酬を得る「両手取引」ではありません。たとえば、売り手企業が、FA(ファイナンシャルアドバイザー)と業務委託契約を結んだうえで、売却戦略やマーケットの状況を共有し、買う見込みのある企業を選定します。

 買う見込みのある企業のなかから、さらに候補を絞りこんだうえで連絡し、秘密保持契約を結んで詳しい条件を提示し、複数企業に入札に参加してもらって、もっともよい条件を提示してくれた企業と交渉を進めるという方法です。

 M&Aの取引額の基準となる企業評価についても、将来どのぐらいキャッシュフローを生むかを現在価値に置き換えて算定するというDCF(Discounted Cash Flow)法が企業価値評価の中でも最も理論的な方法とされています。しかし、M&A仲介では、純資産価値+営業権で算定するという方法を採用しているとも聞きます。これは30年以上前の方法であって、古い考え方なので注意が必要です。

 相次ぐM&Aトラブルに対し、中小企業庁は10月29日付けで不適切なM&Aを支援した15の仲介会社に対し、適切な対策の検討・実施を指示しました。

 適切な対策が図られていない場合、2025年度以降の登録M&A支援機関としての登録継続を認めないと伝えたといいます。さらに、適切な対策が図られるまでの間、「事業承継・引継ぎ支援センター」との連携を停止しています。

 一方、M&A仲介業自主規制団体であるM&A仲介協会(2025年からはM&A支援機関協会に名称変更)は、2024年10月から不適切な譲受け事業者の情報を業界内で共有する「特定事業者リスト」の運用を開始していると説明しています。

M&A仲介業自主規制団体であるM&A仲介協会(2025年からはM&A支援機関協会に名称変更)が2025年1月からの適用を予定している「経営者保証に関する基準」
M&A仲介業自主規制団体であるM&A仲介協会(2025年からはM&A支援機関協会に名称変更)が2025年1月からの適用を予定している「経営者保証に関する基準」(協会のプレスリリースから)

 こうした取り組みがM&A業界全体の改善にどの程度影響するのか、実効性が問われています。