経営者が認知症や急病になる前に・・・任意後見契約移行型を承継に活用
経営者が認知症や急病になった場合、後継ぎは法的裏付けが伴う経営の意思決定や、経営者が持つ株式の譲渡などの困難に直面します。そのようなケースで、経営をスムーズに進めるための手段となる「任意後見契約移行型」について、解説します。
経営者が認知症や急病になった場合、後継ぎは法的裏付けが伴う経営の意思決定や、経営者が持つ株式の譲渡などの困難に直面します。そのようなケースで、経営をスムーズに進めるための手段となる「任意後見契約移行型」について、解説します。
目次
「社長である父が病気などで急に働けなくなったら、会社はどうなるんですか」
筆者の事務所を訪ねる20~50代までの後継ぎ候補から受ける相談の半分が、この手の内容です。社長が大病だと診断されたり、「毎日の生活とちょっと様子が違う」と感じ始めたりしたことが、きっかけになっています。
後継ぎの方にとっては、そういう悩みを持つ前に、様々なケースを事前に知ることで、「自分の場合はどうなる?」と冷静に考えられるのではないでしょうか。
最近は、遺言を法務局で保管してくれる制度ができるなど、相続や事業承継に関する改正の話があふれています。従来の制度を前提に進めていた相続や相続税の対策、事業承継の準備が台無しになることもしばしばです。
もちろん、遺言を残すことで、争族防止や節税を図ることも大切です。しかし、中小企業の後継ぎの方が考えるべき「事業承継の本質」は、先代が生きている間に仕事のノウハウや人脈等を引き継げるかどうかです。
事業承継に関しては、後継ぎだけではなく、その他の相続人も知っておいてほしい対策や準備はたくさんありますが、意外と広まっていません。そこで、相談が多い「認知症などによって、経営者の判断能力が低下したときの対策」について、事例を交えながらシリーズで紹介します。
後継ぎ候補のみなさんがどのような対策を講じているのか。また、対策をしなかったために、どのようなリスクを負ってしまったのか、という失敗事例などを知ることで、ご自身の事業承継に役立ててみませんか。
今回は「任意後見契約移行型」について、事例をもとに詳しく解説します。
それでは、まずは実際にあった相談事例を見ていきましょう(個人情報保護の観点から、一部設定を変えています)。
飲食店を複数経営しているK社の代表取締役社長である父Aさん(80)が倒れてしまい、後継ぎである子で、専務のBさん(50)は、電話口で慌てていました。
「先日、弊社の社長(父)が脳出血で倒れ、入院して療養しています。手足も動かせず、話もしづらそうで、物忘れも徐々にひどくなってきています。医師からも『経営判断を迫られるような仕事は難しい』と言われてしまいました。会社の株式はすべて社長が持っており、株主総会も開けない状態です。代表取締役として、銀行の資金繰りの話などもできません。これからどうしたらいいでしょうか」
このように、現経営者が倒れてしまったら、次のような問題が起こり得ます。
(1)倒れた社長が、経営に関する意思表示、特に法的行為ができなくなる
(2)社長が1人株主だったため、株主としての権利行使もできず、株主総会での議決もできない。結果として、会社として何もできない状況に陥ってしまう
(3)日常生活において介護の負担が増え、後継ぎにとっては、今まで1人で何でもできていた社長の日常生活サポートという任務も増える
(4)取引先や融資を受けている金融機関、従業員に不安が広がる
(5)不安を拭えなかったり、善後策に時間がかかったりした場合、例えば、不渡りを出してしまったり、従業員がやめてしまったりすることもあり得る。結果として、後継ぎは事業の立て直しに奔走することになる
社長が倒れたときに、事業への影響が無いようしっかり準備していない場合、後悔しても後の祭りです。ただ、倒れるか倒れないかもわからないのに何を準備すればいいのか、不安がつきまといます。
上記の問題のうち、今回は(1)、(2)について、後継ぎが取り組むべき対策や解決法をお示しします。(3)~(5)は次回以降のテーマにする予定です。
まずは、公式な統計資料から「(現経営者が)元気に生活できないであろう期間」を予測します。根本的な対処法は、現経営者が倒れないよう健康管理をしていくことですが、人は必ず歳を取りますから、それは無理な相談です。
「いずれは・・・」という視点で考えると、高齢や認知症になっても「意思がしっかりしているうちに事業を引き継ぐ」ことが大切です。そのためにも時間的な目安を知ることが肝要になります。例えば、認知症の症状が出始めてから意思表示ができなくなるまで、どのくらいの期間があるのでしょうか。
1つの目安として、日常生活に制限のある「健康ではない期間」は平均寿命から健康寿命を差し引いた期間から見ることができます。
厚生労働省の令和元年簡易生命表によると、日本の平均寿命は男性81.41歳、女性87.45歳であり、前年の統計(男性81.25歳、女性87.32歳)から男性0.16年、女性0.13年伸びています。
これに対し、健康寿命は高齢社会白書で「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されています。厚労省の2016年データによると、男性の健康寿命は 72.14 歳、女性の健康寿命は 74.79 歳となっています。
