サイマコーポレーションは2022年の1年間で、「えるぼし認定」と「かながわSDGsパートナー」を取得し、主力ブランドの特殊ねじ「310 スリム」はグッドデザイン賞に輝きました。
「コロナ禍で仕事がぱったりとなくなりました。飛行機も船も動きませんでしたが、そもそもの原材料がつくられていない。できることはなんだろうと考え、会社の棚卸しをしたのです」
えるぼし認定は女性活躍推進法に基づく厚生労働大臣認定の制度で、採用、継続就業、労働時間等の働き方、管理職比率、多様なキャリアコースという五つの審査項目があります。サイマコーポレーションはそのすべてをクリアし、最高ランクの3つ星を獲得しました。
「そうせざるを得ない環境にあったのです。わたしが家業入りしたころは両親だけの町工場で、ふたりは介護が必要な祖母を事務所に連れてきて面倒をみていました。そんなところに働きに来てくれる人はいません」
「最初に雇用したのは地元辻堂のシングルマザー。小さなお子さんを抱えていました。もちろんフルタイムでは働けません。わたしは時短勤務を受け入れた上で、正社員として採用しました」
現在はおよそ50人が働く会社に成長しましたが、基本的な考え方はいまも変わっていません。
「子育てが大変な時期は社員からパートに、子育てが一段落したらまた社員に、というケースは枚挙に暇がありません。フルタイムで働いている社員は半分もいないんじゃないかな。子どもがインフルエンザにかかって突発的に出社できなくなることは日常茶飯事ですし、有給を使い果たすこともざら。とはいえ、その後の休みを欠勤にしたことはありません」
斎間さんは人員配置に余裕をもたせ、また本業の周辺領域にも携わってもらうことで、いつでもみながピンチヒッターに立てるようにしています。
「回転寿司」から脱するために
サイマコーポレーションは、祖父の斎間寿久さんが1952年に創業した縫製工場がそのルーツです。高度経済成長期には右肩上がりで売り上げを伸ばしましたが、業界が生産拠点をアジアへ移すと、真綿で首を絞めるように経営を圧迫していきます。
「会社はわたしが継がなければ廃業もやむなし、という状況でした。取引先は1社を残すのみ。祖業に未来はないことがわかっていましたから、曲がりなりにも10年近く取り組んだねじの商売へくら替えすることにしました」
大学を卒業した斎間さんはボサードの日本法人で働いていました。スイスの上場企業で、世界有数のねじ商社です。実家に戻った1998年は、ちょうど30歳を迎えた年でした。
「わたしは日本のねじを欧米のグループ会社へ輸出する業務に携わっていました。その業務を通してみえてきたのは、日本の商売は利益率が異様に低い、ということでした。感覚的には欧州の半分くらいです。いってみれば日本は回転寿司で、欧州はレストランだった。日本の会社は利益率が低い分、回転率を上げて売り上げを確保していたんです」
利益の取れるねじ開発に転換
「忙しそうだが、一向に儲からない」業界を尻目に、斎間さんは利益のとれる商材を探求します。そうしてたどり着いたのが「TRF」、「ノンサート」、「310 スリム」という三つのオリジナルねじでした。
結論からいってしまえば、一般的なねじに比べ、その差は小さいもので10倍、大きいものなら30倍の値づけを市場に認めさせました。
「ねじの業界もご多分にもれず成熟しています。マーケットが中国からインドへシフトしてもパイそのものは変わりませんでした。そのような業界ではチャンスはないと思うかも知れませんが、そんなことはありません」
「ていねいに分析していくと、誰も手をつけていない、あるいは手をつけたことがあったとしてもいつの間にか立ち消えになっているジャンルというものがある。その原因を突き止めることができれば勝算はあるのです」
三つの特殊ねじが主力に
1998年に発売した「TRF」の正式名称はタンパー・レジスタント・ファスナーズ(Tamper Resistant Fasteners)。日本語にすれば「いたずら防止ねじ」となります(欧米でファスナーといえば、締結具全般を指します)。
駆動部、すなわちドライバーを差し込む穴が複雑な形状をしており、専用の工具がなければ取り外すことができません。
次に取り組んだのは、強度の低い樹脂素材の筐体に対応したねじです。「ノンサート」の名で1999年に発売されたそのねじは、樹脂割れを起こしにくく、繰り返しの使用にも耐えられます。
2001年に発売した「310 スリム」は、超極低頭ねじと呼ばれるジャンルのねじで、文字どおり頭部が低く、筐体の小型化、軽量化に寄与します。
製造は国内の7社に委ねています。ボサード時代に知己を得た工場で、彼らは家業を継いだ斎間さんを折に触れ、気にかけてくれたそうです。
「企業秘密に属する部分なので開発の苦労話は控えますが、いずれも従来の概念を覆すねじであり、商品化までの道のりは試行錯誤の連続。現場とは摩擦が生じたこともあったけれど、いまでは面白がってくれるようになりました」
それらのねじはインフラ設備や最先端機器を支えています。「TRF」のおもな用途は空港、鉄道、高速道路の設備、あるいは公園の遊具や子どものおもちゃ。どれも安全性が求められるものばかりです。「ノンサート」と「310 スリム」はドローンなどの精密機器に採り入れられています。
