ワークショップで差別化 スパークレールは「体験価値」重視でファン創出
長尾和也
(最終更新:)
スパークレールの石けん製造現場のイメージ写真。実際の製造時には、帽子を被るなど衛生面に気を遣っています(スパークレール提供)
コールドプロセス製法による石けんを製造販売しているスパークレール(東京都目黒区)は、2023年に水井貴之さん(42)が母から経営を引き継ぎました。ベンチャーキャピタルでの勤務や自身の起業経験をもとに経営に奮闘する水井さんは、体験価値を軸としたブランディング戦略でファンの拡大を目指します。後編では、都心の工房を活かしたワークショップの展開、薬剤師の妻を含めた新たなチーム体制など、「100年先に残る事業」に向けた取り組みに迫ります。
体験価値を軸としたブランディング
スパークレールは2013年、水井さんの母である洋子さんが、趣味だった石けん作りをきっかけに創業しました。2023年に経営を引き継いだ水井さんは、自社の石けんのターゲット層を広げるため、新ブランド「mue(ミュウ)」を立ち上げます(前編参照)。
「30~40代の人に愛される石けん」を考える際、水井さんは、市場で埋もれてしまうことをもっとも心配したといいます。最近では、LUSHやSABONなどグローバル企業がコールドプロセス製法の石けんに力を入れており、製法の個性だけでは差別化が容易ではないからです。そこで考えたのは、体験価値を軸としたブランディングでした。
「体験価値を作るうえで、ターゲットの気持ちを考えることが大切です。私はターゲットとちょうど同世代。ターゲットの気持ちに刺さる体験価値を考えるにはもってこいでした」
ミュウは、「わたしを脱いで、素肌にもどる。」というキャッチコピーを掲げています。石けんによって、ありのままの自分になるため気持ちを切り替えるといった体験価値を狙っています。
「30〜40代は、社会的な役割の多様化にともなって気疲れしがちな世代です。部下であると同時に管理職を担う年齢でもあり、結婚しているなら配偶者のパートナーである一方、子どもがいれば親でもあります。このような役割の多様化がもたらす気疲れをリセットする瞬間のひとつが、洗顔のタイミングだと考えました。特に女性の方は、洗顔時にメイクを落とすので気持ちが切り替わることの体験価値がわかりやすいでしょう」
現在、ミュウの主力ラインである『BARSOAP』は、「newme(新しい自分)」「focus(集中)」「release(解放)」「signpost(道標)」「battery(電池)」といった5つの商品を販売しています。それぞれが体験価値を意識した商品名です。洗浄力や保湿力など機能性の重点が商品ごとに異なるほか、見た目や香りもそれぞれの体験価値に合わせています。
「五感に訴えかける商品を目指しています。気分に応じて使い分けてもらえたらうれしいですね」と水井さんは語ります。
ミュウの商品写真。上から順に、focus、release、newme、battery、signpost(スパークレール提供)
ワークショップでファン創出を狙う
体験価値を軸としたブランディングを進めるため、水井さんが模索しているのがリアル空間を絡めたイベント展開です。例えば、東京の工房では石けん作りのワークショップを開催しています。
「実際の製造現場で、職人と触れあいながら石けん作りを体験できるメーカーは、東京では他に聞いたことがありません。都心の立地を差別化に活かしました。多くの方に石けん作りへのこだわりを知ってほしいと考えています」
現在は模索段階のため、メディア関係者、インフルエンサー、取引先に限った招待制でワークショップを開催しています。将来的には、ミュウのユーザーを工房に招待して、コミュニティ化を図る予定です。
「立ち上げたばかりのブランドなので、マーケティング施策にかけるお金や人手に余裕があるわけではありません。そこで、マスへのリーチを狙うよりも、少数の方々に熱心なファンになっていただくために、ワークショップを活用することにしました。現在は500人のファンを目標にしています」
お菓子作りのような難しさと楽しさ
実際にワークショップを体験するため、東京のスパークレール本社を訪れると、オフィスにガラス壁で囲まれた工房が併設されていました。
スパークレールの東京本社に併設された工房で、ワークショップを開催しています(スパークレール提供)
