廃業予定だった八百屋をアップデート やさいのナイトウが目指す地域一番店
コヤマタカヒロ
(最終更新:)
東京都町田市の「やさいのナイトウ」は1979年に創業し、市内2店舗を展開する地元密着型の八百屋です。16歳のころから従業員として働いていた若月幸平さん(43)が2019年、新会社を作るかたちで、廃業を考えていた先代からのれんを引き継ぎました。仕入れ先を引き継ぎつつ、野菜ジュース店の運営や新店オープン、飲食店向けの卸売りを始めて事業をアップデート。給与体系を時給制から固定給に改めたり、管理会計の導入を図ったりするなど、組織マネジメントにも注力し、地域一番店を目指しています。
16歳のアルバイトで天職に
やさいのナイトウは、町田市内に2店舗を構え、1日平均約500人が訪れる人気店です。常時200種類以上の野菜や果物を取り扱い、野菜ソムリエの資格を持つ従業員がいます。
地元産のほか、地方の農家からも野菜を直接買い付け、じゃがいもやさつまいもなどは多いときで10品種ぐらい置いています。数年前から山梨県産の桃も直接仕入れるようになったそうです。それぞれの食べ方をポップなどで説明し、ストーリーを添えて販売しています。
町田市内のコンビニエンスストア13軒で、野菜の委託販売も行っています。従業員数は35人(アルバイトを含む)で、年商は約4億円です。
若月さんが八百屋の仕事に出会ったのは16歳のころでした。アルバイト先だった中華料理店の仕入れ先の一つが、やさいのナイトウでした。「そのころ、通信制高校に転校して昼間が暇になり、車の免許が欲しいと考えていました。そのとき、親が『ナイトウさんがアルバイトを募集している』と教えてくれたんです」
慣れない八百屋で販売の仕事を始めた若月さん。最初は中古車を買うお金がたまったら半年ぐらいで辞めようと考えていました。しかし、当時はがむしゃらに働くことで、16歳では考えられないほどのアルバイト代が入り、仕事が楽しくなっていきました。
「地元のお母さんたちに顔を覚えてもらい、野菜をおすすめしたら買ってくれる。そのコミュニケーションが楽しくなりましたね」
若月さんは20代になり、やさいのナイトウに正式に就職。その後もずっと時給制で働き続けていたそうです。
妻の助言で店の継承を決断
働き始めてから20年以上が過ぎた2018年10月、店長を務めていた若月さんは、先代社長から「体調を崩したので店を辞める」と告げられます。偶然にもその日は若月さんの38歳の誕生日でした。帰宅して妻に伝えたところ「それなら、あなたがやれば」と言われました。
「妻はそのころ、美容関連の個人事業主として働いており、『何とかお店をやっていけるんじゃないか』と言われました。野菜をいつも買いに来てくれたり、うちのフルーツのファンと言ってくれたりする人たちに申し訳ないという思いがわきました」
若月さんは翌日には、「ナイトウを続けさせてほしい」と直談判し、先代も快諾してくれました。
先代は会社を畳み、若月さんはWAKATSUという株式会社を立ち上げ、屋号や資材などを買い取る形で、経営を引き継ぎました。先代は本店とは別にもう1店舗を抱えていましたが、「丸々引き継ぐのは無理だと考え、本店だけを残し、私が買い取れる最低限の額にしてもらいました」
創業時の運転資金に苦労
先代の引退を聞いて半年後の2019年3月から、「やさいのナイトウ」は若月さんの会社が経営する形で再スタートしました。
新会社には元々いた従業員の半数に声をかけ、移ってもらいました。若月さんの妻も美容関連の仕事を辞めて加わりました。地元客には若月さんが店を引き継ぐことを伝えており、オープン直後からこれまで通り来店してくれたそうです。
ただ、その裏で運転資金の工面には苦労したといいます。急な事業承継だったこともあり、オープン時に銀行の融資が間に合いませんでした。「自家用車を売ったお金で野菜を仕入れて売っていました。ただし、屋号をそのまま引き継いだことで、仕入れ時のツケ払いができたのが助かりました」
創業から1カ月後に融資が下り、運転資金はいったん落ち着きました。軌道に乗り始めようとしていた矢先、見舞われたのがコロナ禍でした。
コロナ禍で始めたドライブスルー
2020年4月、緊急事態宣言が発令され、不要不急の外出の自粛が求められます。そこで若月さんは、野菜の詰め合わせを車まで運んで販売するドライブスルー八百屋を始めました。都内の仲卸業者の取り組みをニュースで見てまねしようと思ったそうです。
「コロナ禍は逆に巣ごもり需要で、毎日が年末のように混み合いました」
