目次

  1. 鈴木修氏の生い立ち 婿養子として鈴木自動車工業へ
  2. スズキの経営の第一線で40年
  3. 鈴木修氏の受賞歴
  4. 「お別れの会」の時期は未定

 鈴木修氏は、1930年(昭和5年)1月30日に岐阜県下呂市で生まれました。創業家出身で2代目社長だった故鈴木俊三氏の娘と結婚し、婿養子として1958年に鈴木自動車工業に入社しました。

 鈴木修氏はスズキ自動車工業に入社後、着実にキャリアを重ねていきました。

1963年11月:取締役
1967年12月:常務取締役
1973年11月:専務取締役

 そして、1978年6月には、4代目の社長に就任し、1990年にスズキに社名変更します。スズキの経営を40年近く率いていくことになります。

 この間、軽自動車「アルト」やワンボックスカータイプの「ワゴンR」などのヒットを生み出し、インドにもいち早く参入を決めたことでも注目されました。社長就任当時、3000億円台だった年間売上高を3兆円超までに成長させました。

 ムダを省いた効率的で高品質な生産現場の基本方針として始まった「小・少・軽・短・美」は、スズキの行動理念へと発展していきます。

 2000年6月に取締役会長に退きましたが、健康上の理由で当時の社長が退任すると、2008年12月に取締役社長を兼務する形で復帰しました。

 2015年6月に長男の俊宏氏に社長の座を譲り、再び取締役会長となり、2016年6月には燃費不正問題の責任を取ってCEO(最高経営責任者)を辞任しました。2021年6月から相談役となりました。

 鈴木修氏は、国内外で数々の勲章や賞を受章しています。

1985年3月:スターラ・イ・パキスタン章 受章
1987年11月:藍綬褒章 受章
1993年5月:ハンガリー中十字勲章 受章
2000年5月:勲二等旭日重光章 受章
2002年11月:日本自動車殿堂入
2004年5月:ハンガリー星付中十字勲章 受章
2007年3月:インド パドマ・ブーシャン勲章 受章
2020年3月:ハンガリー大十字功労勲章 受章

 鈴木修氏は2024年12月25日、悪性リンパ腫のため死去しました。葬儀は故人の遺志により、近親者のみで営まれました。スズキは「ご弔問の儀ならびにご香料、ご供花、弔電などの儀は固くご辞退申し上げます」としています。

 後日、「お別れの会」が開催される予定です。日時・場所は未定ですが、今後、スズキから発表がある予定です。