「在庫量日本一」を掲げて
商品戦略に通底するのは、需要が小さく、商品化が難しいねじを1本から販売する、というものです。
「『タンパー』を例に挙げれば、過去に何社かトライした形跡があるのですが、ことごとく撤退していました。原因は受注生産というスタイルです。こぢんまりとした市場だから仕方のないことだけれど、それではいざ欲しいと思ったときに手に入らないのだから使い勝手が悪すぎて商売になりません」
「解決策はかんたんです。在庫を積めばいいんです。ミニマム3万本という商材にあって、我々は100本単位、なんなら1本からの即納を可能としました」
在庫体制を整えようと思えば会社に体力が求められます。原資となったのは祖父が成し、父が守った財でした。
「TRF」と時を前後して仕かけた「インチねじ」もまた、在庫をたっぷりそろえて耳目を集めました。日本であまり使われることのなくなった状況を逆手にとり、在庫量日本一をうたって輸入を開始したのです。
「たとえ大きな商売にはならなくても、宣伝効果が見込めるだろう」という読みは見事に当たりました。ハーレー・ダビッドソンなどアメリカン・プロダクトを扱う業者や消費者にとって、なくてはならない存在になるのと同時に、その名を業界に知らしめました。
サイマコーポレーションが切り拓いた市場に追随する動きはみられません。
「ニッチでハードな商材であることもさることながら、やはり初期投資が大きいことがネックになっているようです。たとえば『タンパー』を手がけるのはアメリカで2社、イギリスで1社、そしてサイマコーポレーションといわれています。おかげで価格決定権もあり、首尾は上々です」
「ノンサート」の開発をきっかけとして、セミナー業務にも乗り出しました。業界関係者のみならず、学校からも声がかかるなど活況を呈しています。その開発に求められたトルク(ねじりの強さ)解析という分析方法は、理解している業界人が数えるほどしかいない貴重なものだったのです。
2014年には台湾の専門誌「fastener world magazine」で、ファスナーリーディングカンパニーに選ばれました。台湾は自他ともに認めるねじのプライスリーダーです。
広がる海外ネットワーク
商品開発にあたっては、ボサード時代に築いた海外のネットワークが頼りになっています。「ノンサート」の皮膜処理には汚染リスクの低い三価クロメートが採用されていますが、それは海外の情勢に通じていたからこそ可能となった経営判断でした。
一気呵成に主力商品をラインアップすると、このネットワークに磨きをかけていきます。幕開けは2002年。斎間さんはマレーシア、ならびにシンガポールの同業者へ出資します。いずれもかつての同僚が立ち上げた会社でした。
翌2003年には江蘇省常州市に中国コアス事業所を開設。大手自動車部品メーカーを取引先にもつ同業者のオファーから始まった品質管理、物流加工を主業務とする会社で、外資100%で貿易ライセンスを所有する同市初の会社といわれています。
蛍光X線素材分析器を導入すると取引先が拡大します。日本国内に粗悪なステンレスが出回り、水際対策をとる必要に迫られたためです。この分析業務が追い風になり、初年度から黒字計上しました。ISO9001、14001も取得した中国コアス事業所は自動車に加え、鉄道、工作機械関連の取引も増えています。
ドイツを皮切りに世界各国の見本市への出展も本格化。中国、インド、インドネシア、ベトナム、タイ……。年平均で20回は出展している計算です。
かなりの頻度ですが、「ねじの商売は自動車、電気、鉄道、道路、建築などあらゆる業界が対象になります。けして多いわけではありません」。
海外での売り上げはまだ全体の1割程度ととば口に立ったばかりですが、土台を固めたサイマコーポレーションは大きく飛躍する可能性を秘めています。
コロナショックのダメージは避けられなかったものの、現在は持ち直し、売り上げは2023年が6.5億円、2024年が6.8億円の見込みです。およそ3千社にのぼる顧客リストには小糸製作所、ヤマハ発動機、アンリツなど名だたる企業が名を連ねます。
「打率1割」でも開発を加速
立て続けに同業者をうならせる商材を開発してきた斎間さんですが、その打率は1割程度といいます。といっても目のつけどころが的外れだったわけではありません。克服しなければならない技術面の課題があったか、あるいは機が熟していなかったというのがおもな理由です。
これらをクリアした二つの新商品が2025年に誕生します。ひとつは第四の柱になりうる商材だそうで、近日中にお披露目する予定です。
まさに無人の野をいくが如くの第2創業ですが、会社員時代も負けず劣らず充実した日々を送っていました。ヘッドハンティングの声もかかるなど、業界でも斎間さんの存在は知られていました。翻って家業は風前の灯。祖業をたたむという選択肢もあったはずです。
「父は50万円だった資本金を時間をかけて1千万円にまで増資していました。承継についてひざを突き合わせて話したことはなかったけれど、それは家業を残したいという気持ちだったと思います」