コロナ禍のさなか、店舗の建て替えという大きな決断も下します。店がある土地の一画にコンビニエンスストアが入ることになったためでした。「店の地主から、このタイミングできれいに建て替えたいといわれました。私も建物の仕様を決めるところから参加しました」
元々、交差点側にあった店舗の位置を下げて店の前に駐車場を整備。旧店舗を残した状態で先に新店舗を作ったため、休業期間は2週間で済みました。
野菜ジュース店で利益を生み出す
このリニューアルで、八百屋に併設していたジュース店「66KITCHEN」も一新しました。
ジュース店は元々、若月さんが後を継いだばかりの2019年7月、DIYで仮設店舗を作って始めました。それまで廃棄したり、1かご100円で売ったりしていた野菜やフルーツを有効活用しようという、若月さんの妻のアイデアでした。
素材の新鮮さにこだわり、注文後に野菜や果物をミキサーにかけて提供しているのが特徴です。
当初は従業員を使わず、若月さん自身が楽しんでやっていましたが、店舗リニューアル後に、スムージーやかき氷などメニューも増やしました。今では夏場にはしっかりと利益を出せるようになったそうです。
飲食店向けの卸販売もスタート
先代から引き継いだ本店は従業員が育ち、若月さんは次の展開を模索していました。そんななか、コロナ禍で空いた店舗があり、2021年8月、町田駅前に新店をオープンしました。現在は黒字化しています。
若月さんはこれを機に、飲食店向けの野菜の卸売りも始めました。先代は現金主義だったため、掛けでの販売はしていませんでした。しかし、飲食店に卸す場合、売り掛けでのやりとりが必要になります。
町田駅前に店をオープンして以降、周辺の飲食店から相談を受けることが増えたため、若月さんは飲食店向けの売り掛け販売を1店舗ずつからスタート。現在は約40店舗に野菜を納入しています。
町田店に取りに来てもらったり、本店から配達したりするなど、各店の要望にも対応しています。元々は飲食店からの依頼で始まりましたが、今では小さな八百屋1軒分の売り上げにまで広がっています。
給与体系を時給から固定給に
若月さんが店を引き継ぐ際に決めたのが、従業員がより安心して働ける環境づくりです。社員の給与体系を時給制ではなく、固定給に切り替えました。
「若いころは、時給制のおかげで給料が高くなるのがうれしかったのですが、結婚して子どもができると、体を壊すと給料が減るという不安が出てきました。自分で作った会社では、正社員を固定給にしました」
野菜の仕入れのスタイルも変化を加えました。それまでは午後9時過ぎに市場に入って、他の八百屋や仲卸が来る前にいいものをピックアップしていましたが、「いい物を安く買えるメリットはありますが、かなりの重労働でした。なので、これに加え、仲卸に事前に注文を出し、特売品があったら買うという典型的な八百屋の仕入れ手法も導入しました」
このことで従業員の労働時間も減らすことができたそうです。
「町田で一番有名な八百屋」を目指して
コロナ禍が明けたいま、若月さんが課題としているのが組織マネジメントです。店長から経営者になり、仕入れや人件費、店舗運営など、販売以外の仕事と悪戦苦闘してきました。その都度、商工会議所などに専門家を紹介してもらい、相談にのってもらいながら手探りでやってきました。
今は、本店と町田駅前店に加え、飲食店への卸売りやコンビニ販売、そしてジュース販売と多彩な事業を展開しています。
「今後、各部門がそれぞれ、どれだけ利益が上げられているのかを把握しようとしています。この夏から部門別に予算を組み、責任者を立てて管理する仕組みを作りました。税理士事務所に任せきりだった経理も、社内で月次決算ができるように変えました」
店舗を継いですぐにコロナ禍が訪れたこともあり、売り上げは通常時に戻りました。巣ごもり需要に合わせて先行投資しすぎた反省点などを、いま見直しているところです。
急速な円安で輸入フルーツは値上がりしていますが、やさいのナイトウは国産フルーツを得意にしていたこともあり、ポジティブに捉えています。
先代から引き継いだ、地方の農家とのつながりも大切にしており、若月さん自身、定期的に日本全国の農家を回っています。
目指すのは「町田で一番有名な八百屋」です。先代が作った店の名前を広めるために、従業員教育に力を入れています。「お客さんと相対して販売する。これはスーパーなどにはできない強みだと思っています」
やさいのナイトウの経営理念は、先代のころから変わらず「味と鮮度」です。若月さんはこの軸を守りながら、会社を成長させようとしています。