目次

  1. 研究者や議員秘書を経験
  2. 「一番素人な経営者」の奮闘
  3. 量産から「一品もの」に
  4. ガラス固化設備の製造に貢献
  5. 「困ったときはヨシダさん」
  6. ベンチャーや大手と高めた廃炉技術
  7. 風通しの良い組織が土台に
  8. 廃炉技術を医薬品や宇宙開発にも

 1923年創業のヨシダは早くから原子力関連事業に携わり、1960年代からはウランやプルトニウムなど核燃料物質を閉じ込めるグローブボックス(密閉容器)の製造など独自の密閉技術で、成長を遂げました。東京電力、JAEA(日本原子力研究開発機構)、JAXA(宇宙航空開発機構)などが主要取引先で、年商は約14億円、従業員数は72人です。

東京電力と開発したグローブボックス(ヨシダ提供)
東京電力と開発したグローブボックス(ヨシダ提供)

 米川さんは岡山県出身で、茨城県にある母方の祖母の会社は身近ではありませんでした。東京薬科大学大学院博士課程を出て、2012年からはドイツの大学で生命科学研究者として活動していました。

 しかし創業100年を控え、ヨシダの後継者難が表面化し、30歳の米川さんに声がかかります。

 米川さんがヨシダに入る準備として選んだキャリアは、茨城県選出の国会議員の秘書でした。「まず茨城県を知り、社員が住む環境も知らなければいけない。人脈を作る必要がありました」

 2014年から2年8カ月、政策秘書として走り回り、地域に根差す下地を作りました。

 入社したヨシダでは、いきなり副本部長に就きます。専門外の米川さんが自分で動ける仕事はありません。社内の動きを見ると、ベテラン営業は自分の担当先で手いっぱいで、新規問い合わせは後回しになりがちという課題が分かりました。

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