「うちは1代10事業」
アイリスオーヤマは健太郎さんの父・森佑氏が、大山ブロー工業所として創業しました。健太郎さんが19歳で後を継ぎ、プラスチック製の養殖用ブイの製造などを機に産業資材メーカーに転身。1980年代以降は園芸用品やペット用品などホームセンター市場で存在感を発揮しました。2000年代にはLED照明や家電、精米に参入。2020年からはマスク、飲料水、ロボティクスなどの事業を加速しています。
業態転換を繰り返し、グループ31社の売上高7540億円(2023年12月期)、グループ従業員数14196人のグローバル企業に進化しました。大山さんは「うちは1代1事業ではなく、10事業くらいやらないといけません。常に取り組んでいるので、新規事業立ち上げのプレッシャーは、逆になかったです」と笑います。
子どものころの大山さんは、両親からことあるたびに「会社を継ぐ可能性もあるからしっかりしなさい」と怒られたそうです。継ぐことを考え始めたのは高校生のころ。2003年、米国にあるアイリスグループの「IRIS USA,Inc.」でキャリアをはじめました。「米国留学も経験したので、父から『行ってこい』と言われました」
米国のビジネスで黒字転換
当時は、米国でもホームセンター向けにプラスチック雑貨などを卸していましたが、市場は伸びているのに赤字でした。大山さんは入社直後、チェアマン(日本の会長職に相当)となり、米国のビジネス全般を取り仕切りました。
「特定の顧客に安く物を売りすぎていたので、値上げしない限りつぶれると初めて英語で強く言いました。最初は営業マンも渋っていましたが、実行したことで一気に良くなりました」
カリスマ経営者の息子として、最初はプレッシャーも大きかったそうです。
「入社してすぐ経営幹部になったので、後ろめたさもたくさんありました。ただ、工場の閉鎖などで最前線に立って成果を出すことで、そうした気持ちも薄れていきました」
米国子会社を黒字転換させた大山さんは、2010年、本社に戻りました。
「そろそろ任せたい」と言われ社長に
本社ではまずグローバル開発部長となり、中国、韓国、台湾、欧州など海外事業の強化を図りました。
帰国後、父との距離も近くなりました。「毎月の経営会議では、一つひとつの製品について、収益性や生産性、オペレーションを厳しく指摘されました」
関連会社の社長なども務めてキャリアを積み 2018年、アイリスオーヤマの社長を受け継ぎました。創業60周年で、父が70歳になった節目の年にあたり、2017年の下半期には「そろそろ経営を任せたい」と言われたそうです。
「プレゼン会議」を協力の場に
後を継いでから取り組んだのは、組織運営のアップデートでした。
代表例が、アイリスオーヤマの象徴「プレゼン会議」です。かつては、社長や副社長などの創業メンバーの前で、週1回、長時間にわたって開発担当者が入れ替わり立ち代わり新製品をプレゼンし、その場で成否が判定されるものでした。
毎年約1千アイテム(アイリスオーヤマ単体)もの新製品を生み出す源泉で、他社やメディアも注目する名物会議です。しかし、大山さんは社長就任後、そのあり方にメスを入れました。
大山さんも就任前は会議で審査される立場でした。「そのときはチャレンジャー。厳しいことを言われ、提案が却下されたことも山ほどあります。下手な発表はできないという緊張感がありました」
その価値は認めつつ、大山さんは「少し行き過ぎでは」と感じていました。就任前のプレゼン会議は一発勝負。却下される際も「もうあかん、とバチンと切られ、理由も告げられなかったり、意見に感情が乗って空気が悪くなったりすることもありました」。
大山さんはプレゼン会議をコミュニケーションの場と位置付けています。「一発勝負が果たして健全なのかと思っていました。社長に就任してからは却下の理由を告げたり、修正点を指摘したりしています」
「ターゲットが少し違うのでは」、「競合と比べてどのポジションで勝負するべきか」など具体的なアドバイスも与え、開発だけでなくマーケティングも含めた提案も求めています。
「プレゼン会議は互いにいいものを作り上げる協力の場にしたいと思います。一発勝負でなくなったことで、一つの商品に対しての提案回数が増えました」
会長の健太郎さんは現在、プレゼン会議をウェブ視聴しているものの、基本は発言せず、任せているそうです。
社員からDMで業務相談も
大山さんはチャットツール・Slackの活用を始め、メールや会議以外のやり取りを活発にしました。Slackには、全社員が見られる「社長の一言」というチャンネルを設け、経営に関する事柄や災害対応、プライベートまで発信しています。
「SlackのDMで直接、業務相談を受けることもあります。私が先代と従業員との間に入り、できるだけ柔らかく、心理的安定性が担保できるコミュニケーションを心がけています」
事業多角化で中途採用の社員も急増しています。大山さんは中途社員同士のキャリア交流会も作りました。
「新入社員のように、キャリア人材も入社同期や先輩のネットワークを広げてもらうのが目的です。『あれは、あなたが(前職で)作った商品なんですね』という会話を交わす場になっています」