工房に入る際は、手を消毒したのち帽子と白衣を身につけ、靴を履き替えます。工房内を見渡すと、壁沿いに置かれた製造設備が印象に残りました。「認可を取得する際、かなり厳しいチェックが入ります。都心に工房を設けるまでには苦労しました」と水井さんは語ります。
ワークショップは、石けんの歴史やミュウのこだわりについて簡単なレクチャーを受けたあと、実際の製作に入ります。ベースとなるパーム油に、植物油脂、香料、色素など数種類の材料を順番に混ぜ合わせたのち、型に注ぐといったシンプルな工程ですが、正確に計りながら取り組まないと狙った品質に仕上がりません。お菓子作りのような難しさと楽しさがあります。
ワークショップを担う人材
石けんの機能性を決める植物油脂は4種類が用意されており、ワークショップの参加者が配合を選びます。さらに、4種類の香りから1つを選び、カラーは好みの3色を色素の調合で作ります。選択肢の数自体はそれほど多いわけではないものの、要素の組み合わせに個性が現れる点が面白さのひとつといえそうです。社員研修の一環としてワークショップを開催したケースもあるそうです。
材料を決めてからは、3色を1つの容器に合わせることでカラーの層を作ります。その後、型に材料を注ぎ、階層に分かれたマーブル模様を作っていくのですが、流れの太さや注ぎ込む位置などによって仕上がりは様々です。せっかちであれば勢いよく、慎重であれば細くゆっくりといった具合に注ぎ方に個性が出ます。
材料の注ぎ方次第で石けんのデザインが変わります。なお、この日のワークショップではパープル・エメラルドグリーン・ホワイトの3色を選択。「ホワイトを入れるとデザインがまとまりますよ」との山口さんからのアドバイスにしたがいました(筆者撮影)
全ての材料を型に注ぐとワークショップは終了です。コールドプロセス製法で作った石けんは、固まった直後は強いアルカリ性なので、すぐには使用できません。このため、作った石けんは1カ月間の熟成期間を経てから郵送で届けられます。
ワークショップ参加から1ヶ月後に届いた手作りの石けん。思いもよらないデザインに仕上がりました。自分で作った石けんはどのようなデザインでも愛着が生まれます(筆者撮影)
今回、ワークショップを担当したのは、2023年からスパークレールに勤務する山口紗葵さんです。ミュウのブランディングでは、山口さんが大きな貢献を果たしています。ブランドアイデンティティの原案から、プロダクトデザインまでを山口さんが担っています。
元々は大手広告代理店に勤務していた山口さんですが、旅先で経験したワークショップをきっかけに石けん作りを仕事にしたいと考えたといいます。その後、インスタグラムでスパークレールの存在を知った山口さんが「ここで働きたい」と水井さんに連絡したことが入社のきっかけでした。そのときの記憶について貴之さんは「嬉しい反面、一人の人生を大きく変えたことに身が引き締まりました。ミュウの現在を語るうえで山口は欠かせない人材です」と語ります。
プロダクトデザインを担当している山口紗葵さんが、主にワークショップを担当しています(スパークレール提供)
「ライフスタイルブランドに育てたい」
2025年は、水井さんがスパークレールを引き継いでから3年目にあたる年です。事業を100年後に残すためのチームが整ってきました。
洋子さんは“生きるお手本”としてスパークレールの製造現場を担っており、さらに水井さんの妻である麻里子さんが従業員に加わりました。薬剤師の資格を持つ麻里子さんは、終末期医療の緩和ケアに従事した過去があり、この経験から得た思いがミュウの根底に流れているといいます。
また、商品開発では麻里子さんが持つ薬剤師の知見が役立っています。水井さんは「泡立ちに関わる重要な成分を特定し、これを調整するための原料を選ぶといったことは薬剤師の知見なしでは難しかったでしょう」と麻里子さんの貢献を教えてくれました。
ミュウはまだ立ち上げたばかりのブランドですが、将来的には「ライフスタイルブランド」に育てたいと水井さんは語ります。このため、石けんに限らず、フレグランスや入浴剤などの商品ジャンルにブランド拡張することを視野に入れています。この布石として、数年内の計画として描いているのがスパークレールの店舗展開です。自分らしく過ごせる時間についてユーザーと対話したり、空間ごと商品を提案したりするために店舗を活用したいといいます。
「まずは毎月1000人の方に購入いただけるブランドにミュウを育てたいですね。スパークレールを100年後に残すために母から引き継ぎました。ミュウのブランディングは急いでいません。長いスパンを前提に取り組んでいます」