その結果、事業経営に少なからず支障が生じる可能性がある期間は、男性9.27年、女性12.66年と推定されます。この期間は日常生活になんらかの制限がかかっているため、事業経営にも大きな影響があるといえそうです。
後継ぎは現経営者の死後を考えて相続税、遺留分対策で遺言をしてもらえばいいというわけではありません。倒れてからの10年間は、対策が必要になるのです。
次に、スムーズな事業承継をするために活用できる「任意後見契約移行型」について、解説します。
今回のケースで有効な対策として考えられるのが、「任意後見契約」の「移行型」になります。任意後見契約移行型とは、判断能力があるうちに、さまざまな事務を委任できる契約です。これは事業承継にも活用できます。
例えば、先代のAが元気なうちから、後継ぎ候補のBに業務を任せておいて、判断能力が低下してきたら、 Bを「任意後見人」にして動いてもらうことで、 スムーズな権利移行ができるようにするものです。これは「移行型」と言われています。
つまり、自分が倒れた時にサポートしてくれる後見人を、元気なうちから自由に決めておける「任意後見契約」と、「生前の財産管理契約(委任契約)」を同時に契約することを言います。
この契約は必ず公正証書で締結しなければいけません。意思ははっきりしていて元気であっても、足腰が弱って動けない場合は、後見人をつけることができないため、任意後見契約のみでは不足なのです。
任意後見契約移行型をどのように活用するかについて、今回の事例である、K社社長のAさん(80)と、Aさんの子で後継ぎの専務Bさん(50)の場合にあてはめてみます。
両者の間に、任意後見契約移行型を締結したと仮定します。この場合は、以下の二つの契約をセットで完成させることができます。
・万一、Aさん(委任者)が認知症や病気で判断能力が低下し、経営判断ができない状態になっても、B(受任者)さんを後見人として就任させる「任意後見契約」
・Aさんの判断能力はまだ十分にあるのに体が不自由で動けなくなり、経営に支障が生じる期間にBさんに代理人として動いてもらう「生前の財産管理契約(委任契約)」
任意後見契約移行型を結ぶことで、高齢で何があってもおかしくないAさんの代わりに動く人を、あらかじめ後継ぎであるBさんに指定でき、いずれくる事業承継の準備にもなります。また、Aさんに何かあったときに企業活動がストップするのも回避でき、取引先への影響も少なく、資金繰りに支障がでないという安心を得られます。
なお、任意後見契約を発効させるためには家庭裁判所への申し立てが必要ですので、ご注意ください。「生前の財産管理契約」も公正証書で作成するのが良いでしょう。
注意すべきなのは、後継ぎのBさんはどこまで経営者のAさんの代わりができるのか、ということです。
通常、任せる行為は「財産管理」「身上監護(介護や生活面での手配)」など「法律的な事項」がほとんどなので、療養看護やお見舞い、家事全般は受任者には対応できません。
「法律的な事項」の詳細は、契約書の末尾に「生前の財産管理契約(委任契約)用の代理権目録」と「任意後見契約用の代理目録」を添付します。これを見ると、BさんはAさんの代わりに何ができるのか一目瞭然であると同時に、BさんはAさんの代わりに、何でもできるわけではないことも表しています。
任意後見契約、生前の財産管理契約の代理権目録に関する内容例は多岐にわたりますので、以下の図表をご参照下さい。
この目録をみると、経営者にとって重要である経営に影響のある金銭や財産についての契約や事務手続きなどが、おおむね記載されていると思います。
具体的にはどのようなケースが想定されるでしょうか。経営者Aさんが全株式を持つK社の例にあてはめます。
Aさんは足腰が弱ってしまいましたが、意思表示には問題ありません。この機会に後継ぎであるBさんに取締役としての役割をバトンタッチし、自身の個人名義の金融取引も任せたいと考えたとします。
この際、K社の株主総会では書面決議などの手段をとれるため、株主総会に出席できない場合でもスムーズに株主としての議決権行使ができ、取締役選任の株主総会決議が有効に成立することにより、取締役としての役割をバトンタッチはできます。しかし、自身の名義の口座による金融取引の代理までは任せられません。
一方、Aさんが足腰が弱っているだけだからまだ大丈夫だと考え、株式を100%所有したままで、後継ぎを取締役に選任しても、自身は代表取締役を続けていたとします。その後 Aさんが認知症の診断を受けた場合には、たった一人の株主が議決権行使ができず、株主総会決議が行えなくなります。会社の最高意思決定機関である株主総会が機能せず、後継ぎのBさんは取締役であっても決定できない部分がでてきます。
その場合、Bさんは名目上は取締役でも、実質は経営者としての役割をバトンタッチできていないと言えます。Aさんの個人名義の金融取引を任せることもできません。
上記の問題点は、任意後見契約移行型を締結し、代理権目録に「株主権の行使」、「金融機関との取引に関すること」を記載しておくことで、認知症診断を受ける前も受けた後も、安心して経営も個人の財産に関することも後継ぎに任せられるのです。
ぜひ、この「任意後見契約移行型」が事業承継にも使えることを知り、自社の場合にも活用できるのかどうかを、専門家に相談するなどして検討してみてください。
次回以降も、事業承継への備えをテーマに記事をお届けします。
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