人事企画室も新設。研究開発だけでなくマーケティング人材に関しても、ゼミ単位で採用を働きかけています。オンラインの企業説明会では、大山さん自ら学生の質問に答えています。2024年度は415人(大学・高専・専門・短大卒313人、高卒102人)の新卒人材を採用しました。
父の姿に学んだ危機対応
変えるべきは変えながらも、大山さんの根っこには父の姿があります。
2011年の東日本大震災では、本社や角田工場(宮城県角田市)などが大きな被害を受けました。社長だった父は宮城に不在で、大山さんが初日、2日目の陣頭指揮を執りました。驚いたのが、宮城に戻った父の対応です。
「社長(当時)はすぐに全社員を集めて朝礼を開き、困っているお客さまに迅速に物資を出荷しました。その姿を間近で見て、経営者はどうあるべきか学びました」
その経験は、コロナ禍の初動につながりました。2020年1月、社長就任1年半の大山さんは中国・武漢で肺炎が流行しているという話を聞き、すばやく日本国内でマスク製造を始めたのです。
2002年に中国で発生した重症急性呼吸器症候群(SARS)の経験から、もともとマスクの製造のノウハウはありました。
「中国からマスクを取り寄せられなくなる可能性があると考え、中国政府と交渉しつつ、国内工場の空いた場所でマスクの製造設備を導入しました。東日本大震災での父のリーダーシップを見ていたのは大きかったです」
アイリスオーヤマは緊急対応用に、工場の稼動やスペースなどは常に3割ほどの余裕を持たせています。マスク製造はこの余力を使い、急増するマスク需要に応えました。
2024年1月1日の能登半島地震でも、大山さんは正月ながら担当部署にSlackで一斉指示。翌2日には被災地へ、食品や簡易トイレ、ブルーシートなどを緊急出荷しました。
震災への備えで飲料水に参入
アイリスオーヤマは「ジャパン・ソリューション」を掲げ、社会課題の解決による事業成長を目指しています。
家電事業への参入は、メーカーをリストラされた技術者を日本国内にとどめたいという先代の思いから始まりました。精米事業も東日本大震災で被災した農家の支援がきっかけです。
その精神は、大山さんも受け継いでいます。
代表例が、2021年に本格参入した飲料水事業です。静岡県の富士裾野工場などで生産するほか、2024年から佐賀県の鳥栖工場で炭酸水とパックご飯の製造を始めました。
「東日本大震災で一番困ったのは水不足です。関東で大震災が起きれば、その比ではないくらいの水不足が起きます。静岡県の工場に水源があったので、水をくんで高速道路ですぐ運べる体制を作りました」
飲料水事業では後発ですが、自社ECのアイリスプラザやグループのホームセンター・ユニディなどで、飲料水を直接販売できます。Amazonとの協力関係も強く、全国10カ所の出荷拠点も生かせます。新規事業への参入障壁を自力で下げられるのも、強みの一つです。
飲料水やパックご飯など食品事業の売上高を、2030年までに1千億円に伸ばす方針も打ち出しました。
ロボットは台数よりも稼働率
大山さんは2020年から、ソフトバンクとのジョイントベンチャーでロボティクス事業も始めました。オフィス・店舗向けの清掃ロボットでは国内シェアナンバーワン(出典:富士経済)といいます。これも人手不足問題の解決など「ジャパン・ソリューション」を意識した新規事業です。
「ロボット業界はスタートアップが多く、技術はあっても社会に実装する力が弱い。その部分を手伝いながら、自社開発も進めました」
大山さんは開発の先を見据え、顧客サービスの充実を図りました。初期費用が抑えられるサブスクリプションモデルを用意したほか、ロボットの稼働率をチェックし、顧客を支援するカスタマーサクセスチームを作りました。
「現場で掃除ロボットを扱うのは(販売先の)パート従業員の皆さん。販売台数より稼働率を上げる方が先、という指示をしました」
アイリスオーヤマはコンシューマー製品だけでなく、今後はBtoB向け製品に力を入れる計画です。
家電製品の開発者を住宅設備の担当に配置転換するといったローテーション人事を、トップダウンで進めています。30代の執行役員も2人抜擢。組織の縦割りを打破し、事業拡大の足場を築きました。
カリスマの後を継いだからこそ
後を継いで6年。大山さんも次々と自分の色を出しています。新規事業を立ち上げる際は父と意見を交わしますが、最終決定権は委ねられています。
社長になったとき、父から企業理念や行動規範などを絶対に守るように言われました。これらを軸に、経営をアップデートしています。
「小さい時から『(父は)突拍子もないことを言っているな』と思っていました。カリスマ経営者の思考プロセスはなかなか分かりません。着想のきっかけやアウトプットは見えても、それをつなぐプロセスの説明が難しいんです」
「なので、私は父の考えを『現代語』に訳し、若い社員に事業開発のプロセスを説明することを心がけています。そうすれば、社員も自分たちで発想できる組織になるはずです」
大山さんはチーム経営で、グループ総売上高1兆円という大目標の達成を目指しています。
「時代も企業としてのステージも全く違うので、会長を超えようとは思っていません。社員にも『脱カリスマ』と伝えています。カリスマ経営者の後継ぎだからこそ、各事業のトップを務められる人材をたくさん育て、そのチームを支える経営者になりたいです」